【砂時計の守備隊】
わ~‼
もう本当に沢山の方々に読んでいただき感謝感謝です(ღ˘ㅂ˘ღ)
おかげさまで私も早く寝て、早朝に起きて執筆するのが楽しくてたまりません₍ ᐢ. ̫ .ᐢ ₎
今回のイラストは、あの有名な栗林中将‼
第2次世界大戦中、米軍史上最大の損害を出させた名将です。
なにせ2万人の守備隊で、11万人の上陸部隊と支援艦艇&航空機から1ヶ月以上も島を守っていたのですから凄いと言うしかありません‼
皆様に読んで下さることもそうですが、執筆の励みになりますのでブクマ&評価など下されば幸いです。ってか出来れば応援してくださいm(_ _"m)
硫黄島に到着すると2機の零戦は元山飛行場に着陸し、私は水偵を摺鉢山の南にある砂浜に接岸させた。
ここは敵の攻撃が始まる際に、最も重要な上陸ポイントになるはず。
なのに、見渡す限りトーチカや塹壕などはなく、まるで海水浴場のように、のどかな砂の海岸が続いているだけで守備隊の兵士さえも居なかった。
この硫黄島は、それまでの7000人体勢から、5月には栗林陸軍中将が小笠原方面部隊長に任命されたのに合わせて陸軍の第109師団が派遣され兵力は陸海軍合わせて2万人近くに増強されたはず。
その兵士が、ひとりも居ないとは……。
栗林忠道中将と言えば、第23軍参謀長から留守近衛第2師団長に移動した際に厨房で火事を起こした責任を問われ第109師団長に左遷されたと聞いている。
また栗林中将はアメリカの駐在武官としての経験もあり、数少ない親米派の軍人。
まさか109師団長に左遷され、全くやる気がなくなり父島要塞に籠ったまま、何もしていないのではないだろうか?
波打ち際でしばらくぼんやりしていると、砂丘のほうから数人の軍人らしき影が近付いて来るのが見えた。
きっと元山に着陸したパイロットが伝えてくれたのだろう。
数人だから下士官級か下級将校かと思っていたが、近付いて来るにしたがってそのシルエットがより重いものだと言うことに気付く。
やって来たのは、父島の要塞に居ると思っていた栗林中将と、その部下たち。
「サイパンから無事帰還、お疲れ様。柏原特命大尉」
彼は私の名前と任務を知っていた。
栗林中将に連れられて、この硫黄島に兵士の影が見えないことが分かった。
兵士たちは地上表面には居なくて、殆どが地下に居る。
要所要所に地上のトーチカはあるものの、その周辺に塹壕と言う物はなく、またトーチカへの入り口もない。
つまり兵士たちは地上には姿を見せず、移動は地下に作った洞窟を利用すると言う仕組み。
これなら折角作った塹壕などを敵の艦砲射撃で破壊されるリスクもなく、兵士たちも地下にいるわけだから艦砲射撃や空襲による影響を受けにくく、米兵の上陸まで兵力を温存できるという訳だ。
しかしこの作戦には2つの大きなリスクが伴うはず。
ひとつは敵を上陸させてから本格的な戦いとなるのだから、どの時点で反撃の口火を切るかで成否が分かれてしまう。
早く反撃を仕掛ければ、敵の上陸部隊は一旦撤収してしまい、場所が露呈してしまったトーチカなどを再び艦砲射撃で潰されてしまう。
逆に反撃が遅ければ上陸した敵の戦力が大きすぎて、小規模に分散されたトーチカの戦力では手に負えないばかりか直ぐにトーチカの死角に回り込まれて潰されてしまう。
そして反撃の判断は個々の部隊で行うのではなく、司令部による一括判断によって足並みを揃えることが重要となる。
もうひとつは、この戦法自体の問題。
水際撃滅作戦でもし上手くいけば、敵の上陸自体を阻止することが出来るから、敵が再度トライしてこない限り戦いを勝利で終わらせることが出来る。
勝利とは、即ち、生き残ると言う事。
だがこのような地下洞窟を使ったゲリラ戦法では、敵を内陸部に引き込んでから行う性格上、上陸地点はフリーになってしまう。
これは外部からの応援が無い限り、敵はつぎ込める兵力を次々に上陸させることが出来ると言う事。
先のサイパンに敵は10万人規模の兵力を上陸させたので、より日本本土に近い飛行場を持つ硫黄島にも同規模の兵力をつぎ込むことは簡単に予想できる。
洞窟を使ったゲリラ戦法だから時間は稼ぐことは出来るが、戦い自体が通常の組織的な攻撃に比べて小規模になってしまうので5倍の兵力差を跳ね返すだけのパワーは持たない。
つまり、この作戦は最初から勝つことを想定していない。
時間を稼ぐだけの作戦。
時間の経過とともに、まるで砂時計の砂のように兵力は減って行く。
そして最後の砂が下の器に落ちる時、この硫黄島の戦いは終わる。
“覚悟”
ここでの戦いは、日本本土に残る私たちへ襷を繋ぐ時間のための戦い。
私たちは彼らが彼らの命と引き換えに、私たちに与えてくれる時間を無駄にしないように、努めなければならない。
疲れただろうから1日休んで行くように言ってもらったが、私は断った。
貴重な食料や水をいただくわけにはいかない。
夕方までにはまだ3時間ちかくあったが、私は少しの燃料を分けてもらいここを発つことにした。
東京までの燃料は、父島の水上機基地で調達しよう。
発つ前に元山飛行場に行き、私を助けてくれた2機の零戦パイロットに礼を言いたかったが、これ以上出発が遅くなってしまうと今日中に大本営に帰れなくなるので手紙で済ませた。
低空とは言え、4機のグラマンF6Fを相手に2機撃墜1機を損傷させるとは相当優秀なパイロットなのだろう。
ベテランなのか、それとも素質があるのかは分からないが、願わくばこの戦いを生き延びて後進の指導にその腕を振るって欲しいと思った。
分けてもらった燃料を入れ終わり、エンジンを掛ける。
プロペラを回すと直ぐに瑞星一一型発動機に火が入った。
この発動機、出力は低いが、構造に余裕があるのか丈夫で長持ちする。
無事これ名馬と言うことわざがあるが、新型の誉のようにいくら性能が優秀だと言っても信頼性が劣るのでは困る。
硫黄島守備隊の皆の気持ちを思うと私の心は暗かったが、見送ってくれた栗林中将をはじめとする兵士たちは子供のように爽やかな明るい笑顔で私を見送ってくれた。