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“お久しぶりでございます。前回のお便りからかなりの時が経ちましたことをお詫びいたします。

 今はさる修道院にて一夜の宿をとり、主様がお休みの間に宿坊の一角をお借りしてこの手紙を書いております。


 前回のお便りでは「若君誘拐事件」が起こってすぐ、件の修道院を出る直前に出したものでしたので事態がわからずさぞやきもきなさったことでしょう。

 あの後野宿の際に、主様は私めに事態の真相を語られたのです……”


“……とそのように私は思ったものでした。


 旅の噂では若君は領地を出て、かの院長の下で修行されるとのこと。

 母君との関係がどうなったかはわからぬものの、さすがのヴァレンティン氏も友人たる院長の人品を認めないわけにいかなかったのだろうと思ったものでした。


 あの時私が出した手紙は三通。

 一つは件の事件を聞いて母君様に若君誘拐の報を知らせたもの。

 一つは主様が「マッテオ」に向けて書いた叱責の手紙。

 そして最後の一つとして、「マッテオ」による母君への謝罪の手紙を出させていただきました。

 あの謝罪の手紙が彼が修行に出ることの後押しになってくれていたらありがたいのですが。

 

 しかし正直驚きました。あのヴァレンティン氏があの時の「曾祖母のお孫様」だったとは。

 病の影響があったとはいえ、あまりの変わりようにまったくわかりませんでした。

 むろん、相手にも私のことはわからなかったようですが。


 主様に旅の途上でお会いした時も視力を失いつつあったとはいえ、大きくなり声変わりで声も変わった私に主様が気づくことはありませんでした。

 だからナトン先生が私にお叱りの手紙を筆記させた時、こちらのことをわかっていないとはいえ「マッテオ」に対する遠慮会釈ない文面に思わず身を縮めてしまったものでした。


 思えば旅の途上にご機嫌伺いのため立ち寄りましたあなた様のお屋敷で主様の出奔を聞きまして以来、どれほどの月日の流れたことでしょう。


 やっと見つけたナトン先生は、治療法など今の世の中にはないこともご存知なのに「神の奇跡」などまったく信じていない中、旅の途上で客死することだけを望んでいるように見えました。

 そんな先生のお世話をするには知り合いやただの親切な人物では受け入れられそうになく、「あくまでも短期的で利己的な理由でついている赤の他人」とでもしないとムリでした。


 いつか吟遊詩人として放浪の旅に出たいと考えていた芸名の「フラン」という名前がここで役にたつとは思いませんでした。


 ご心配なさるお気持ちは察するところあまりありますが、今の主様の状態を見るに、お戻りになられるどころか旅の途上で会うのも難しいと存じます。

 ですが、再びお引き合わせできますその日まで、主様のお命を永らえさせますことはお誓い申し上げます。


 どうかその日が早く来ますように。


フランことマッティオより

アデールことルイーズ·ラ·コルベール様へ”


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