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(4)

 若君様に「成人まで修行に出る」ことを飲み込ませるのに時間がかかった。


「もういい!お前が帰らないと言うなら自分一人でも家に帰る!」


とまで言い出したのには驚いた。


 なんとか若君をなだめて主のところに戻った時には、もはやかなり遅い時間になっていた。


「申し訳ございません……。若君に事情をお話するのに手間取りまして……」


 主様は何も語らずたった一人、部屋の隅の手水鉢で手を洗っていた。

  フランが室内を見回すと毛布が出た時とは違う畳み方で丁寧に置かれていた。誰かがいたのだ。


 主様は部屋の燭台の明るさ程度ではほとんど見えないと言っていい。たった一人で毛布を畳んだ場合、ここまで丁寧に畳むことは不可能なはずだ。


「もしや不在中にお客人でもいらっしゃいましたか?」


 主はフランを見ることも無く、静かに言った。


「診察を頼まれた」

「学徒であったことは存じておりましたが、診察までお出来になられるので?」

「辺境では文字が読めるというだけで医者としてやっていける例もある」


 発言内容に思うところが無くもなかったが、フランは行儀よく頷くだけにしておいた。

 客人についても聞かなかった。フランも守秘義務というものは知っている。


 そこから書状の代筆を何通かしたためることとなった。

 とくに若君の義理の兄上への手紙は、幼い頃の師であったらしい関係からか何かうっぷんを晴らそうとでもいうかのような文面で、


『君にこのような書状を送るはめになったことを大変遺憾に思う』


から始まる内容に、代筆をしているフランも何度か身をすくめることになった。


 各書状の最後に書かれる主様のサインは陽光の下でないと出来ないと中断したのは、日が顔を出そうとする頃だった。



 どんなに眠くとも朝食を用意するのが従者の務め。厨房に取りに行くことも昨夜決定済み。

 さっそうと出向くと不審な顔をされたが、よ

そ者とはそういうものだ。


 朝食時、軽く不審な顔で院長が部屋まで様子を見に来た。


「先生、私からも御礼申し上げます。……先生は後から彼に追い付かれるので?」

「……彼、とは?」


 本人は意図していなかっただろうが、主様の表情は想定外のことを語られた訝しさをそのまま現しているようにフランを始めとする周りの人々には見えた。


「昨夜ご紹介した私の友人のヴァレンティンです。

夕食後に『家臣になってもらえないか話しに行く』と言っていたのでこちらへ来たと思うのですが。

今朝上機嫌で『彼に会えたのは神のお導きだ』と早々に馬車で旅立って行きましたし、てっきり先生も同道されたものと思っていたのですが」


 フランに覚えはなかった。もしや昨晩来た客人が、と振り返ると冷静に対応する主がそこにいた。


「……従者が席を外している時に訪ねて来られましたが、勧誘のお話はありませんでした。

何の話をしたかは本人の許可なく話すことはできません」

「そうでしたか……。

意気揚々と、誰かを伴って行くための馬車も購入して出立したためてっきり……。いや、失礼いたしました」


 会話が途切れたタイミングでためらいがちに扉がノックされた。

 開けた扉の前に立っていたのは昨夜の老婆だった。


「お客様がいらっしゃいますところ失礼いたします……。ぶしつけに申し訳ございませんが、ぼっちゃまの修行先は……」

「これからお話するところです」

「では」


 主様の言葉に老婆の顔が歪み、絶望の表情が現れた。


「ぼっちゃまは、誰と行かれたので?」



「今朝ぼっちゃまに朝食を取りに行っていただいたのです」


 ふらつき、今にも倒れそうな老婆を部屋に招き入れると、気もそぞろなまま語る様子に主様を始めとして院長も聞き入った。


「ですが、その後ご自分の分を取りに行かれたまま戻って来られませんで。あちこち訊ねてまわりましたところ、貴族の方と共に馬車に乗り込まれて旅立って行ったと……。

 昨晩のお話もありましたし、もしや修行先の方と行かれたのかとも思いまして……。」

「その少年と同行したのがヴァレンティンと言われるのか。」


 長い間疎遠になっていたとは言え、人柄もよく知っている旧友がそんなことをするはずがない。

 まさかと思いつつ、馬車を売った昨夜の商人に聞くとにこやかに相手は答えた。


「はいはい、昨晩お引き合わせいただいたヴァレンティン様に馬車をお売りしましたのは私めでございますな」

「それで彼は一人で行ったのかね?それとも……」


 間違いであってくれと願っているのか、口ごもる院長に無情にも商人は答えた。


「どこぞのご領地の若君とおっしゃる方とご一緒でしたよ。ご領地に帰るとかではしゃいでいらっしゃったのが微笑ましいほどで……。

ええと、何かございましたか?」

「……子供が一人で巡礼の地に来れるとお思いですか!?なぜそのまま行かせたのです!」


 まったく状況もわからずにこやかなままの商人にたまりかねたのか、老婆は商人の服を掴んで絶叫した。


「え、まあ、そう言えば確かに。ですがヴァレンティン様が馬車とともに女性の訪問着の中古品もお買い求めになられましたので若君のお付きの方と後で合流されるのかと思いましたし、若君の母君様とはお知り合いであるとおっしゃいましたもので」

「このままでは彼が誘拐犯になってしまう」


 一連の事態に院長の顔面から血の気が引いた。


「止めなくては。誰か!街道の関所まで使いを!」


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