(1)
"久々のお便りとなります。皆様におかれましてはいかがお過ごしであられましょうか。
我が主様におかれましてはつつがなく巡礼の道をたどり、予定の修道院へとたどり着かれました。
修道院にたどり着くまでには常なる主様の諦念が足を重くし、なかなか歩みを進めること叶わず……"
※
「主様。そろそろ出立の時刻にございます」
主たる隠者が木陰に座り込んでからどれぐらいの時間がたったことだろう。
昨夜の宿を出たのが朝課の鐘がなって少し過ぎた当たりというのに、もはや太陽が中天を越えているのが見てとれた。
「……今日は野宿だ。」
世間でもはや若くないと言われる30をとうに越え痩せぎすな体型の体つきとはいえ、農村生まれの主様が目から光を失った程度でここまでの道のりに本来へこたれるわけがなく。
ゆえに従者として耳が痛いことを申し上げることとした。
「残念ながら昨日の修道院にて野宿用の保存食を都合するのを失念しておりまして」
「新しき主を探している割にはこういう見せ場に用意が出来ていないとは」
「野宿はいつからそういう場になりましたので?」
従者であるフランは前々から「新しき主を探すため、他の方々の目に留まるようお世話をさせていただいている」と公言している。
そうでなければ、旅の途上での客死を望むこの隠者が、この押し掛け従者の世話を受け入れることなど到底なかったことだろう。
「次の修道院にてお祀りされている聖リュカルク様は目の守護聖人。きっと奇跡をいただけるものと」
「……聖リュカルクはただの町酒場の主だ。店のチラシも自分で書いていた。暴徒に目を傷つけられたから目の守護聖人にされてしまうとは。酒の守護聖人ならまだ納得できただろうものを」
ファルネイア図書館はエルフ帝国時代の文書を数多く所蔵していたと言われている。そこで学徒として研究を重ねていた主様は、こういう些細な事柄についてもよくご存知だ。……たとえ今の状況を煙に巻こうとする意図があろうとも。
とは言うもののそれをそのまま指摘するのは従者として誉められた行いではなく、ただじーっと主様を見据えるだけにとどめた。
ただじーっと。
「……次の町にいる先の宿で行きあった連中に会いたくない」
従者の純心な視線に耐えかねたのか、主様はそうつぶやいた。
先の宿とした修道院の宿坊で宴会を始めた豪商がいて、やれ酌女がないとか騒ぐのを主様が「ごねる客には神も奇跡は売るまい」とやり込めたのだ。
同宿していた他の巡礼者たちには好評だったのだが、主様としては受け入れ難い記憶なのかもしれない。
「ご心配なく。忙しい方々故、主様のことなどすっかり忘れておいででしょう」
そのような己が不快になる方向性の考えは思いつかなかったのか、主様は一瞬目をむいた。
そして元の無表情に戻ると別の言い訳を口に出した。
「足が動かん。動けん」
「なるほど、それは困りました」
だが神は主様のささやかな抵抗をお認めにならなかった。
神の使いがその場に現れたからだ。
「おお、ちょうど彼方より荷馬車が。栄光ある学徒様のご用命とあれば末代までの誉れでありましょう。おおい!ファルネイア図書館学徒同盟きっての天才学徒様が」
「や·め·ろ!だ·ま·れ!」
……過去を捨て去りたい主様には過去の栄光はかなり「効く」。
双方無言の中、通りを荷馬車だけが悠々と通りすぎていく。
「……歩く」
「それがよろしゅうございます」
荷馬車が遠くに小さく見えるようになってから主様がそうおっしゃった。
今夜の宿まではまだ遠い。
※
修道院にたどり着いたのは太陽の光が赤みを帯びだす頃だった。
「そこに石碑がございます。どうやら修道院の由来が刻まれておりますようで」
「……どこだね?」
探るように伸ばされる主様の手を、そっと取って石碑に触れさせた。
主様は石板を一字一字無言のまま指でなぞる。……主様にはもはやそれらの文が読めない。
一度は学問の道を邁進していた主様だ。本来なら己の目で見たかったに違いない。
その姿が。
自分には未練がましく見えたのは気のせいだろうか。
「石碑の文章をお知りになりたいのですか?
よろしければお読みしましょうか?」
修道院の僧侶だろうか。通りかかった僧侶が声をかけてくれた。
主様は抵抗することなく、僧侶の配慮を受け入れた。
聖リュカルク様の業績については主様が乱暴にまとめたものとそう変わりはなく、新しい情報は出てこなかった。
主に成り代わり礼を言うのも従者の勤め。
こちらの礼の言葉に僧侶は手を振ってにこやかに答えた。
「お気になさらず。文盲の方に教えを説くのも勤めですので」
※
何処の修道院も貧しき巡礼用の宿坊は似たり寄ったりで、狭い宿舎、質より量の夕食、それを争って手に入れようとする人々に事欠かない。
この類いの争いの中から主様の夕食を都合するのが従者の務め。従者が都合せねば何食抜こうと気にしない主の場合は特に。
「貴方様、巡礼の発心の志は何処に?」と聞きたくなるような、夕食を取りに来る者たちの押し合い圧し合い。並ぶ列から弾き出された老婆を助け起こす少年を目の端で捉えながらも自分を守ることで精一杯。
待っていたはずの主は元の場所に居らず、見つけた時には件の老婆と宿舎の外だった。
「ごらんなさい。私が言ったように食事がきたでしょう」
「……主様、勝手に場所をお離れになっては困ります」
「だが今見つけている。先にこのご婦人に手持ちのものを渡してくれ」
「いえ、そこまでしていただくわけには……」
夕食を譲ろうとする主に、老婆とその孫は固辞する姿勢を崩さなかった。
「ありがたいですが、祖母を少し見ていただければ私がとってきますので」
「だが私は見えぬのでね」
孫の少年に上手いことを言ったつもりの主様が落ち込む前にフォローするのも従者の務め。
「盲人の掛詞を言われましても。
では、私がお持ちした分は老母様に、主様の分をお孫様にお願いするのでは?」
そこへ思いもよらず声がかけられた。
「おや、これは昨夜の学者先生では?」