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◇◇◇冷蔵庫無しチャレンジ1日目◇◇◇
「そういえばあの冷蔵庫、しばらく前から変な音してたよな?」
「してたしてた! ブーンとかコンコンとか――あれって、壊れる合図だったの?」
ことりと、首を傾げる杏。
「たぶん……母さんは『もう勤続10年だし、グチも言いたくなるよねぇ。お疲れ様』って、よく撫でてたけど」
気を使うポイントがずれている、天然な母親の言動を思い出し、腕組みした大雅がため息を吐く。
「冷蔵庫さんなりに頑張って、わたし達に教えてくれてたんだね?」
「だな? ありがと」
微かにまだ冷気の残る扉を、母と同じように2人は、そっと撫でた。
『上の階から水が漏れて、部屋が水浸しに!』という、以前テレビで見た『マンションあるある話』を思い出して。
とりあえず大急ぎで、キッチンの床掃除をしてから。
お菓子を端に寄せたリビングのテーブルで、家族共用のノートパソコンを立ち上げる。
「壊れたのなら、買い替えればいいだけだ。冷蔵庫、冷蔵庫……たくさんあるなー! げっ、22万円!?」
家電量販店のオンラインショップを開いた大雅は、思わずマウスを取り落としそうになった。
「知らなかった、こんな高いのか......6ドア? 5ドア? って、何でこんなにドアがいるんだ?」
ぐるぐると混乱する兄に、
「あっ、お兄ちゃん! これ3万以下だよ!」
妹が、弾んだ声を上げた。
「えっ、どれっ!?」
母さんから『非常用』に預かった、封筒の中身は3万円。
あと消費税と送料くらいなら、自分たちで何とかいける!
勢い込んで画面をのぞくと、ほとんど正方形の白い箱が、ちょこんと映っていた。
「1ドア、幅46㎝……杏これ、めっちゃ小さいヤツだよ」
「えっ、そうなの?」
「ほらここに引っ越す前に、泊まったホテル――部屋に小さい冷蔵庫あったろ? あれくらいのサイズ」
途中から早口になったのは、両親の別居が決まった時の事だったから。
商社に勤めている父さんの海外転勤が決まって、前々からの予定では家族揃って行くはずだったけど。
同じタイミングでイベント会社勤務の母さんが、大きなプロジェクトを任される事に。
家族で何度も話し合った結果、母さんと俺たちは日本に残る道を選んだ。
そして半月前、それまで4人で住んでいた広いマンションから、ここに移った時。
引っ越し業者との日程調整で、1晩だけ泊まったビジネスホテル。
「あれかぁ……うん、ちっちゃかった、ちっちゃかった」
うんうんと頷く妹に
「やっぱり買い替えるのは、母さんが帰ってからにしよう!」
きっぱりと、兄が言い切った。
「えーっ、1週間も冷蔵庫無しぃ? ママに連絡したら、おじいちゃん達が買ってくれるかもよ?」
確かに、埼玉に住む母方の祖父母が知ったら、すぐ飛んで来て買い替えてくれるだろう。
その代わり、母さんがきっと叱られる。
『無責任だ』とか『子供の事を、もっと考えなさい』とか。
『別居する』って、報告した時みたいに。
「それに、パパだって……」
もごもごと、口の中で呟く杏。
「うん、だよな?」
父さんだって、文字通り飛んできてくれる――かもしれない。
転勤先のカナダから、飛行機で。
「とにかく、ここは無人島でも外国でもないんだ。
スーパーだってコンビニだってあるし――明日には楓ちゃんが来るし!」
「そっか――そうだよね? いざとなったら、楓ちゃん家に避難すればいいんだし!」
『楓ちゃんの部屋……「服でも何でも出しっぱなしで、足の踏み場も無い」って母さんが、文句言ってたけどな?』
けろりと前向きになった妹と、心の中で冷静に突っ込む兄。
「まずは冷蔵庫の中を整理して、今日中に食べなきゃいけない物と、処分する物を分けて……あっ、冷凍食品は明日まで大丈夫か? いやでも危険は避けたいな」
ぶつぶつと今後の計画を練る、生真面目な兄の横で、
「ちょっと待って。片付けするなら、着替える! これお気に入りだもん……」
マイペースな妹は、以前父に買って貰ったカットソーの裾を、宝物のようにそっととつまんだ。