【番外編2】あまつかぜ 後編
「おうっ」
と乃愛に軽く左手を上げて、そのまま体育館に向かおうとした所を、
「お兄ちゃん――ちょうどよかった! こっち来て!」
妹の杏に手招きされて、脇のスロープからベランダに上がって来た立花大雅。
「何だよ――あっ」
家庭科室を窓から覗き込み、乃愛と杏の後ろに、咲花がいる事に気が付く。
ぱっと口からストローを外し、ピンクのイチゴが描かれた可愛い紙パックごと、右手を後ろに隠した。
気まずそうな兄の様子に、にまにましながら話しかける妹。
「ママが、『今夜は遅くなりそうだから、お夕飯は2人で食べて』って言ってたでしょ? ちょっと本屋さんに寄りたいから、わたしの分も買っといて! お兄ちゃんと同じのでいいから」
「じゃあ……牛カルビ丼とチキンカレーだったら、どっちがいい?」
「カレー!」
ここ数年で『辛い物が苦手』を克服した杏が、元気よく答える。
「了解。あんま遅くなるなよ?」
コンビニの新作カレーを脳内にメモした大雅が、心配そうな声で念を押した。
「はぁーい!」
嬉しそうに返事をする妹の横で、
「タイガー……じゃなくて、タイガさんの、それ何? ソーキュート!」
『先輩呼び捨て、ノー!』と、杏に注意されたばかりの乃愛が、呼び方を修正しながら、ピンク色の紙パックを指さす。
「『いちごオ・レ』……今日は牛乳、売れ切れだったから」
『たまたまだ』と、憮然とした顔で言い張る大雅。
「お兄ちゃん結構、甘いドリンク好きなんだよねー? そうだ乃愛、中庭に自販機あるから、一緒に見に行く?」
杏の誘いを受けて、
「行く行くー!」
と勢いよく両手を上げる、新入部員。
「部長! ちよっとだけ、行って来ていいですか?」
「ちょっとだけ、だよ?」
「「はーい!!」」
きゃっきゃと、子ウサギのような1年生たちが走り去った後、
窓越しに向き合う3年生2人に、ぎこちない沈黙が落ちた。
「えっと――高木さん、久しぶり?」
「うん、久しぶり、立花くん! クラス違うと、中々会わないよね?」
3年のクラス替えで初めて、別々の組になった2人。
小学5年生の夏からこの春まで3年半、いつもどんな会話をして、どんな顔で笑い合っていたのか、もう良く思い出せない。
「えっと、乃愛ちゃんに『タイガー』って、呼ばれてるんだ? びっくりしちゃった」
少しモヤモヤしている気持ちを、胸の奥にぎゅっと隠して、明るく尋ねると、
「あー、うん。この前、家に遊びに来た時から。『兄さんに似てる』って、何かなつかれた」
右手を首の後ろに当てた大雅が、照れくさそうに答える。
「お兄さん?」
「オーストラリアのおじいさん家に、学校の都合で残ったんだって」
「そっか海外だと、兄妹でも『名前呼び』だよね?」
うんうんと頷ける説明を聞いて、なぜか自分がホッとした事に、咲花が心の中で首を傾げたとき。
「わっ――!」
いきなり家庭科室に、びゅっと強い風が吹き込んだ。
思わず顔を伏せて、肩までの黒髪を両手で押さえ込む。
窓の外の生垣がざわめく音に、続けて来る風に身構えていると。
何故か自分を避けた強風が、脇に寄せたカーテンを大きくはためかせる。
「あれっ……?」
顔を上げると、左手で横の窓枠をがっと掴み、こちらを庇うように、180近い長身を傾けた大雅の、ダークブルーの瞳と目が合った。
「大丈夫?」
至近距離で低く囁かれ、じわりと頬が熱くなる。
『ふわぁっ――私の幼馴染が何だか、ファンタジー小説に出て来る、騎士様みたいなんですけどっ!』
まるでライトノベルのタイトルみたいな状況を、あわあわと心の中で口走ってから。
「うっ、うん……ありがと、立花くん」
「どういたしまして」
平静を装い何とかお礼を言うと、少し照れたように答えて、さっと身体を離す幼馴染。
『さっすがお父さんが、イギリス人とのハーフだけあるなー!』
身体に染み付いているらしい、『レディファースト』に感心しながら、
「えっと……あのね、さっきみたいの、『天津風』っていうんだよ?」
赤くなった頬を誤魔化すように、咲花が告げた。
「『あまつかぜ』?」
「そう! 空高く、吹き抜ける風のこと。この前、おばあちゃんに教わったんだ」
「へぇ――さっすが、ばあちゃん! 何でも良く知ってるなぁ」
ははっと目を細めて嬉しそうに、大雅が笑う。
久しぶりに見た、あんまりいい笑顔だったから。
「おばあちゃんも、立花くんに会いたがってたよ。そうだ! 今夜うちに、お夕飯食べに来ない? 杏ちゃんと一緒に」
もっとずっと、見ていたくて。
『おばあちゃん』を言い訳に、思わず誘っていた。
「いやいや、急じゃ悪いだろ?」
「全然! 今夜のメニューは、おばあちゃんと作る『野菜たっぷりのキーマカレー』! コンビニのよりは、美味しいと思うよ?」
「……ホントに、ご迷惑じゃない?」
「ないないっ!」
にかっと答えると、嬉しそうに照れた様に笑い返して来た。
「じゃあ、部活終わって一度帰ってから――6時半頃で大丈夫?」
「うんっ、大丈夫! バレー部、頑張って」
「そっちも」
いちごオ・レをズッと飲み干しながら、体育館に向かおうとした幼馴染の背中に、
「また後でね――大雅くん!」
初めて名前で、呼び掛けた。
ぴたりと足を止めた、バレー部副部長。
思わず力の入った右手で、空っぽの紙パックが、ぎゅっと握り潰される。
『あれって、ガッツポーズ? ――の訳無いか。つい勢いで、乃愛ちゃんの真似しちゃったけど。変じゃなかったかな?』
ドキドキと様子を伺う家庭科部部長に、くるりと振り向き、まるで県大会の決勝に赴く様な、真剣な顔で目を合わせて、
「またあち、後で――はなさ、咲花ちゃん」
噛みながらやっと、大雅が返した『名前呼び』。
呼ばれた咲花は胸の奥に、強く甘い風が、吹き抜けた気がした。
読んでくださってありがとうございます!
番外編は4まで、引き続き更新しますので、よろしくお願いいたします。