日曜日―後編―
その日の夜。
コンコン。
控えめなノックの音。
「はーい」
ガチャ。
ドアが開いて、そこにレクが立っていた。
「そろそろお風呂の時間だけど……」
「あ、もうそんな時間か。ごめんすぐ終わるから」
「……ん」
宿題の最後の問題を書き切る。
視線を切ってレクを見た。
と、両手を後ろにして待ってくれている。
「一緒に入ろう」とまでは言わず、ただ黙ってそこに居るレク。
素直になれない反抗期可愛くて、笑みが零れそうになっちゃう。
「今日もレクとお風呂入りたいんだけど、どう?」
「……いいよ」
こくんと頷くレク。
「ふふっ、いつもありがとう」
「……別に。用意してくるから」
と、そっけなく去って行く。
ちなみに、あれから断られたことは一度もない。
それでも毎回私から尋ねることにしてる。
一年前みたいになるのも嫌だから。
――レオとかチィとかビィとかスォーみたいに、真っ直ぐ好意を伝えてくれるのも嬉しいけど。
ただ『呼びに来て、居るだけ』って態度で示してくれるのもまた、じんわり染み渡るように嬉しい。
今後成長して完全に反抗期を抜けたら、普通に「一緒にお風呂入ろ」とか誘われるようになるんだろうか。
そうなったら、逆にガッカリしちゃうかもしれない。
というのが、今の懸念事項である。
――いやいや、普通におねだりしてくれるのも、それはそれで可愛いのでは?
というか何しても可愛いとか、反則じゃない?
妹ってズルい。何しても可愛い。
たとえ元魔王だろうが、姉に生まれた時点で、どうやっても抗えないのかもしれない。
「……なにしてるの。早く用意してよ」
気付いたらレクが着替えのパジャマを持って、また私の部屋の前に居た。
「え、あ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「先行くよ」
「待ってよー」
急いで用意して、レクの後を駆け足で追った。
†
レクの体も洗い終え、二人で湯船に浸かる。
今朝スォーと入ったぶり。
レクはすっかり、完全に私に身を預けてくれるようになった。
「そういえば、夕方くらいにトキアさんと連絡取ったんだけどさ」
――神恵邸に居るとき、モールのことや、ホムラにとって死んだことになっていること等を報告したのである。
「フリースクール? 的なところに通うようになったんだって」
「ふうん」
「フリースクールってわかる?」
「学校行けない子とかが行くところでしょ?」
「そう。小学生から高校生まで、幅広い子といろんなことするんだって」
「いろんな人と関わろうとするのは、良い傾向ね」
「『お姉さんのせいで自殺できなくなって、吹っ切れた』ってさ」
「……凄いねお姉ちゃん。そうなるって分かってて、自殺できなくさせたんでしょ?」
「後ろ向けなくさせれば、前しか向けないだろう、とは思ってたよ。もちろんフリースクールとは予想してなかったけど」
「まあ、元気でやってるみたいで良かったわ」
その声には、安堵と優しさが込められている。
きっとトキアさんの顔や思い出が、今レクの頭の中に巡っているんだろう。
「今度、トキアさんに会いに行こうか?」
「……? いいけど、なんでまた?」
「レクが会いたいかな、と思ったんだけど」
「お金どうするの? 往復なんて、私たちのお小遣いじゃ無理だよ」
「ゲート使えばいい。もうそろそろ、直通のが開くらしいし」
「私通れないけど」
「ペロからタネでももらえば良い。
というかそもそも、ピュアパラじゃなきゃ入れない、ってのもあやしい。
引退した人も入れてるし」
「どこでもドアみたいな使い方して良いのかな……」
「別に良いでしょ。私が良いって言えば良いの」
ヴァイオレット曰く、あそこに法律なんて無いんだから。
「……でも、タネって天界だか精霊だかが選んだ子に上げるんでしょう? 本当に私がもらえるの?」
「ペロに聞いてみる。多分大丈夫だと思うけど」
「なら、まあ……。顔見に行くくらいは、良いかもね」
少しだけ弾んだ、レクの声色。
半分だけ振り返った口角が、僅かに上がって。
――やっぱり、近い将来、この子は離れて行っちゃうんだろうな。
なんて、察してしまうのだ。
(ホント、トキアさんにはレクを幸せにしてもらわないと……)
「……いいや、やっぱやめとく」
と、急にレクが言ってること撤回した。
「……? 急にどうしたの?」
「だって、お姉ちゃん今、ちょっと寂しそうな顔したから」
心臓がすくみ上がる。
ゾワゾワ、と悪寒すらしだす始末。
――割と本気でエスパーじゃないのか、この子は……?
私の顔なんて変わったとしても一瞬、しかもレクは半分しかこっちを見てなかったはずなのに……
「……そんな顔したつもり無いけど、なんで?」
「あれでしょ? 私が離れていくとか、また思ってるんでしょ」
「……いやまあ、一瞬思ったけど。本当に一瞬だけ……」
「ならいい。お姉ちゃんの寂しそうな顔、トラウマだし。
少しでもそうなっちゃうなら、行かない」
間。
気持ちを察してくれた嬉しさとか。
寄り添ってくれる優しさとか。
姉なのに、妹に気を遣われた悔しさとか。
妹なのに、姉を優先して気持ちを押し殺そうとした怒りとか。
そういったいろいろが、胸中でごちゃ混ぜになった。
「ああもう! 優し面倒いなこの子は! そういうとこも好きだけど!
じゃあもうこうしましょう。私がトキアさんに会いたいから行くの!
そこにレクを連れて行きたいから連れて行くの!
それでいい!?」
「私はシスコンお姉ちゃんのために言っただけなのに、なんで怒られるのよ!」
「だからそういうとこは好きって言ったじゃん!
でも私を優先しすぎて自分の気持ちに蓋するとこはキライ!
レクはもしかして、私に負い目があるかもしれないけど……私は本気でどうでもいいんだから!
レクが楽しく幸せに生きるのが一番、私も楽しいし幸せなのよ!」
「……それで私がお姉ちゃんと離れちゃっても?」
「もちろん、それでレクが幸せなら。
さみしさなんて、いくらだって我慢できる。
私のシスコン具合を舐めないでくれる?」
「……ああ、分かったなるほど、そこがズレてるんだ」
「ズレてる? なにが?」
「お姉ちゃん多分勘違いしてる」
「なにを?」
「私、今はトキアさんよりお姉ちゃんの方が好きだよ?」
不意打ち過ぎて、心臓がバクン、と、びっくりするくらいの音で鳴った。
「私目線『一番好きな人を蔑ろにして二番目を優先しろ』って言われたから、抵抗してたの。
お姉ちゃん、私が一番好きなのトキアさんだと思ってたでしょ?」
「……いや、そりゃそうでしょ。
ついこの前まで、私のこと嫌ってたから……」
「嫌ってたけど。トキアさんと戦った後、言ったじゃん。
元々大好きだったけど、反抗期? 的なのが来ちゃって。
でも、トキアさんのこと助けてくれて、また戻った、って」
「……それはそうだけど。でも、まさかトキアさん以上とは思わないよ」
「……それは、ごめん。
私、態度悪いから。勘違いさせちゃったんだと思う」
ぐっ、と背中を私に押しつけてくる。
すう、と少し深めに息を吸って。
「お姉ちゃんが世界一好きで、世界一尊敬してる。
ひどいこと言ったり、ひどい態度取ってたのに、毎日お風呂とベッドでぎゅってしてくれるお姉ちゃんが大好き。
お腹刺されたのに、当たり前のようにトキアさんを心配できるお姉ちゃんを、心から尊敬してる。
トキアさんに嫉妬しちゃうくらい、私のこと好きでいてくれるお姉ちゃんが、私も大好き。
時々じゃれてくるの、実はけっこう嬉しい。
……しつこいと、ちょっと嫌な時もあるけど。
お姉ちゃんが居ないお風呂もベッドも、もう考えられない。
……だから、お姉ちゃんこそ、無理しないで。
トキアさんのことも確かに好きだし、人生観を変えてくれた人だけど……。
でもお姉ちゃんが、尊敬も好意も全部、ぶっちぎりで一位です。
これからも、私の一番をお姉ちゃんにさせてください」
耳まで真っ赤にして、顔を覆うレク。
「……死ぬほど恥ずかしい。
もうこんなの、月に一回しか言ってあげないから」
私は、ただひたすら、今の言葉を頭の中で反芻して……。
「……月一回でも、サービスすぎるよ」
くらいしか、返してあげられなかった。
「じゃあ、二ヶ月に一回ね」
……言わない、って選択肢を出さないレクが、ただひたすらに愛おしくて。
思い切り抱きしめて、少しだけ、泣いちゃった。
†
その後、寝る時間になり、二人で一緒にベッドに入る。
今日はレクのベッド。
私の胸の中で、安心しきったように寝息を立てている。
可愛くて、賢くて、反抗期だけど、私のこと好きで居てくれる。
そんな妹の寝顔を見てるだけで、幸せでしかない。
……ふと。お風呂で言われたことを思い出して、想像してしまう。
――レクの反抗期が終わったら。
色々と、どうなっちゃうんだろう?
(反抗期がもし、私への好意や尊敬を押さえているのだとしたら……?)
――ますますレクの成長が怖いような、楽しみなような。
待ちきれないような、このままで居て欲しいような……
私の心はもう、レクにぐちゃぐちゃにされっぱなしの一夜だった。
この世界に転生してから……。
いや、前世を含めても。
今日ほど、幸せだった一夜はない。
(間違いなく、私が世界で一番幸せな姉だ、って断言できる)
レクになら、もっとぐちゃぐちゃにされたいし、してほしい、と願うくらい。
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