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首から噴き出す、妖力を纏った血の奔流。
流石に浴びる気にならず、後ろに飛んで距離を取った。
背後にレクを庇うような位置になる。
「……これ使った後は倒れちゃうから、あんまり好きじゃないんだけど。仕方ない」
ゆっくり立ち上がるフィアーの左半身は、血の鎧が覆っている。
首から伸びる血鎧が、やがて左手首の傷口と繋がって、一振りの戦鎌を作った。
「もう一度言うね、ブレイド。私は、あなたを、殺しに来たの。
助けるとか救うとか、そんな戯言でどうにかなる日々は終わったのよ」
立ち上る妖力が、禍々しい瘴気になって目に見え始める。
その強大な妖力は、けれどソラと違って炎に変化したりしない。
それは緻密に正確に、自分の妖力を完璧に制御できている証拠だ。
(あ、ありえません……。こんな膨大な妖力。いくら血を媒介にしたと言っても、人間が扱える量を遥かに超えている……)
震える声でスォーが呟く。
魔力で作られた彼女は、自分との格の違いをダイレクトに感じているのだろう。
(……だから、『成功作』……なのかな)
――ただ、単に本人の才能な気もするけれど。
再び薙刀を構える。
「いくら変化してるとはいえ、そんなに血を失っていいわけない。私が救うって言ってるんだから、諦めて救われなさい」
「……生意気。まあ、姉妹揃って、可愛いところだけど」
(主様、あれは無理です! いくらなんでも人間の身では受け止められません!)
「これなら、武器破壊は私ごと斬らなきゃダメでしょう!?」
跳躍。
その速度は私に勝るとも劣らない、知覚外の神速。
右下から襲い来る血鎌。
後ろに飛んで回避。
コンクリートを砕きながら、血鎌が私の目の前を素通りした。
……が、血鎌が巻き上げたコンクリートの瓦礫。
その大きな破片が一つ、レクに向かって真っ直ぐ飛んでいく。
「……えっ?」
反応できず、身動きも取れず、ぼんやりとそれを見つめるレク。
「レク!」
右腕を伸ばして、薙刀で破片を防いだ。
無理にそんなことしたから、私の体は伸びきって隙だらけ。
すぐ目の前には、鎌を構え直してるフィアー。
直後に襲ってくるだろう一撃を覚悟して、目を閉じた。
「……?」
が、数瞬待っても、来るはずの攻撃がやってこない。
目を開けると、フィアーは鎌を構えたまま、私の前に立っていた。
視線が合う。
「……くっ!」
思い出したように、フィアーは戦鎌を振り下ろしてきた。
右に飛んで避け、再び距離を取る。
再びお互いの射程外で見合う。
(……今の……?)
――レクが心配で攻撃が止まった?
いや、それにしては私を真っ直ぐに見ていた。
――私を『殺す』と言った彼女が、恰好のタイミングで、棒立ちしていた。
……それは、つまり……
「……早く死んでよ。さっさとあなたを殺して、レクちゃんに無理矢理朝ご飯作らせて、血を補給しなきゃいけないんだから」
血鎧が左頬を昇り左目に辿り着くと、仮面のように隠して覆っていく。
(……うん。多分、そういうことだ)
(どういうことですか……?)
(今に分かるよ)
スォーに答え、再び意識をフィアーに向ける。
「……そうね。早く終わらせて何か食べた方が良い。
レクはきっと進んであなたの朝ご飯を作るし、私も支度を手伝うから」
「……そろそろ可愛くないよ、お姉さん」
フィアーの傷口から流れ出る血は増えていき、鎧も鎌も見る見る大きく、密度も上がっていく。
「うああああああああああ!」
咆哮。
フィアーの姿が消えて、すぐ目の前に。
左手の先から無数の針が、うねうねと伸びて私を襲う。
避けて踏み込んで、脇構えから切り上げ。
それをバックスウェーで躱しながら、左手を振って戦鎌の先端を伸ばすフィアー。
あまりに素早い反撃に知覚追いつかず、私の左脇腹に突き刺さった。
――まるでトラックが全速力でぶつかってきたかのような衝撃。
「うあぁっ!?」
(あ、主様ぁ!!!)
吹き出した私の血が、血鎌を鮮やかに染める。
フィアーはそのまま左腕を挙げて、戦鎌で突き刺したまま私を空中に持ち上げた。
「ぐぅ……」
重力で食い込む戦鎌を抜こうと、なんとか左手で掴む。
けれどやはり、ビクともしない。
直後、左腕が勢い良く振り下ろされた。
私の全身がコンクリートに叩き付けられる。
(主様、主様っ!)
衝撃で戦鎌が抜け、私の体は二度、三度と屋上をバウンド。
「お姉ちゃん!」
レクの悲鳴のような叫び声。
――レクにそう呼ばれるの、一年ぶりだ。
最後に給水塔にぶつかって、私は止まる。
(……スォーの言う通りね)
――斬首の方は、人間辞めてるレベルだわ……
今の私ですら見えないなんて。
妖力もさることながら、本人の戦闘能力も高い。回避しながらあんな鮮やかに反撃されたの、前世含めても数えるくらいだ。
これが、『死』のフィアー。殺人能力第1位の本気か。
平衡感覚が戻らず、頭がクラクラする。
左脇腹が燃えるような熱を持って、出血が止まらない。
(主様、主様……)
完全にパニック状態のスォー。
「……言わんことじゃない。殺さない、なんて甘いこと言ってるから、そうなるのよ」
ゆっくりとこちらに歩いてくるフィアー。
(主様、一度撤退を! ヤツは単独で戦うべきではありません! ナナ様とソラ様に応援を……)
「……じゃあ、なんで今、殺さなかったの?」
スォーを無視して、フィアーに言う。
左脇腹を押さえながら、なんとか立ち上がった。
「……あなたなら、あのまま内側から血の針を伸ばして、八つ裂きにするでも、内臓ズタズタにするでも、できたでしょ。なんで、私のこと、離したの?」
「……別に。ただ勢いで外れちゃっただけ」
「嘘。それだけの妖力を完璧に制御できるあなたが、そんなミスするわけ無い」
「……なにを言ってるの? お腹に大穴開けられたのよ?
そんなこと気にする意味な……」
「あなた、私を殺す気なんて無いでしょ」
フィアーの動きと言葉がピタリと止まる。
「レクを拘束しておいて、人質に取らない。
瓦礫を壊して隙だらけの私を攻撃しない。
変幻自在の血を突き刺したのに、さっさと離す。
明らかに立つのがやっとなのに、喋って回復の猶予を与えてる。
……これだけ続けば、流石に分かるよ」
「おめでたいね。どこまで平和ボケしてるのか……」
「まだ認めないの? ……まあ、でもそうか。
この状態じゃ、ただの負け惜しみに聞こえちゃうかもね。
だからやっぱり、さっきも言ったとおり。
私が圧勝して、もう一度同じ事を言ってあげる」
小さく呼吸をして、薙刀を持ち上げた。
「この殺し合いは、私が全員救って、おしまいよ」
「……顔真っ青にして、なに言ってるんだか」
「血が足りないのはお互い様でしょう?」
「……私はレクちゃんのご飯のお陰でまだまだ元気だから」
「そう。なら私は、レクの師匠であるお母さんのご飯で元気いっぱい」
「…………はあ」
呆れたようにフィアーが左手を下げる。
「もう良い、分かった」
そして右手を、自分の首と同じ高さに持ち上げた。
その手には、匕首。
「斬死。――咲かせ、生命と血の華束――」
フィアーが匕首を右の首筋に突き刺す。
(嘘だ……まだ、これ以上が……)
「出し惜しみなしよ。……まだ甘っちょろいこと言ってる、あなたが悪いんだからね」
匕首を抜いて、首の右からも血を流しながらフィアーが見下ろす。
「……またそんな傷作って。痛々しくて、見てられない」
姿勢低く構えて、そんな彼女を見上げた。
新しい血は襟の下に潜り込み、そのまま右腕の先まで行き渡る。
こちらは巨大な鉤爪のようになって、右手と匕首を覆って形成されていった。
それによって襟元が大きく広げられ、ほとんどはだけてしまう。ちょっと色々、危ない。
本人は気付いていないのか。気付いていて、どうでもいいのか。
静止。
遠くで飛行機の音。
鳥の鳴き声。
最初の一歩は、二人同時に。
知覚外の神速 VS 知覚外の神速。
人智を超える超威力 VS 人智を超える超威力。
レクの涙目に見られながら、私たちの最後の攻防が始まる。
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