心の奥底に残る五寸釘
思いつきで書きました。
子供の頃から、ずっと俺は呪いに掛かっている。
かつて幼馴染みの彼女が掛けたその言葉は、俺の心の奥深くに抜けることのない五寸釘を残した。
幼いあの日、俺と君は深夜一時に、住宅街の中にある小さな神社へと忍び込んだ。
勿論、親には無許可だ。バレれば大目玉を食らうことは容易く想像が出来る。
「こっちこっち!早く来て」
長い黒髪とふわりと純白のスカートを揺らしながら、彼女は楽しそうに笑う。まるで、彼女自身から光が発せられているかのように橙色の街灯が爛々と彼女を照らす。
触れてしまえば消えてしまいそうな儚さが、確かにそこにはあった。
「ま、待って。置いていかないで!」
アスファルトに転がる石を不本意に蹴飛ばしながら、俺は彼女の後ろ姿を追いかける。静まりかえった神社には、鈴虫の鳴き声と俺達のはしゃぐ声以外に響く音は何一つ無かった。
やがて、俺達は明らかに存在感を放つ、大きな巨木の前に立つ。
木の幹に触れながら、彼女はくるりと俺の方に振り返った。
「ねえ、この木とかどうかな?」
「うん、良いと思う!」
彼女に賛同するように俺は大きく頷いた。
「やった!」と可愛らしくガッツポーズする彼女。
やがて肩にぶら下げた可愛らしいポーチから取り出したのは、15cmほどの長さの釘と木槌だった。
人の目に見つからないように木陰の方に回り込み、釘を添える。釘の先端部に添えられたのは、一通の手紙だった。
「ね、ほんとにやるの?」
急に怖くなった俺は、おずおずと彼女に尋ねた。しかし、彼女は真剣な表情で迷い無く答える。
「……うん。だって、やっぱり許せないもん。私、引っ越したくないよ……」
そう言って、彼女は手紙を固定するように釘を打ち付ける。
一振り、また一振り。静寂に潜まった真っ暗闇に染まる神社の一角に、ただ彼女が釘を打ち付ける音だけが響く。
俺は、それを止めることは出来なかった。
明日、彼女はこの街を立つ。
彼女の父親が経営する事業が上手くいったらしく、より発展させるべく拠点を新たに構えるらしい。
だが、彼女からすればそんなこと知ったことでは無かった。
ここに居たい、お父さんだけで行ったら良いじゃん、と泣いて父親に反発した。
母親にも行きたくない、俺の家の子になる、と言って困らせていたらしい。
現実は、あまりにも彼女に冷たすぎたのだ。どうしようもない大人の事情に巻き込まれた彼女は、まるで世界に反発するようにこうして神社を訪れていた。
そんなことを思い出していたが、やがて追憶は釘を打ち付ける音に塗り重ねられる。
徐々に、釘を打ち付ける彼女の肩が震え始めた。
「嫌だ……行きたくないよ……、この街を離れたくない……」
まるで俺達だけが世界から切り離されたような神社の一角には、彼女がすすり泣く声が静かに響く。
俺はどんな言葉を掛ければ良いのか分からない。ただ、黙って彼女の後ろ姿を眺めるより他なかった。
やがて釘を打ち終わった彼女は、くるりと俺の方を振り返る。
巨木の、恐らく人目に付くことは無いであろう木陰の一角に、手紙と五寸釘が打ち付けられていた。
「ね、■■くん。ね。私がこの街に帰ってきた時まで、この手紙は置いていて欲しいの」
「……うん」
「私が帰ってきた日に、読んで欲しいんだ」
どうして、彼女がそんな約束を交わすのか分からない。
ただ、漠然とこれは彼女が自分自身に掛けた”呪い”という事だけは分かっていた。
そうして、彼女は俺と引っ越し前日の夜に、消えることのない呪いを刻む。
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あれから、どれくらいの月日が経ったのだろう。
「■■君!ごめんここ分からないんだけど、教えて貰ってもいい?」
「あー……ここな?確かに分からないよな。良いよ、放課後で良い?」
「ほんと!?助かるー、お礼にジュース奢るから!!」
あの日彼女と別れた時から俺はまるで、何かに取り憑かれたかのように勉学に励むようになっていた。
その努力が実を結び、俺は県内有数の進学校に受かることが出来たのだった。
日々頑張っていると、周りの人達が俺を頼ってくれることが増えるようになり、俺は更にそんな期待に応えるように努力する。
そして、俺の努力の先に見出していたビジョンは、たった一つだけだった。
「いつか、君を迎えに行くよ」
しかし、結論から言えば俺のビジョンは叶うことは無かった。
「あー、この学校始まって以来初めてのことだが……今日から転入生の人が入ることになった」
教師の男が告げた言葉に、教室内はどよめきだつ。県内有数の進学校に、転入生とはどれほどの才覚を持っていれば可能なのだろうか。
少なくとも、その辺の人達では実現不可能な話なのは誰であっても、容易に想像出来た。
教師は入口のドアを開け、「入って良いぞ」と廊下に向かって声を掛ける。
やがて入ってきた者の姿に、男子生徒は特に鼻の下を伸ばした。女子生徒の一部は何か正体不明の敗北感に目を逸らしているのが伝わった。
ストレートの艶やかな黒髪の、すらりと背筋の伸びた彼女。
まるで、彼女を取り巻く空間だけが別次元の世界のようだった。
「初めまして、皆さん」まるで演劇のワンシーンのように、透き通る声が静寂に満ちた教室内に響き渡る。
「本日から転入することとなりました――」
彼女が名乗った名前は、俺の記憶しているあの白いワンピースの少女と、同一の名前。俺に呪いを刻んだ彼女と、同じ名前。
しかし、あまりにも彼女の存在は異質のそれへと変化しすぎていた。
彼女の姿を直視することが出来ず、俺はどこかやり過ごすように外の景色を眺めることしか出来ない。
――所詮、幼い日の約束だ。向こうは俺の事なんて覚えちゃいないだろう。
どこか、自分に言い聞かせるように。刻まれた呪いを打ち消すように、俺は自分の心の奥に深く五寸釘を打ち込んだ。
ただ、それとは別に彼女との幼い日の約束だけは果たさないといけない気がした。
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本日の授業も終わり、俺はさっさと鞄を纏めて教室を出ることにした。
ちらりと、件の転入生の方を見る。すると案の定というか――前例のない転入生、しかも容姿端麗と言うこともあり、彼女は好奇心に満ちた生徒達に囲まれているのが見えた。
「まあ、そうだろうな」
所詮俺も一生徒に過ぎない、あまり過干渉になるのも良くないだろう。
そう自分に言い聞かせて、俺はどこか早歩きで教室を出る。
「あ、■■くん――」
だから、背後から聞こえた俺を呼ぶ声も、きっと気のせいなのだ。
思い出の神社は、訪れる人も年々少なくなり草木が伸び始めていた。俺は伸びきった雑草の中を、落ちきっていない朝露で制服が濡れることも厭わずに進む。
その先にあったのは、あの日から変わらずに存在感を放ち続ける巨木。
「確か、この辺りだったよな……」
明らかに傍から見れば不審者の様相だが、そんなことも厭わずに巨木の木陰に鳴っている部分を念入りに観察する。
やがて、朝露に濡れてふやけた、橙色に一部変色した手紙が釘に固定されていたのを発見した。
俺は力任せに釘を引き抜き、その手紙を手に取る。
木漏れから差し込む日差しが、『■■へ』と型崩れした字体を照らす。
「一体、あいつは何を書いたんだ」
封筒が破けないように、慎重に手紙の封を開けようと手を伸ばす。
しかし、その手紙は突如誰かに奪われた。
思い切り手紙を奪われたものだから、俺は驚きよりも呆然とした様子でその手紙強奪犯を一目見ようと振り返る。
そこにいたのは、今日学校にやってきた、前例のない転入生だった。
彼女は、どこか涙目で耳元を赤くし、俺の方を敵意にも似た目つきで睨む。
「……だめ。読んじゃだめ」
幼い日に関わっただけの、いまやただの一生徒に過ぎないはずの俺を、じっと睨む彼女。
ただ、その姿も夕日に照らされる姿はドラマのワンシーンのようにも思えた。俺は、そのドラマの演者の一人になった気分でわざとらしくおどける。
「何でだ?黒歴史でも書いてんのか?」
「……そうじゃない、でも、読まないで……」
理由も言わずに、彼女はただ首を横に振り続ける。
過去に刻まれた呪いも解くことが出来ない俺は、心のどこかに苛立ちを覚えるのを隠すことができなかった。思わず溜息を零す。
「ああ、そうかよ。じゃあ別にいいよ」
既に関心を失った彼女の脇を通り抜けるようにして、俺はその場を後にしようとした。
「待って……!」
そう言って、彼女は去ろうとした俺の制服の裾を強く掴む。くしゃりと、制服にシワが寄った。
思わず、驚いたままに彼女の方を振り返る。雑草が生い茂る中に立ち尽くす彼女は、涙に濡れた顔を、ずいと近づける。
俺と君の距離は、おおよそ15cmにまで近づいた。吐息が交わるほどの距離にまで近づいた彼女に、おもわず俺はたじろぐ。
「な、何だよ。所詮俺はただのクラスメイトだろ」
「違うのっ!!違う、違うの……」
彼女は長い黒髪を大きく振り回しながら、俺の言葉を否定する。
ただひたすらに俺の言葉を否定するばかりで、何が言いたいのか分からない彼女に、俺の心の内に秘めた苛立ちは隠せなくなる。
やがて、それは針を突かれた風船のように、大きく弾けた。
「何が違うんだよ!?何が駄目なんだよ、言わなきゃわかんねえだろ!俺はただ、約束を果たそう……と……」
感情の奔流に任せるがままに、彼女に思いの丈をぶつける。だが、やがて喉に何か異物を突っ込まれたかのように言葉が出なくなった。
気付けば、俺は泣いていた。頬は熱く、心は強く締め付けられたように苦しくなる。
俺は制服の襟をぐっと掴み、涙に潤んだ視界で彼女を睨むしか出来なかった。
ただ、呪いを解きたいだけなのに、更に心の奥底に渦巻く呪いはより一層俺を包み込む。
それでも、彼女は何も言わない。
その代わりに、彼女は俺に強く抱きついた。
二人の距離は、0cm。
「――!!」
時間が、止まった。
しかし、実際に時間が止まったわけではない。俺達を取り囲む、草木のざわめきは延々と風に揺れる度にハーモニーを奏でる。
照らす夕日は、時々雲に隠れ、不規則な光源を生み出していた。
一体、どれほどの時間をこうしていたのか分からない。
呆然と立ち尽くす俺から、頬を真っ赤に染めて俯く彼女がその体を離す。
やがて、流れる黒髪を大きく揺らし、彼女は真っ直ぐに俺を見た。
「もう、絶対に離れない。離さない」
彼女は再び、俺に消えない呪いを刻んだ。
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■■へ
もし、私が君のことを忘れていたらこの手紙を私に見せてね。
そしたらきっと、私は君のことを思い出すから。
大好きだった、君のことを。
でも、君がこの手紙を忘れていたら、私が君を思い出させるよ。
絶対に、この想いは消えさせはしないから。
おしまい。




