電車の中で読むのはお勧めしない
実体験をもとに昔文章化したものを、校閲掲載
10年もたつと少し成長した気がします。
私小説ですがタイトルにあるように、電車で読むのはお勧めしません。
私の朝は早い、ローカル線を利用しているせいか埼玉の僻地に住み横浜まで通う2時間半の道程、通勤時間は無駄?とんでもない。
私はそうは思わない、わざわざ必ず始発のあるルートを通るようにしているため基本座っている。唯一の欠点は腰に良くない。ということだけだ。
そして、2時間半もの時間有意義に過ごすためには、小説や携帯ゲーム機を必携している、それは暇つぶしの道具?と思われるかもしれないが、それもまたそうではない、小説は全く違う人生を与えてくれるし、携帯ゲーム機は普段では味わえない体験を与えてくれる、そう思って利用することが有意義な時間の過ごし方であるし、コンテンツ提供者への敬意の払い方である。
黙々と、淡々と、粛々と、そしてがたごとと、有意義な2時間を過ごせていると、私は信じて疑わないのである。
それは、ある月曜日のとても寒い日だった、あの電車ときたら容赦なく暖房を入れるものだから、足元のヒーターがとても熱くチリチリと焼ける音が聞こえそうなほどであった。
設定した車掌はきっと私のふくらはぎをローストしようとしているとしか思えない。
などと考えているその時、駅始発の電車とはいえそれでも通勤圏内の時間になってくると電車の中は込み始め押されるように一人の女性が乗り込んでくる。
電車の出入り口をそんなに見つめているのかと言われればそうではない、人の流れと勢いを把握しておかなければいざというときに何もできないのが怖いのだ。
ちなみにこれは小説から得た未経験の経験だということを作者への感謝ととともに胸に刻み込む。
乗車率80%ほどの電車にとても乗り切らないとおもうほどの人人人・・
そういえば、車内放送で同系統、別の路線で事故による振り替えが発生しており遅延する可能性があるとアナウンスがあり座っている自分にグッジョブと自賛していたことを世間様は許してくれると思いたい、別に世間様にそれを伝えようとは思わないが。
その時私は小説を読んでいた、異世界でドラゴンの化身である4兄弟が現代社会の人に生まれ変わり云々・・・ 連載期間はとても長く10年以上かけて刊行していた。この作家先生は学生時代からお付き合いさせていただいており大変お世話になっている、老若男女問わずおすすめしたい、いや教科書にしてはどうか、きっと国語の時間が楽しくなる。
本を読む顔は上げず目線だけ、いわゆる上目遣いに電車の入り口を覗き見るような気分で、それでいて誰とも目を合わせないように細心の注意を払いながら眺めるのだ。
男性と見まがうほどには背が高く「おいやめろ」、真っ黒で艶やかな髪は後ろでひっつめにし「よせ」、すっきりとした鼻梁ではあるがそんなに主張しない感じがなんとも、「だめだ!、だめだぞ」、薄く刺した朱色の口唇に目を奪われつつ、「まだ目は合わせていない、大丈夫だ」少し安堵しながら目線を足元に落としていく。「もう安心だ・・あれ・・」
結論から言おう、私は負けたのだ
問題は、何に・・だ
首元が広めの白いボトルネックニットに、グレーのワンピースがシックで洋服の趣味もいいらしい
すらっと、ぽっこり、そう、すらっとポッコリ!!、抱えるカバンにマタニティサインホルダー
ちまたにごくまれにしか目にしない・・いやいや隣の人のかもしれないと淡い期待をしたが
期待とは裏切られるものである。そして?いやだからこそ?無意識に顔を見てしまった、ふむこれ以上の言葉は心にしまっておくことととする。
さてこんな時にタイミングというのは測れるものか、結論は否である。
では逆に網を張るならば?、可能だろう、妊婦であることを気づいた人を網にかけるである。
バランスよい顔立ちに、意志の強い光の宿った大きな目が印象的で目を離しそこない、そして目が合ってしまった。
母親としての本能が、持って生まれた資質が、そんな目をさせたのか
そこをどけ、なのか 助けて、なのかどれだったであろう。
いずれにしろ、世の中には知らないほうが幸せであろうということだけが私の脳内を駆け巡り私は心の中で宙を仰いだ。
通勤電車に身重の女性が乗ってくるのはよくないと思っている、別に差別をしているわけではないがこの満員電車の中、急ブレーキがかかるとどうなるか、想像していないのではないだろうか・・と不安になるのである、などというのは建前で、席を譲るかどうか悩むからだ。
やさしい世界とは、実に自分にとって都合のいい世界のことだと思う。
願わくはすべての人にやさしい世界というのを切に願っていたいとは思っているが、私がそんなに高潔ではない、そして世界は私にとって都合の世界があればよい。
だから負けたのだこの熾烈で不条理な戦いに、ただただ良心の呵責だけが無視するという選択肢を選ばせないこの世界に、しかしその時その女と私の中には一瞬とも永遠ともおぼつかないつながりの世界がそこにはあったと思いたかった。
私は誰にも気が付かれないように開いた本を閉じ鞄にしまい、あまつさえカバンの中から何かを探しているというふりまでしてタイミングを計った、当然ほかのだれかに譲る気などなかったからだ。
その時どんな顔をしていたか?どんな気持ちだったかは忘れてしまった、いや言葉にしたくなかった。
その女の足元があと2歩ほどで目の前に来るタイミングを見計らい、立ち上がり、名残惜しそうなそぶりを見せず、その女と目を合わせることもせず立ち上がり、振り返らないようにその女の背後の人の流れの隙間にすべり込む、それは空いた席に滑り込もうとする輩をけん制するためだが、それ以上にただただ多汗症であがり症な私はもはやその女の視界に入るのに嫌悪すらおぼえた。
素直じゃない、偽善的、ネガティブ思考、それはそんな嫌悪感だった。
その女には女の事情があるように私には私の事情がある。
別にそれを分かってほしいとは思わないし、わかってあげようとも思わない。
女が目に入らない場所まで何とかすり抜けた時
願わくば、その女と生まれてくるであろう赤子に幸あらんことを。とやっと心の中で祝福することができて、また心の中で苦笑いをする。
さて超満員電車が遅延するというのはなかなかの拷問である、本来なら終着駅まで座っていたものを
途中で放棄し、無茶苦茶に押されつぶされするわけである。最初から立っていれば、諦めもできたのだが、この後に起こる出来事がなければきっと席を譲ってよかったという気持ちになれなかったに違いない。
それは突然やってくるのである。
超満員電車の中、私は腹部の違和感に心の中でこう唱え続けた。気のせいだ、忘れろ、そんなことはない。と
しかしそう唱えたところでこの感覚が消えるわけもなく。それは情けや容赦という言葉を知らず、生理現象というただの自然の摂理、人間の理なのだから、どう形容しようと身もふたもなく単におなかが痛いのである。
満員による遅延、いつつくとも判別つかぬこの鉄の箱の中で私は早々に降りることを決断しようとした。
顔中流れる汗は 暖房の効きすぎや混雑によるものだけというわけではなく、3割ほどあぶら汗が混じっていたと思う
暑さによる発汗と、緊張による発汗は汗の味が違うのではないだろうか、少し気になるところである
舐めて確認してみるという気になりそうなほどには、若干正気を手放しそうになっていたからだ。
自分の体なのに思い通りにならない、というのは健全な体を持つと想像しがたいものだ、当然我慢ができるというのが根底にあるはずなのに・・・である。
しかし、満員電車の開かない側の扉の前に立っている私は一つの課題を抱えていたのだ。私と扉の前に一人の女学生が立っていたのである。電車がカーブに差し掛かったり、線路の切れ目にのりあげるたびに体にかかる力が大きく揺れる、そのたびに扉につっかえ棒のように腕に渾身の力を込めて体が移動しないようにしていた。なぜか・・・女学生を圧迫しないように、いやそんな言葉でごまかすわけにはいかない。
汗だくの体が女学生に触れないようにである。つっかえ棒にしていないもう片方の手でハンドタオルをにぎり汗をぬぐいながら、ドアについた窓の外を眺めながら、女学生に視線を落とす。
女学生はテストなのだろうか英語の単語帳をひたすら眺めていた。肩より長めであろう髪を後ろにたばね、いわゆるポニーテールという髪型、きょろきょろと動く瞳は大きく、小ぶりで何かささやくように動く唇はなまめかしく、それでいて化粧っ気がない顔立ちはまずかわいいと称して差し支えない、小脇に抱えてるケースはきっとフルートか何かのケースだ、たぶん吹奏楽部か何かなのであろう、ということは今日は最終日なのかと想像を巡らせる。。身長は155センチくらい、大人とも子供ともつかない雰囲気を持つ彼女は周りの状況から完全に切り離されていたように思えた。そんなことを考えていると、おなかの痛みも、少し和らいだ気がして、そして最後まで乗り切りたいという淡い期待を抱き始めていた。
だがそんなに世界は私にやさしくはなかった、遅延が解消され始めたのだろうか、定期的にガタン、ゴトンという振動はリズムよく、私の腹部に見えない出口を探すかのような刺激を与える。
大きなカーブのあるところでは、人をこれでもかというほど詰め込んでいようが鉄の箱は容赦なく曲がる。
遅れを取り戻さんばかりに、腕にかかるGに渾身の力を籠め、両足をふんばり、そして腹痛を我慢する。
限界だった。 次降りようと心に決めた瞬間、ふと、女学生の顔が名残惜しくなり顔を向けないよう意識だけ向けたその時だった。
女学生が私の顔を見つめていた、そして必然のように自然に目が合ってしまった。少しうるんだ真っ黒な瞳、心配しているような、すこし嫌がっているような怪訝そうでいて感情の読めない表情だった。
私は下腹部に襲い掛かるそれをしばらく忘れて見とれてしまった。
たぶんきっと私は、汗をかきすぎて、さながら風呂上がりのような上気した顔になっていたが
その分、女学生の顔を直視したことによる羞恥心とそれに似た感情をきっと隠せたに違いないと内心ほっとした。
そして彼女は何もなかったように、単語帳に目を落とし、私もまた何もなかったように、窓の外に顔を戻した。
このまま最後まで乗ろうと決心した、彼女と見つめあった瞬間に下心なんかない、純粋なその気持ちに
感謝しながら。
電車は定刻を大幅に過ぎて終着駅に到着した。女学生は同じ駅で降りたはずだが降りるときには姿が見えなかった。
私はあわてるでもなく、それでも若干速足でトイレに駆けこんだ。
しばらくして、トイレから出た時、隣の女子トイレから出てくる女学生の姿が見えた、やけにすがすがしくすっきりした顔をしていたように思う、女学生はああいう顔が良いと思い、ふとまじまじと顔を見つめたら、彼女はなぜかこちらに気づき私に向け、親指を立てニコッと笑って去っていった。
あぁ、彼女は私と同じ問題を抱えていたのではないだろうか、同じ時間同じ思いを必死に隠しながら、時に不安になり時に安堵し、何度もあきらめようとして最後まで乗り続けようやく危機を脱したときのこの達成感たるや筆舌に尽くせず。
私は勝手にそう想像し、現実もたまには面白いとにやりと笑みをこぼしたのだった。