どうか私の分まで、末永くお幸せに。
開いてくださりありがとうございます。
久方ぶりの令嬢ものです。
評価・感想お待ちしています。
ある朝、屋敷に使用人の悲鳴が響き渡った。この家の長女が倒れていたのだ。
その近くには杯が転がっており、更にその傍らには涙で濡れ、字のところどころがぼやけた、強い感情の籠った手紙が残されていた。
今日の朝方のことでした。
普段より少し遅い時間に目が覚めた私は、どこか気分が優れませんでした。
記憶を辿ると、妹と私の婚約者であるアリオス様が仲睦まじく暮らしており、可愛らしい子が三人いる、そんな夢を見た覚えがあります。
私はその光景を鮮明に思い出し、胸が痛むのを感じました。
夢の中の二人は、笑顔の花を咲かすという表現がぴったりの、幸せそうな、とても満ち足りた顔をしていたのです。
私は嫌な予感がしました。というのも、前々から、妹と婚約者の性格はぴったり合うと、そう思うことがしばしばあったのです。
妹は内気な私とは違い、活発な子です。
いつも人の輪の中心にいますし、既に作られている、完成された輪にもするすると入って行き、そしてたちまちその皆から好かれるのです。
アリオス様は物静かで理性的な方ですが、私の妹を前にするときだけは、びっくりするほどに柔らかな笑顔を浮かべ、楽しげにしていました。
一方、私の場合は、どちらが喋るでもなく、ただ沈黙の時間となることが多いのです。
昔は何らかの話題を振ってくださったものですが、最近は疲れてしまったと見えて、共に過ごす時間も減っています。
同時に、妹が私と共にいる時間も減ってしまいました。
私も、分かっているのです。妹と婚約者は、密かな逢瀬を重ねています。
ですが、私はそれを咎めてはなりません。そんな資格はないのです。
私自身、面白みのない性格であることは分かっているのです。アリオス様を楽しませることも、喜ばせることもできません。
妹のようにはなれないのです。
幸いにして、お父様もお母様も、まだこのことをお気付きになってはいません。
いつ耳に入るかも分かりませんが、少なくとも今は、問題ではないのです。
できることなら、今にも逃げてしまいたい。
以前から漠然とそう思うことはありましたが、二人の密会を知ってからは、ますますその思いは強まっています。
しかし、本当に逃げようにも、私には、それを遂げる術はありません。外に出ることなど、これまでに殆どなかったのです。
第一、外に出たとして、私が何かを成せるとは思いません。私の体が弱いのは、誰よりも自身が知っているのですから。
それでも、やはり辛いのです。自分に嘘はつけません。
私はアリオス様を愛していました。いえ、今でもそれは変わりません。
しかし私は、愛する人と共にあるよりも、愛する人が幸せであることを望みます。そうでありたいと思います。
その寵愛を受けるのが平民であれば話は別ですが、この恋敵は私の妹、侯爵家の次女です。
アリオス様は古くからの伯爵家の嫡男であり、身分の吊り合いは取れています。
ですから、何も問題はないのです。
この縁談を持ちかけたのは、お父様でした。
お父様は私が七つになる頃、お茶会の場にて、アリオス様とお引き合わせになりました。
私はアリオス様の理知的な顔つきと目に、一目で惹かれました。アリオス様も満更ではなかったと、そう記憶しています。少なくとも、私の目にはそう映りました。
そして私達は、正式に婚約したのです。
それからの私は、舞い上がってばかりでした。
しかし、実際に会える日は、そう多くありませんでした。
お茶会もパーティーも、体調を崩しがちな私にとって、顔を出すのは難しいことだったのです。
そのため、あの日の体調が良かったのは神の思し召しであるとさえ思ったのですが、今となっては浅はかで愚かしい考えだと、そう思えてなりません。
もし私があの日にも熱を出していたら、代わりに妹がその場に行くはずだったのです。
天上に居る神様は、なにゆえに私をあの場へとお送りになったのでしょうか。
こうなることが分かっていたならば、私は決してお茶会に出ることはしませんでした。
アリオス様は、よく私に手紙をくださいました。
私の体調を気遣う旨が、丁寧な字で綴られており、私は届く度に感動したものです。
それらの手紙は今でもとってありますが、今読み返すと、時を経る毎に内容が淡白なものになってゆくのが感じ取れて、辛さが増してしまいます。
それでも、私とアリオス様の大切な思い出ですから、捨てることはできません。
どれだけ辛くても、私はこれに縋るしかないのです。
こうして手紙をしたためていると、様々な思い出が、感情が溢れ、そうしてどんどんと苦しくなってきます。ただただ、辛い。
この手紙も、書き進める毎に濡れてきています。既に字が滲んでしまったところも幾つもあります。お許しください。
私は貴族に生まれたことを、心から喜んでいました。
体が弱くても生きることができたのも、アリオス様と出会えたのも、全ては貴族としての生まれに起因するものだからです。
しかし今は、その思いも薄れています。
もし妹が私よりも先に生まれていれば、私は妹という立場から姉を応援し、成婚した暁には、心から祝福したでしょう。
恋心を今と同じように持っていても、やはり二人の仲を邪魔をすることはなかったと思います。
ですが、現実として私は姉であり、アリオス様は私の婚約者なのです。
私の存在が、邪魔をしてしまっているのです。申し訳ないと、心から思います。
お父様は厳格な方ですから、私が直訴しても、私との婚約を破棄し、代わりに妹と婚約させるなどということはなさらないでしょう。
体が弱いことを理由にしても、叶う未来は見えません。
あと数年もすれば、私は愛する人と結ばれます。
そして妹は、私よりも後に生まれたばかりに愛する人と引き離され、別の方のもとへと嫁ぐでしょう。
政略結婚とはそういうものなのです。
そのような決まりの中で、愛する人と共にあれることが決まっている私は、とても幸運なのです。
それでも、やはり、辛い。辛くて辛くて、たまらない。
幼い頃、妹は使用人が止めるのも聞かず、私に抱っこをせがんできました。
私はその度に応えました。熱を出しているときでも、構いませんでした。
それこそ、目に入れても痛くはないほどだったのです。そのささやかな願いの前には、熱などは些末なことに過ぎません。
懐かしい思い出となりましたが、この思いは今でも変わりません。いつまでも、可愛い妹です。
ですが、このままでは、私は妹を憎みます。そうなると分かっていながらに、憎んでしまうのです。
とても悲しいことです。昔からある悲しみを、更に積み上げることになります。それは、何としても避けなければなりません。
ですが、そのための手立てが、全く思いつきません。朝方からずっと考えているのに。どうか、許してください。
私の中において、アリオス様も、妹も、とても大きな存在です。
ですが、今、二人の中の私は、とても小さく感じられます。
叶うのならば、昔に戻りたい。また、三人で仲良く笑い合いたい。そう思います。
私が笑うとき、二人は笑えません。
妹が笑うとき、アリオス様はいつも笑っていますが、私は笑えません。アリオス様が笑うときも、同じです。
私は、どれだけ努めても笑えません。
もう、三人で一緒に笑うことはできないのでしょう。
そのうちに、私が貴族であることすら失われそうに感じます。貴族でない私は、生きる術を持ちません。
ただのひとりの恋する乙女であれば良かった。それならば、貴族という身分など、必要ではなかったのに。
どうやら、私の心は、ここまでのようです。耐え切れない。辛い。苦しい。悲しい。
それでも、最後まで貴族に縋る私は、やはり醜いのでしょう。こんな体たらくだから、このような結末を迎えるのでしょうね。
私の末路としては、相応しいものなのだと思います。
私は幸運でした。
しかし、幸福ではありませんでした。
私は妹を苦しめることを望みません。妹が苦しむことを望みません。それは、アリオス様も同じこと。
ならば私はきっと、存在してはいけないのです。
このままでは、私はずっと苦しみます。愛と憎しみと、不安と怒りと、幸福と喜びと、様々な感情に挟まれながら苦しみます。
ですから、私はこれで終わりたいのです。いいえ、確かに終わります。貴族らしく、毒杯を呷ります。
あぁ、やっとお終い。
さようなら。ご迷惑をおかけしました。どうか私の分まで、末永くお幸せに。
最後までお読みくださりありがとうございました。
今作は手紙での告白形式となる小説です。
また令嬢ものを書きたいな、と思ったときにふと浮かんできたものを少し書いて止めたのですが、先日数ヶ月ぶりに再開し、書き上げた次第です。
重ね重ねになりますが、評価・感想をいただければと思います。よろしくお願いします。