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高校野球



 僕は学生の頃、色んなクラブ活動をやった。


 特に思い出深いのは、高校の時に所属していた野球部だ。

 実を言うと、夏の甲子園大会にも出たことがあり、僕も中心選手でこそないが、一応レギュラーだった。


 我が野球部はのびのび野球を信条としていた。ウチの高校は決して野球名門校ではなかったが、選手一人一人が本当にのびのびとプレイをして、それが思わぬ勢いを生み、あれよあれよという間に地方大会を勝ち抜いてしまったのだ。


 当然、学校中が大騒ぎとなった。しかし、一番ビックリしていたのは、当事者である僕らだった。まさか甲子園に行けるなんて、部員の誰も思っていなかったのだ。


 僕らは最初のうちは浮かれていた。少し天狗になっていた部分もあったかもしれない。しかし、周囲からの期待が高まるにつれ、段々プレッシャーを感じ出した。甲子園大会が始まる前に練習試合をしたのだが、つまらないミスを連発し、大敗してしまった。


 試合後、監督は僕らを集め、こう言った。


「お前ら、一体何を怖がっているんだ?お前達はずっとのびのび野球でやってきたんだろ。甲子園だろうと、どこだろうと、自分達のベストを尽くせばそれでいいじゃないか」


 僕らは全員、ハッとなった。みんな原点を忘れていたのだ。野球部に入った時から、甲子園のことは頭の片隅にはあったかもしれないが、僕らはもともと野球を楽しむことを第一としてきたのだ。

 それが甲子園出場が決まってから、恥ずかしいプレイは出来ないとか、ちゃんとやらなければいけない、という気持ちが先に立ってしまったのだ。


 僕らは、自分達がのびのびではなく、背のびをしていたことに気がついた。


 何も怖がらず、自分達は自分達のプレイをすれば良かったのだ。


 その日以来、僕らはとにかくのびのびすることに集中した。のびて、のびて、のびまくった。練習中にも関わらず、七、八人どっか行ってしまうことがザラにあるくらい僕らはのびのびした。


 そうして、甲子園大会当日を迎えた。


 僕らは大会初日の第三試合に登場した。試合前は本当に緊張したが、チーム全員とにかくのびのびすることだけを念頭に置いて試合に臨んだ。


 対戦相手は奇しくも管理野球を信条とするチームだった。


 今はスモールベースボールなんていう言葉がもてはやされているが、当時は管理野球が全盛だった。

 管理野球VSのびのび野球という、わかりやすい真逆の構図のため、大会前から僕らの試合は注目されていた。そのことが、より一層僕らにプレッシャーを感じさせたが、その時の僕らにはそれをはね返すだけののびやかさがあった。


 試合が始まっても、僕らは持ち前ののびのび野球を見事に実践し、一回表の守備を無得点に抑えた。ベンチに戻る時、「いける!俺達のびてる!」チーム全員でそう言い合ったことを覚えている。


 そのまま勢いに乗って一回裏の攻撃を仕掛けたかったが、相手もさすがに甲子園に出て来るチームだけあって手強かった。


 相手チームのピッチャーは管理野球の申し子と呼ばれ、サラリーマンボールという魔球を投げることができた。

 簡単にサラリーマンボールのことを解説すると、ピッチャーが投げたボールというのは、普通、重力によって下に落ちこそすれ、上にあがることはない。しかし、サラリーマンボールはピッチャーの手から離れた瞬間から、じんわりと上にあがっていくのだ。少しずつ昇給、じゃなくて、昇球することからサラリーマンボールという名前が付けられることになったそうだ。


 僕らはこのサラリーマンボールが相手投手の決め球だと思っていた。なので、ツーストライクに追い込むまではあんまり投げて来ないのではないか、と読んだ。そのため、ツーストライクに追い込まれる前のカウントを稼ぐ球を狙っていこう、というのが僕らの作戦だった。


 こちらの読みは完全にはずれた。


 相手投手は先頭打者の初球に、いきなりサラリーマンボールを投げ込んできたのだ。

 バッターは思いっきり空振りをしてしまった。

 完全に意表を突かれ、驚きの表情を浮かべる僕らに対し、相手投手は「今のは名刺代わりだ」と言わんばかりの不敵な笑みを浮かべた。さすが管理野球の申し子である。礼儀がしっかりしている。


 僕らの一回裏の攻撃は、あっという間に終わった。最初の守備でできた小さな勢いは完全に止められてしまった。


 それでも僕らはなんとか気を取り直してがんばろうと思った。しかし、そこからの試合展開は苦しいものだった。


 相手チームにはビッチャーだけでなく、バッターにも超高校級の選手がいた。しかも、六人もいた。

 その六人全員が体格のガッチリした、右の長距離砲だったため、それぞれ清原二世、清原三世、清原四世、清原五世、清原六世、清原七世と呼ばれていた。


 血こそつながっていないが、先発の9人中6人が清原の子孫という恐ろしい打線だった。


 その中でも一番前評判の高かったのが四世だった。四世はこの試合でもヒットを一本打った。でも他の清原はそれ以上に打った。僕らが四世をマークし過ぎたため、他の清原対策がおろそかになってしまったのだ。


 ちなみに、この試合で一番打ったのは七世だった。しかし、この試合の前まで、チームの清原の中で一番目立たない存在だったのも、実はこの七世だった。決して実力がないわけではないが、それでもイマイチ目立たない理由は七世という数字にあった。


 このチームに清原が六人いるということは、とても有名な話である。しかし、人は六人と聞くと、勝手に六世までしかいないと思い込んでしまうのだ。そのため、七世はいつもちょっと忘れられてしまうのだ。この試合で七世のバッティングが爆発したのは、そうした日頃の扱いに対する不満が爆発したからなのかもしれない。


 ともかく僕らは相手チームの強力打線にとことん苦しめられた。しかも、彼らは管理野球を信条としているだけあって、ただバットを振り回してくるだけではなく、送るべき時はバントでしっかり送り、着実に点を積み重ねていった。


 そしてこちらは相手投手のサラリーマンボールをなかなか打ち崩せず、ランナーさえ出すことができなかった。

 まだゲームは序盤だったが、点差は徐々に開きだした。


 それでも僕らはあきらめなかった。たとえ負けるにしても、最後の最後までのびていこうと思っていた。


 僕らはのびた。のびにのびた。一時間ぐらいほったらかしにしておいたラーメンよりものびた。試合中だというのに、七、八人いなくなるぐらいのびた。主力がほとんどいなくなってしまったため、戦力ダウンは否めなかった。でも、のびた。


 そして、それが功を奏した。一時はワンサイドゲームになるかと思われたが、なんとか踏みとどまり、それ以上点差を開かせなかった。


 相手チームも、一応点差ではリードしていたが、なかなか試合を決めきれない展開に少し焦り出したのか、いつも以上に管理を厳しくし始めた。僕らもいつも以上にのびのびした。「管理」と「のびのび」のぶつかり合いに、激しく火花が散った。


 試合の中盤は、ほぼ互角だった。


 しかし、互角ということは、序盤に開いた点差はそのままということである。

 僕らは、どうしても相手投手のサラリーマンボールを打つことができなかった。

 そして、いよいよ最終回を迎えた。この回に追いつけなければ、負けである。


 僕らは死に物狂いでのびた。


 スタンドで応援してくれている女子生徒も涙ながらに、「もっと、のびて~!」と声援を送っていた。中には、「神様お願いします。今この瞬間だけでいいですから、みんなをのびさせて下さい」と祈っている子さえいた。


 その祈りが天に届いたのか、僕らはツーアウトながらも満塁のチャンスをつくった。一打逆転の場面である。


 そこで打席に立つのは、この僕だった。


 僕の打順は九番目。つまり、レギュラーの中で一番バッティングが下手だと思われているということである。ちなみに、守備もそんなに上手なわけではない。


 そんな僕がなぜレギュラーに選ばれたのかというと、自分で言うのも恥ずかしいが、僕はラッキーボーイ的な存在だったのである。

 確かに打率は低い。しかし、チャンスの場面にはめっぽう強い。僕はそういう選手だったのだ。みんなからは、ここ、という時にのびる男と呼ばれていた。


 そんな僕に、最終回、ツーアウト満塁、一打逆転という場面で回って来たというのは、ある意味、神様が僕らのチームに最後のチャンスを与えてくれたと言っても過言ではないだろう。


 僕は燃えた。否。のびた。


 監督からも、

「ここでのびなくて、いつのびるんだ!」

と声をかけられた。僕も同じ気持ちだった。チームメイト、そしてスタンドやテレビの前で応援してくれている人達、その全員が僕がのびることを切に願っていた。


 僕は打席に入る時、少し歩幅をのばした。しかし、歩く速度自体は遅くして、打席に入るまでの時間をのばした。そして打席の中でも背筋をのばした。バットもピンとのばした。しきりにタイムを要求し、間合いをのばした。その他、のばせるところはすべてのばした。


 ……しかし、打てなかった。


 僕は三振した。


 相手チームの選手が全員マウンドに集まって抱き合っていた。


 僕は天を仰ぎ、うつむいてベンチに戻った。チームメイトは僕を決して責めなかった。みんなが僕の肩をたたき、慰めてくれた。


 そのあとのことは、あんまり覚えていない。なんというか、記憶がぼんやりしているのだ。


 唯一、覚えているのは相手チーム全員の髪型だ。試合後、選手全員が整列して「ありがとうございました!」と、帽子を取って礼をするのだが、相手チーム全員、坊主をむりやり七三分けにしていた。長さが短いから、遠目で見ていた時はわからなかったが、近くで見たら間違いなく七三分けだった。


 そのことからもわかるように、彼らは本当によく管理されたチームだった。その徹底ぶりが彼らに勝利をもたらしたのだろう。


 不思議なもので、試合前や試合中は彼らにあれだけ敵愾心を燃やしていたのに、その後は彼らを応援するようになった。どこにも負けて欲しくなかった。彼らに優勝して欲しいと心から願っていた。


 彼らの次の対戦相手は「全員野球を信条とするチーム」だった。下馬評では、戦力は互角と見られていたが、徹底した管理野球の力で全員野球を粉々に粉砕した。


 その次は「ケンカ野球を信条とするチーム」との試合だった。しかし、この試合も彼らは見事な管理野球でケンカ野球を手玉に取った。


 もうそのまま優勝するんじゃないかと思われたが、決勝戦の「これといってキャッチフレーズの無いチーム」にあっさり負けてしまった。


 彼らは、僕らが負けた時と同じようにうなだれていたが、テレビの前で応援していた僕らも、とても寂しかった。しかし、これが勝負なのだ。上には上がいるという言葉をその時ほど痛感したことはない。


 これといってキャッチフレーズの無いチームは、これといって飛び抜けて優れた選手がいたわけではないが、これといって弱点もなく、それなりにまとまった良いチームだと思う。彼らの優勝には素直に拍手を送りたい。


 僕らは甲子園で一勝もできなかった。悔いがないと言えば嘘になる。でも、あの夏、僕らは誰よりものびていた。世界一のびていたと思う。そのことだけは今でも誇りに思っている。



 こうして俺達の夏は終わった。



       -終わり-

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