世界一強い男
若い頃、僕はひどく弱かった。
それで、ちょっとは体を鍛えようと思い、通信教育で空手をやることにした。
僕は毎日毎日、通信教育の空手に真剣に取り組んだ。その努力の甲斐あって、僕はかなり強くなった。
こうなったら、世界一強い男になってやろう。僕はそう思った。
しかし、来る日も来る日も通信教育の空手に励んだが、僕はなかなか世界一強い男になれなかった。相当強くなったような気もするが、どこか自分に物足りなさを感じていた。
しかし、自分では何が自分に足りないのか、どうしてもわからなかった。僕はひどく思い悩んだ。
そんな時、僕はある噂を聞いた。
とある山の頂上に仙人が住んでいて、その仙人が武術の達人だというのである。
僕はワラをもつかむ思いで、その山に登った。その山はひどく険しい山で、およそ人が住めるような場所ではなかった。
本当にこんな所に仙人が住んでいるのだろうかと不安を覚えたが、意外と仙人は簡単に見つかった。
頂上付近に、
「↓仙人まで、あと100m」
という立て札があったからである。
矢印が示す方向に歩いて行くと、また立て札があって、「あと50m」「あと30m」と続き、最後に「おめでとう!仙人が住む小屋へようこそ!」となっていた。文字の横には仙人の似顔絵らしきイラストも描かれていた。
僕はその立て札を見ながら、なんとなく自分が描いていた仙人のイメージと違うなぁ、と思っていた。でも、簡単に見つかったんだから良しとしよう、と思い直した。
そして、小屋の前に立った。
この中に仙人がいるのかと思うと、急に緊張が高まった。恐る恐る扉をノックすると、中から「どうぞー」という声がした。「ごめんください」と言って中に入ると、そこには白い着物を着て、白い髯を生やし、髪の毛も真っ白な、まさしく仙人風の老人が杖を持って立っていた。立て札の似顔絵は、まあまあ似ていた。
「何?どうしたの?」
仙人は、僕にそう聞いてきた。
「あの…僕、世界一強い男になりたいんですけど、ちょっと壁にぶつかってしまって、悩んでるんですけど、どうしたらいいのかなと思ってここに来ました」
「ああ、そう。大変だったでしょ?ここまで来るの」
「はあ、まあ」
「どっから来たの?」
「あ、東京です」
「そりゃまた遠いとこから」
話をしていて、突然の訪問者だというのに、すごく対応が慣れてるな、と僕は感じた。
もしかしたら、武術を習いたいと言って来る人が結構いるのかもしれない。他にも弟子とかがいたら、修業中に気を遣わなきゃいけないから嫌だな、とか思っていたのだが、その心配は杞憂に終わった。僕はその人の最初で最後の弟子だった。
こうして、僕の過酷な修行の日々がスタートした。
僕は仙人のことを師匠と呼ぶようになった。しかし、師匠は師匠と呼ばれることが、くすぐったいらしかった。
じゃあ、何て呼ぼうかと二人で色々考えたが、いい呼び方はなかなか浮かばなかった。
先生。親父。義兄弟。キャプテン。閣下。マスター。総統。大将。将軍……などなど、いくつか候補があがり、二、三日、キャプテンを試してみたが、しっくりこなかった。その後も色々試してみたが、これといってピッタリくる感じの呼び方がなかったので、結局は師匠で落ち着いた。なんだかんだ言いながらも、師匠も師匠と呼ばれることがまんざら嫌でもないように僕の目には見えた。
そんな師匠が僕に課した修行はすごく独特なものだった。
僕の事前の予想としては、滝に打たれたり、熊と格闘したりするのかと思っていたのだが、まさかこんな山奥でテレビショッピングでよく見るようなフィットネス商品を用いた修行をするとは思ってもいなかった。
ただ座っているだけで腹筋・背筋が鍛えられる機具はよく使ったし、外人のインストラクターが出てくるDVDを見ながら、その指示に従って体を動かしたりもした。
変わった修行法だなー、と思っていたが、それでも僕の体は確実に鍛え上げられていった。
師匠の課した修行は、とても厳しいものだったが、師匠にはやさしい一面もあった。
修行の合間に、師匠は僕に色々な話をしてくれた。
子供の頃はいじめられっ子だったこと、自分をいじめた子を見返すために強くなろうと決心したこと、そのために通信教育の空手を習っていたことなど、本当に色々な話をしてくれた。
中でも、師匠も通信教育の空手をやっていたことを聞いた時は、すごく嬉しかった。やっぱり、類は友を呼ぶと言うのか、師匠と弟子は似るものなのだ。
ただ、僕と師匠には決定的に違う点が一つあり、それは師匠が勉強家でもあったことだった。
僕は通信教育の空手にハマってから、己の肉体を鍛え上げることにしか興味が向かなくなってしまったが、師匠は文武両道を宗としており、若い頃などは通信講座を利用して、色々な資格を取得したりもしたそうだ。
師匠も、今では仙人になっているが、もちろん生まれた時から仙人だったわけではない。
普通に子供時代を過ごし、学生となり、社会人として働いていたこともあったそうだ。
最初に就いた仕事は、取得した資格を活かして、ボイラー技士をやったそうだ。二年ぐらい勤めたそうだ。
その後、行政書士、介護福祉士、管理栄養士、ファイナンシャルプランナーを経て、仙人になったそうだ。
そんな人生経験の豊富さがそうさせるのか、師匠の教えには難解な言葉が多かった。
僕は強くなるために師匠の下で修業をしているわけなので、当然強くなろう強くなろうとするのだが、師匠は強くなろうとし過ぎてはいけない、と僕をよく戒めた。
真に強くなるためには弱さというものを知らなくてはいけない、とも言われた。
負けるが勝ち、とも言われたし、逃げるのも勇気、とも言われた。
今では、そうした教えも理解できるが、その当時の僕には、師匠は僕をドンドン弱くしようとしているんじゃないか?と思われ、「そんな難しいのじゃなくて、単純に格闘技が強くなりたいんですけど…」と、つい不満を漏らしてしまうこともあった。
僕がそうした口答えをした時、師匠は何も言わず、ニッコリと微笑むだけだった。本当に穏やかな、すべてを愛で包み込むような微笑みだった。でも、たいがいその日の僕の晩ごはんには虫が入っていた。師匠が入れているところを目撃したわけではないが、僕が師匠に口答えをした時は、必ずと言っていいほど、僕の晩ごはんにだけ虫が入っていた。
他にも、靴の中にクギが入っていたこともあったし、いつもは出してくれる3時のおやつを出してくれなかったりもした。
そうしたこともあってか、僕は肉体だけではなく精神的にも鍛えられていった。師匠の教えも、少しずつだが着実に吸収していった。
師匠の下で修業を始めてから三年の月日が経った頃、師匠は僕に山を下りるよう告げた。
いわゆる、「教えることはもう何もない。山を下りろ」だ。
その頃には僕は師匠の教えを完璧にマスターしていた。
師匠の教えの真髄を一言で説明するとすれば、戦わなければ負けることもない、ということだろうか。そしてもう一言加えるとすれば、誰にも負けてない以上は世界一、ということである。
山を下りてからも僕は師匠の教えを忠実に守った。つまり僕は念願の世界一強い男になったのだ。
ところが、世界一強い男になったのは良かったのだが、生活ができなかった。まったくお金がなかったのだ。
何か格闘技の大会に出て、優勝でもすれば賞金ぐらいもらえるだろうが、人と戦うというのは師匠の教えに反している。
世界一強い僕ならたぶん優勝してしまうだろうが、師匠の教えに反することだけはしたくない。
結局僕は通信講座で就職に有利な資格を取得し、普通に会社で働くことにした。師匠に倣ってボイラー技士から始めた。
その後、何度か転職もしたが、今も僕は普通に真面目に働いている。
それでも僕は自分のことを、世界一強い男だと思っている。
誰にも負けたことは、ない。
-終わり-