物は相談
《大観峰奉行所》
土塀と瓦屋根の門構え。その奥には広大な木造建築物。
其処に作蔵は来た。目的は生業の請け負い。交渉人は奉行所に籍する“捕り物与力”である。
「よく来てくれた。作蔵、此方から頼もうとしていた。どうか、引き受けて欲しい」
「茶太郎、硬いことは言うな。おう、任せろ」
作蔵は、長髪で薄紫色の単衣を身に纏う青年と奉行所の会議室にいた。昨日、作蔵が電話で話した相手だ。
「今、この奉行所。つまり“捕り物”は奴を遂するに梃子摺っている。奴は象りを自由自在に変える通力の使い手。人、モノ、植物、イキモノと、次々と象りを変えて悪業をやり遂げる。御用手前でするりと逃げられるという、屈辱感を味わうのを止めたい。作蔵、貴様が頼りだ。貴様の“蓋閉め”の知恵と力をを借りたい」
「わかった。わかったから、そんなにぺこぺこと頭を下げないでくれい。要するに、おまえがいう奴を捕まえるをすればいいのだろう。でさ、そいつの名前は何て呼ぶのだ?」
相手は、茶太郎は作蔵の顔を見るなり息遣いを忘れていると思われるような喋りをする。その様子に、作蔵は狼狽えるのであった。
「はあ」と、茶太郎は呼吸を整える。そして、声を振り絞って作蔵にこう言った。
ーー海老野黒虎。名は突き止めているが、実体はこの私でも見たことない……。
作蔵は、黙って頷いたーー。
***
たまには駆けて縺れた謎を解くのもいいだろう。特にあの“影切り”が泡を食ってるから尚更だ。
外は、雨。依頼を承ってから5日。事に進展はないが、作蔵は余裕綽々で日常を過ごしていた。
──で、そいつはどんな悪さが得意なんだよ?
──金を巻き上げることだ。標的を信じ込ませる姿で現れ、彼是とその気にさせる。いいころ合いになったところで目的を果たす。証拠は一切残らない、現行犯を押さえるしか手立てはない。
暗闇の中でじっとして、釣る。追って逃げるなら近づくのを待つーー。
作蔵は自室の畳の上で糸瓜の絵柄の団扇を片手にして胡座を掻いた。
開きっぱなしで南向きの窓淵で、茶色の羽毛で覆われている黄色いくちばしと黒くて丸い目をしている鳥が、雨で濡れた羽根の水滴を振り払っていた。
ーー作さん、雨が止むまでお邪魔するよ。
鳥の囀ずりは、作蔵には言葉として聴こえた。
「ああ、構わないさ」と、作蔵が返事をすると、鳥は胴体を右足で支える状態で左足のつま先をつかって喉元を掻いた。
ーー窓を閉めないと、部屋の中が水浸しになっちゃうよ。
鳥は、翼を広げて作蔵の左肩へと翔んで止まる。そして、作蔵の耳元で囀ずった。
「閉めると、息が出来ないほど暑苦しくなる。そういえば、おまえの名前を俺は知らなかった」
ーーいろいろと、呼ばれているよ。だから、作さんの好きな呼び方で構わないよ。
「『弥之助』と、呼んでやる」
鳥は嬉しそうに何度も囀ずった。
「気に入ったのだな」
ーーもちろんだよ。作さん、ありがとう。今日から、おいらは『弥之助』だからさ。
外は、まだ雨が降っていたーー。
***
日没を迎えても雨が止む兆しがない。そうだからだろう、作蔵は弥之助を一晩泊めることにした。
「伊和奈、弥之助にも飯を食わせてやれい」
作蔵の催促に伊和奈は聞いていない様子だった。日頃とっくに夕食を済ませている今の時間だが、四畳半の卓袱台にはなにひとつ乗っていない。因みに伊和奈といえば、どことなく落ち着きがないようであった。
「おうい、伊和奈」
作蔵は伊和奈の背後にいて、呼びかけた。すると「ひっ」と、伊和奈は悲鳴をあげる。
「あ、なに?」
「『なに?』じゃねえよ。飯だ。め、し。こっちは腹減ってしかたないんだけど?」
「あ。ああ、ご飯ね」
伊和奈のそっけない返事であった。
ーー作さん。お姉さん、おいらが気になって堪らないのかな?
作蔵の肩に停まる弥之助が、おずおずと訊く。
「それとは違う……。たぶん」
作蔵はきっぱりと言えなかった。突然の来客に、もてなす準備が追い付かない。それとも動物が苦手だからなのか。だが、伊和奈のさまはそれらに当てはまらいように見える。
伊和奈は作蔵が見てる傍で窓の外に目を向けていた。閉じるカーテンの隙間より目を凝らしているのがわかる。
食事の支度をそっちのけにしてまで、何に気を取られている。干渉はするまいと頑としていたがーー。
「伊和奈、いい加減にしろっ!」
作蔵はとうとう怒りを膨らませた。
「どうしたの、いきなり怒って」
「ええいっ、しらを切るな。伊和奈、先ずは飯を作れっ! それからおまえのこそこそとそわそわを問い詰めてやるっ!!」
おろおろと狼狽える伊和奈、激昂する作蔵。と、その時だった。
「どかん」と地響きするほどの落雷での、停電だった。当然暗闇で、何処に何があるのかは見えない。
ーー作さん、作さん。
「落ち着け、弥之助。おまえは鳥目だ、だから俺の懐でじっとしていろっ!」
作蔵は弥之助を掴み、身に纏う甚平の共衿の間に押し込むのであった。
『あー、驚いた。雷で術が解けたのに焦ったけど、化け直せばいいだけのことだ』
なんだと。
作蔵は闇の中で声を聞いた。奴は、はっきりと言った。
「伊和奈、其処にいるのだな? そうか、化けが剥がれた。化粧直しをするにもこんな真っ黒闇では無理だろう」
伊和奈は“実体”がない、そして変化の通力は備えてない。ここはわざとそれっぽいことで話しを合わせる。
ここ数日の、伊和奈の様子。特に食卓が矢鱈と豪華だった。金銭管理を徹底する伊和奈が食に贅沢を投じるのは……。正月だけだったけ? 貯蓄がどれだけあるのかは伊和奈でないとわからない。いろいろとひっくるめて、伊和奈が湯水のように金を使い込むは絶対にない。
『……。そ、そうなの。そうよ、これでは口紅を引けないわ。ねえ、作蔵。わたし懐中電灯を持ってくるね。あら、その前にこんな真っ黒だから……。ああ、また雷が鳴っている』
伊和奈はすっぴんだ。理由は化粧が上手じゃないと、本人がやりたがらない。大手メーカーの口紅一本の値段で一週間分の食糧が買えるとよく口を突いていた。
焦ろ、伊和奈。狼狽えろ、伊和奈。墓穴を掘って掘りまくれ、伊和奈。
「そうか、雷か。室内の灯り代わりになる。と、いうことで」
作蔵は、カーテンを開く。すると、蒼い閃光が煌めいた。
『ひいいっ! いやいや、直に見せるな』
作蔵は嘲笑った。そして、見た。
一瞬だったが伊和奈の化けが剥がれていたのが確認できた。
雷よ、まだ遠ざかるな。
作蔵は雷光に願ったーー。