最終話 蓋は閉じられる〈3〉
“幻”が熔けても“事実”は留まっている。
作蔵は《場所》で遭遇していた“器”を、今一度鑑定する。老いた象りをしている“器”の内側に、若さが零れる“念”が張り付いている。これは“器”の状態が保たれている証し。
“器”の外側は、卵の殻のようなものである。謂わば、蓋が閉じられている状態。
蓋を開く。
今すぐにでも。ただし“芯”が願っていれば、だ。
正式に“芯”から依頼を承って。
「悪いな、一応“蓋閉め”の決まり事だからな」
作蔵は宙に竹筒を掲げていた。
「……。波動は感知できたが、象りは見えない。頼む、応えてくれ」
“器”の“芯”が、近くにいる。作蔵は同意を得ようと懸命になった。
「おまえは、よく頑張った。心配するな、今まで通りだ。……。ああ、家に帰ったら年越しと新年の準備だ」
竹筒が、ほあんと、朱色に灯る。
“芯”からの、依頼が詰まった。竹筒を開けば、成立。蓋は、作蔵の掌。
作蔵は、竹筒に被せる掌を、外す。するとーー。
ーーウツワ、ニ、モドリタイ……。
「任せな」
作蔵は“器”に歩み寄った。そして、襷の端を“器”の右手首に巻き付けて縛った。
ーー史、蓋は開かれる……。
依頼は、依頼主を“器”に戻す。先ずは“器”に覆う“蓋”を剥がす。これまで、幾つもの“閉め”を執り行ったが“開く”に於いては、数をこなしていない。それでもやり切ると、絶対にしくじらないと、作蔵は奮い立つ。
「よしっ、皹が入ったっ」
“器”の表面に亀裂が生じた。この隙間から“芯”が入り込めば……。
作蔵は“器”から襷を解く。
「あとは、おまえ自身でやり遂げられるっ。内側から、おまえが破れっ」
ーー伊和奈。行って、戻ってこい……。
ーー……。おっけい、作蔵ーーーー。
そしてーーーーーー。
「……。ただいま」
「ようこそ」
「なに、その言い方」
「感触が……。」
すう、はあ。と、荒い息遣いが、作蔵に聞こえていた。
ーー何処を触っているっ、このどすけべ野郎がああああっ。
「……。鼓膜、破れた」
“実体”を取り戻した伊和奈が、作蔵の耳元で叫ぶーー。
***
やっぱり、伊和奈。作る飯は、ぜっぴん。顔は、すっぴん。日常は、なにひとつ……。
変わっていたと、気付く。
「痛い」
「そりゃ、そうだ」
「先に寝る」
「お大事に」
年の瀬だというのに、伊和奈が調子悪くしていた。おととい、昨日、今日。たぶん、明日もだろうと、作蔵は伊和奈にやきもきしていた。市販薬と絆創膏で済んでいるのは幸いだが、入院するほどの状態になっていたらと思うと、色々と混じって身震いする。
いないと、困る。
“実体”があろうがなかろうが、伊和奈そのものがいなければ。
今日、明日、明後日を過ごせないーー。
「おはよう」
「おう」
「今日、大晦日」
「うい」
「明日、元旦」
「らじゃあ」
伊和奈は包丁、作蔵は掃除用具一式。年越しと新年に向かう為の、役割分担の打ち合わせを経て道具を握る。
「かけそば」
「うむ」
「除夜の鐘」
「ふう」
「明けた」
「よろしく」
夜が更けた四畳半にて、年越しそばを啜りながらの伊和奈と作蔵だった。
「……。戸田さんとこ、もうすぐだよね」
「旦那、育休するだとよ」
「そこで飼われているポメラニアン、名前に笑った」
「よしてくれい。俺、気にしているんだぜい」
「チワワも飼ってるのよね」
「俺が名前をつけてやった」
「ぷふっ『茶太郎』て、なんで」
「けけっ、うけるだろう」
「名前の素になった本人、知ってるの」
「面白いから、おまえも黙っとけよ」
「くっふっふっ、作蔵の悪ぅうう」
げらげらげら。と、伊和奈は大笑いをした。
「俺、やっぱ寝る」
「わたしも」
「朝、雑煮」
「餅は」
「10個」
「あんたが起きる前に焼く」
「俺、おまえを起す」
「……。今朝も、そうだった」
「嫌か」
作蔵の訊ねに、伊和奈は首を横に振っての応えをする。
物語の史は、曖昧模糊ーー。




