蓋は閉じられる〈1〉
物語は、史。
史は、曖昧模糊ーー。
***
止まらない歩行、噴き出る汗、掴めない時の間隔。
作蔵は【夢幻集落】に到着した。しかし、寂れた景観で活性がない。ふと、視野に入った人家も同じくだった。戸口に錠は施されてなく、勝手に敷居を跨いでも住民がいるとは思えないが表れていた。
折れて突起している障子の桟、切り裂かれている掛け軸、散乱している衣類。そして、畳の上に散らばる無数のお粗末な固形物。
作蔵は、縁側から降りた。見えた蔵の状態が良いと気になり、扉前までに移動した。右手で軽く叩き、感触を確かめると薄い一枚板であるのがわかった。
何が、此処に。
作蔵は探求する。そして、躊躇いなく扉である板戸に蹴りをいれた。ところがーー。
板戸が破れない。作蔵は体当たりした、拳で何度も叩いた。その度に身体が反り、拳は激痛を伴った。
作蔵の勢いは弱まる。元々廃墟の敷地内だ、何を思いついて……。いや、何かがあると直感しての行為だった。はずしてはいない、けして、諦めはしない。
今一度と、作蔵は板戸に挑んだ。先程より板戸の強度が増している、これ以上やり続けても体力が消耗するばかり。かといって、このまま引き下がるわけにはいかない。
作蔵は意思を二転三転と変えていた。ただ意地を張っているようにしか捉えられない。自棄になったのか、板戸の表面を人差し指で上から下へとなぞるをした。
「畜生っ」と、作蔵は感情を剥き出して、拾った小石を板戸に投げつけた。そして、敷地内から撤退しようと翻した。
すると。
作蔵は三歩進んだところで蔵に振り返った。足元に振動を覚えた直後、煤埃が混じる風圧を喰らう。次に目の前の光景に呆然となる。
蔵の出入口を塞いでいた、板戸が消えていた。叩いても蹴っても破れなかったそれが、この状態になった。
「……。中に、入ってみよう」
作蔵はあっさりと受け入れて、蔵に侵入したーー。
***
中は暗い、灯りが欲しい。
作蔵は薄暗い蔵にあった棚に照明となる道具が置かれていたのを見つけ、速攻で掴む。
蝋燭、マッチ、手燭。どれも、真新しい。作蔵は手燭に蝋燭を立て、マッチを擦って火を点した。
ぼんやりと、蔵の中が朱色の灯で染まると、作蔵は思いに更け始めた。
此処に来るまでの始まりは、若夫婦の愛玩犬捜索を引き受けたからであった。そう、帰宅しない伊和奈を探す為の口実で。河川敷を渡り、街道を進んでこの集落にあった、廃墟をーー。
何故、此処に辿り着いた。あてもなく、手掛かりもなく。
「……。あの箱」
作蔵はぼそっと、呟いた。蔵の中で今持っている道具以外の物が棚に置いてあったと、気付いた。そして、確認をするとーー。
見覚えがあった。そう、自宅の《鑑定の間》に置いている“封じの葛籠”をだった。形は全く同じだが、古びた感じがない。
──あなたは“蓋閉め”ですが、此処は、特に【夢幻集落】はーー。
──此処を過ぎたら、今の自分でいるには相当な根気がいる。迷うはしないと、自信満々で行ったが変わり果ててしまった、そんな象を幾つも見た。
【朧街道】の《関所》での門番。街道沿いの茶屋にての主。どちらも、意味ありげに言っていた。
「へっ。つべこべ言われたって、怯むわけにはいかねえよ」
作蔵は笑みを浮かべる。鉢巻き、襷、前掛けの結び目をぎゅっと絞め、足の指の間に一本歯下駄の鼻緒を深く挿む。
葛籠を棚から下ろし、蓋に手を添える。作蔵は葛籠の蓋を開き、中を覗く。無限の、底が見えない空洞が、作蔵に見えていた。
虎穴に入らずんば虎子を得ず。作蔵は葛籠の中に足を入れる。すると、作蔵の身体は更にすっぽりと填まった。
作蔵は、墜ちたーー。
***
綿毛に包まれているような感覚で、作蔵は墜ちていた。何処に着くかわからないが、作蔵は墜落を身に任せていた。余裕があるらしく、たまに前方宙返りをする。だが、それは長くは続かなかった。調子に乗って、頭部を下にした途端に衝撃を覚えたのであった。
ひい、ひい。と、作蔵は痛がった。ふ、と、気が遠くなるのがわかっていた。
しかし、だった……。
ーーひっ、ひっ、ひっ。見事に間抜けで滑稽だ。
嘲笑いが聞こえたと、作蔵は「かっ」と、気を取り戻す。
「ちっ、変なところに来ちまった」
作蔵は見えていた。着いた処は、青白い月明かりが差し込む屋内。壁は木材、床は土。掘立柱建物のような工装の家屋だと、作蔵は気付く。
ーーひっ、ひっ、ひっ。そんなに目くじらを立てるな、引き戸の奥を見るのだ。その黒い目でな。
作蔵は“声”に渋々と賛同する。そして、引き戸を開く。するとーー。
「婆ちゃん、寝心地悪いのでは」
木の角材が支えるトタン板の上に寝そべる老いた女性が、作蔵をぎょろりとした目で見ていたーー。




