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史、蓋は開かれる   作者: 鈴藤美咲
走る袢纏
19/23

月に鳴いてみろ

 見上げた、血に塗られたような月の色。この“蓋閉め”でも悍ましい。


 額に『作蔵』と刺繡された黒い鉢巻き、肩に黄色い襷。赤の袖なし丸繰りシャツと紺色の七分丈ズボン。

 かたん、かたん。真冬に相応しくない身なりの作蔵は、街路灯が照らす住宅街の路に一本歯下駄を鳴らしていた。


 先程会った一組の夫婦は、自宅から失踪した愛玩犬を探していた。経緯を訊き、捜索を代わりに引き受け“蓋閉め”の身なりに着替えた。


 行動を起こすに口実が必要だった。伊和奈、待っていろ。おまえが何処にいようが俺は必ず見つけてやるーー。



 ***



 この寒さは身に堪える。と、なれば、愛玩犬は大して遠くに移動はしていまい。そう、寒さしのぎで何処かに隠れている筈だ。


 きゅん、きゅん。


 作蔵は住宅街と農業地の堺に生い茂る笹薮で足止めする。すると、犬の鳴き声を聞くのであった。


「おう、おまえだろう。おいおい、そんなに警戒するな」

 作蔵が笹薮を掻き分けて、見る小型犬がぶるぶると震えていた。ところが、手を差し伸べると威嚇されてしまう。


 小型犬の種類はポメラニアン。首輪に下がる鍍金のプレートに『作蔵』と彫られている。ああ、こいつがそうだ、間違いない。とっとと、飼い主に渡そう。


 きゃん、きゃん。


 なんだ、もう一匹いやがった。


 作蔵はポメラニアンを抱えて来た道を引き返すところだった。すると、笹薮から種類が異なる小型犬が現われる。しかも、チワワ。何故、チワワ。このチワワは別に飼い主がいるだろうが、首輪を填めていないのが気になる。かといって、ほっとくわけにもいかない。


「おまえもこい」

 作蔵はチワワも連れて行くことにした。こっちは抵抗する素振りを見せず、腕の中にいてくれる。ポメラニアンの飼い主は一匹増えたところでけちをつけるはするまい。


 一応、ひとつの目的は達成した。時間が惜しい、さっさとこいつらをーー。


 ぐるる……。

 ぎゅるぎゅる……。


 作蔵は「はっ」と、驚くさまになる。抱える二匹の小型犬が唸りだしたことにだ。そして、堪らず二匹を地面に下ろす。


 チワワとポメラニアンの中で、何かが起きた。二匹は正面に向き合って、座りながら唸り続けている。逆立つ毛、ぎらりと光らせる目。その姿の、徐々に変化していくのが嫌でも目に入る。


 グオオーッ!

 にゃああーっ!


 作蔵は茫然自失になる。二匹が巨大化した、それがただの巨大化でなかった。チワワは“グレートマザー”という、腹のポケットに仔猫と浮き輪を抱えたラッコを突っ込ませている縫いぐるみに、ポメラニアンはといえば、百獣王の獅子の姿でだ。


 犬がどっちも猫? 待て、そんなことはどうでもいい。げっ、戦いをおっぱじめやがった。ああっ、そっちにいくなっ。そんな図体では、民家を踏み潰してしまうだろうっ。


 作蔵は二匹を阻止しようとしていた。前方より獅子の右前足を躱す、後方から縫いぐるみより砲弾された、二体の付録を避けながら、作蔵は懸命になった。


 こっちの身が持たない。せめて、こいつらの巨大化と狂暴化した原因を突き止めねば……。


 作蔵は見上げた。この月の色は何度見ても不感だ、長く見るのは障る。もしかすると、チワワとポメラニアンは月をじっと見上げて妙な体質になったのか。見ただけで、こんなに変わり果ててしまったのか。


 二体の暴走を止められない。作蔵は悔みながら行く末を見届けることを選んだ。ずしずし、のしのし。一歩、また一歩と、二体の“渾沌”が住宅街に迫っていた。


 巨大な獅子の左前足が、民家の屋根瓦に……。作蔵は堪らず目を逸らす。家が潰される、犠牲者が出る、作蔵は耳を塞いで身を低くした。


 作蔵は「ん」と、怪訝なさまになる。雑駁な振動がないのに気付き、耳を塞いでいた掌をおろす。そして、おそるおそる顔を上げる。


 どういうことだ。


 作蔵は起立した。巨大な獅子が踏み潰した筈の民家が象りを保っていた。奴はどうした、もう一体は。


 確かにいる。作蔵は二体の“渾沌”を目視した。二体は住宅街を荒らして……。いるように見える。空間や物体に映像を投影しているようにだ。


 がおーんっ!

 にゃにゃあーっ!


 やはり、この月の色は不感だ。この“蓋閉め”が見事に嵌められた。幻視に惑わされるとは、滑稽で間抜けだ。


「おまえら、夜が明けたら飼い主のところに帰れ」


 作蔵は二体の“渾沌”に言い放つと「かたん」と、下駄を鳴らしたーー。




 ***



 とりあえず、ほっとける。


 作蔵は先程遭遇した事態に、無責任とでもいえる見解をする。


 見えているだけで、見えているだけなら、このように……。



 “蓋閉め”は、やっていないーー。



 ーーああ、丁度よかった。おっと、素通りしないでくれよう。


 作蔵は住宅街を抜けて農業地の畦道を歩いていた。目下の蒼白い球体の貌に構っていられるかと、振り切るつもりでいた。


「ついてくるな」

 作蔵は苛ついていた。ふよふよとくっついている貌にだ。


 ーーそんな、哀しいことを言い放さないでくれい。あんた“蓋閉め”だよな、どうか《花畑》に行かせてくれよう。


「は」と、作蔵はしかめた。そして、貌を掴んだ。


 ーーぐは、加減をしてくださいよう。


 貌は作蔵の握力に嘆いた。


 一丁前に痛がるとは滑稽で、怒りが膨らむ。掌から伝わる“邪”が実に腹立たしい。


「……。ねぼけるな。行きたけりゃ、自力でなんとかしろ」


 ーー出来ないから、頼んでるのだよう。悪事を働いて、裁きを受けたくなくて……。あ、違った。そうそう、考え事をしていたらこんな有様になっていて……。おう、そうだ。そうなのだよう。


 ぐだぐだと。だからこのように、言い訳じみた貌を相手にするのは嫌なのだ。


「月に向かって鳴いていろっ」


 ーーわおおん……。


 作蔵は大きく腕を振りかざし、貌を空高く投げ飛ばしたーー。



 ***



 高く昇る月の色が濃くなっている。ああ、ここは仕方なく時短で移動するしかない。


 作蔵は、河川敷にいた。吹きすさぶ風が痛くて冷たいと、作蔵は桟橋に立っていた。


 ーーおう、作蔵。川下りと川渡り、どっちをする。


 ぎっちら、ぎっちら。一槽の舟が桟橋に接岸した。すると、紺色の法被を羽織り足に履くのは白の足袋に藁草履の船頭が、被る竹笠のつばを左の親指で持ち上げて作蔵に訊く。


「川渡りで頼む」と、作蔵は船頭に二枚の千円札を差し出す。


 ーー心配するな。おまえさんから運賃は取らない、おまえさんが“蓋閉め”だからだ。と、いうより、今のあっしに銭などぜんぜん役に立たない。


「そうか」

 作蔵は、船頭を見る。すると、ぼやけた象りをしているのに頷くをするしかなかった。


 ーーいいんだ、いいのだよ。どれ、舟を出すからそっと乗ってくれ。


 船頭は船尾で作蔵が舟に乗ったのを確認すると、舟を漕ぐ為の櫓べらを動かす櫓つぐを左手で握り締めた。


 ぎっちら、ぎっちら。ぎっちら、ぎっちら。


 作蔵を乗せる舟は、対岸の桟橋に着くーー。

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