種
作蔵は、じっとした。
秋名井紅葉が“依頼”の理由に口を開くことを待っていた。そして、顔をしっかりと見つめていた。
“能弁婆”と、いう渾名で呼ばれているわりには、年齢不相応な顔立ちが気になった。
【霜月家】に時の捻れと歪みがある。と、敷地内に踏み込んだ瞬間に承知はしていた。
実際に屋敷へと案内したのは秋名井紅葉。
おもてなしをうけている最中でも、屋敷内で生きるものを見ることはなく、動く気配さえ感じられなかった。
だから、作蔵は待っていた。
“生きる証し”から近付く瞬間を捉えると、じっとした。
臆測は、確信に変わる。を、作蔵は待っていたーー。
***
【霜月家】のご当主と奥方は仲睦まじい間柄で、子宝に恵まれないを除けば本当に夫婦円満。幸せで溢れているおふたりを、隣保は羨ましいと囁きあったものでございます。
季節が何度も巡ったある日でした。
【霜月家】に待望のお子さまである、お嬢様がご誕生されました。愛くるしくて、堪らない。と、ご両親は大切にされました。お嬢様はすくすくのびのびと、成長されました。勿論、ご両親のあたたかい愛情に包まれてです。
でも、それは突然訪れました。
お嬢様が、目を開けない。身体はあたたかいのに、動かない。
名医を何人も呼ばれましたが、お嬢様のご容体に匙を投げる。に、ご両親の身も心も限界状態だった筈です。
ところがーー。
「ふう」と、作蔵は溜息をつく。
「作蔵さん、お顔が真っ青ですよ。そうだわ、少しばかり息抜きをしましょう。あなたは今いる座敷から1度も出ていない、場所を変えるはいかがですか」
「お気遣いありがとうございます。場所は引き続き此処で大丈夫ですが、お手洗いに行きたい」
「あらあら、わたしとしたことが肝心なことに気付いていませんでした」
秋名井紅葉は顔を赤くした。
***
方角からすると北の位置だろう。薄暗い廊下をまっすぐに歩いて着いた〔厠〕の扉を、作蔵は手前に開いた。
古風な内装の〔部屋〕は芳香の爽やかな薫りが充満しており、壁ばかりでなく窓際にまで緑を彷彿する小物が掲げられ置かれていた。作蔵は“用事”を済ませて洗面台の蛇口をひねり手を洗い、左側の壁に吊るされている手拭いで濡れた手を拭った。
今のところ《屋敷内》に変わったところはない。しかし、秋名井紅葉以外の“活きる”がいっこうに見えない、聴こえない。
想像以上に蝕まれている何かがある。伊和奈を遣わせなかったのは正しかった。この“蓋閉め”が一瞬だったが“恐怖”を感じ取って、秋名井紅葉の言葉を遮った息遣いをしたくらいにだからだ。
さて、戻ろう。そして、今度こそ秋名井紅葉の語りを最後まで聞こう。
作蔵は座敷へと向かうために、廊下へと一歩前に踏み込んだ。
ーー通せんぼ。おじさま、ここから先は行ったら駄目です。
二歩目のところで作蔵は声を聴いた。
「悪いけど『お兄さん』は、お家の誰かと大切なお話の最中なんだ。学校に通っているならば宿題、予習、復習。と、いった勉強をしなさい」
聴こえた声は、少女だろう。姿はわからないが、作蔵は立ち止まって“声の主”に呼び掛けた。
ーーおじさま、駄目といったら駄目です。
作蔵は、少女の言い方に少しばかり怒りを膨らませた。すると、真夏の陽射しに照らされたように暑くて堪らない、汗が滴るほど全身を火照らせた。
「『お兄さん』は、こう見えても“仕事中”なんだよ。冷やかすをしないで、おりこうさんにしなさい」
ーーわたしはずっと、おりこうさんだったです。お母様がいなくなった時も、お父様がどこかにいったきりかえってこなくなった時でも、おうちから出なかったです。
今度は寒気がする。いや、まるで猛吹雪のなかにいる。汗で濡れた身に着ける上下の衣類さえ、凍りつくのがはっきりとしていた。強い眠気、重石を背負うような感覚。
ーーあきない、飽きない、秋なんて来なくていい。春を這って、夏に捺。冬は負が勇。嗚呼、喜がない。呆れて、愛生がない。
くすくす、ふふふ、うふふ……。
少女の嘲笑いが、暗くて冷たい廊下で木霊していたーー。




