子細に及ばず
“化けるモノ”が居座っていた。ここ数日の違和感は、是だった。
伊和奈に化けて欺かせたと、のぼせていただろう。この“蓋閉め”を嵌めたと、有頂天になっていただろう。
本来、この阿保に灸を据えるのは“捕り物”の役目。こんな阿保に“捕り物”が業を煮やしていた。
いや、待て。阿保がのさばっている時に、伊和奈はーー。
伊和奈、おまえは何処だ……。
***
奴の弱点は雷光。そこまでは良いが、隙を突かれて取り逃がすはあってはならない。
雷よ、まだ遠ざかるな。この“蓋閉め”の味方になってくれ。あと一瞬だけで構わない、おまえの閃光を頼む。
「伊和奈、たまには手を繋ぐをするぞ」
奴が伊和奈に化けているのは明らかだ。其処を逆手にしてみると、作蔵は奇策を練ることにした。
「そうね。いいよ、作蔵」
虫唾が走る甘味な物言い。ぴたぴたと、畳を踏みしめる音。手首を掴み、指先を這って掌が重なり合う感触。
奴は間違えなく“化けるモノ”だと、作蔵は確信する。伊和奈に“実体”はない。化けられたのは象りだけで他の特徴に気が回らなかった。特にこの、人肌に触れるははっきりとした証拠。
雷よ、急いで閃光の準備を整えてくれ。
作蔵は嫌で堪らなかった。気色悪くて、倒れるのと気絶するのを選びたい程。そう、作蔵は偽伊和奈を嫌がった。
……。伊和奈、助けてくれい。おまえの叫びをこいつにぶつけてくれい。
「伊和奈っ!」
ーーおっけい、作蔵。しっかり捕まえといてよ。
作蔵は呼ぶ。すると、家屋の真上で轟く雷鳴と共に重く、低い声が聞こえた。
ーー術、縛り……。
作蔵は偽伊和奈に通力を発動させる。一時的に照準の動きを停めた、あとは瞬間に任せるしかない。
瞬間とは、伊和奈と雷の連携。作蔵は、其れを待っていた。そしてーー。
ーーきいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!!!
「……。やったな、伊和奈」
「かっ」と、眩しい雷光と全身が痺れるような汚い高音だった。それでも作蔵は、次の行動に取り掛かった。停電で室内は暗闇だったが足の裏の感触を確かめた、爪先で突いたりもした。反応がないとわかると、屈むをして指先を差し出す。
煮ても焼いても食えぬ。
作蔵は掴みながら嘆く。そう、作蔵の掌の上で転がっていたのはーー。
停電が解消され、作蔵はふらりと廊下を歩き固定電話が置かれる台に辿り着く。
「茶太郎、俺だ。……。ああ、不味そうな“生モノ”をさっさと捕りに来い」
〔化け、逃走封じ〕
札付きの輪ゴムで綴じ口が縛られているビニール袋の中に、一匹の海老が入っていたーー。
***
ここ数日、伊和奈は何処にいた。事が解決しても解けない謎に、作蔵は頭を抱える。
『旦那、空気を吸わせてください。息苦しくて堪りません。ああっ、そんな乱暴なことは止してください』
作蔵は「むかっ」と、した。ふてぶてしいと、作蔵は“モノ”が詰まるビニール袋を攪拌した。
「作蔵、来たよ」
伊和奈は作蔵に“捕り物”が到着したことを告げる。
「ああ」
作蔵は生返事をして、玄関に向かう。そして、土間で待っていたふたりの“捕り物”の装いに呆然となる。
「作蔵さん、捜査のご協力ありがとうございます。いやあ、驚かれてしまったご様子ですね。犯モノを御用するにはぴったりの恰好をしました」
麦わら帽子に白の袖なし丸首シャツ、紺の短パンで水色のサンダル。右手に網、左手にブリキのバケツ。
どうみても、夏休みの思い出を作ろうとしている少年。
「早く連れて行け。こんな生臭いモノ、とっととそっちでなんとかしろっ!」
作蔵はビニール袋を“捕り物”に押し付け、追い返して玄関の戸口を閉めると錠をする。
「作蔵、なんだか荒れているね」
「ん? まあな。かといって、おまえの所為じゃないぞ」
伊和奈の不安気なさまに、作蔵は機転を利かせたつもりだった。しかし、伊和奈はじわりと涙ぐんでいた。
「作蔵でも、ばかされる。わたしは、其れが歯痒い」
「俺が油断していたのがいけないんだ。伊和奈、おまえの援護がなかったら俺は奴を取り逃がしていた」
すり抜けてしまうはわかっている、実体がない伊和奈に触れるはできない。それでも作蔵は伊和奈の涙を拭うという、動きをした。
「……。あの海老。あとひとつ、やってくれたわ」
「おまえに化けてたからな。おう、もっと怒れ」
「あ、そう。それでは、お言葉に甘えて」
「すう、はあ」と、伊和奈が肩で呼吸をする。作蔵は「ぶるっ」と、身震いすると、こそこそとした足取りで自室に向かおうとした。
ーーわたしのへそくりで、作蔵に豪華な食事を鱈腹食わせていたこと。絶対にゆるさああああああんっ!!!!
伊和奈、おまえはここ数日何処だった……。え? たった今、なんていったの?
作蔵は、伊和奈の叫びによって意識が朦朧となってしまう。
「ああ、すっきりした。あら? 作蔵の懐から何かがこぼれた。……。やばっ。おーい、お願いだから目を覚ましてよ」
ーーお、おいらのことなの? そうだ、おいらは作さんに名前を、貰った。おいらは、弥之助……。よ、よろ、し……。く……。……。
一羽の雀が、気絶して倒れている作蔵の傍で転がっていたーー。




