41.佐藤愛という女
駅を出て15分ほど歩くと、川沿い付近に屋台が立ち並んでいた。
時刻は18時より少し前、手筒花火の奉納、――神前放揚までにはまだ少しの時間があった。
夕食には早いが、いつも道場の活動の前に夕食を取っている勇気や愛にとっては、普段ならもうお腹を満たしている頃合いだ。
勇気はここに来る前、菓子パンを腹に詰めてきたとは言え、育ち盛りの男子には物足りない量である。
いや、お腹が空いているのは他のみんなにとっても同じことだろう。
そのため、少しだけ買い食いをしていこうという話になった。
屋台では希望が浴衣姿のかわいい女の子を求め彷徨ったり、勇気と愛がヒーローごっこのノリで綿菓子の早食い対決をしたりと大騒ぎだった。
可恋はそんな様子を微笑ましそうに見守り、正義は興味なさそうな様子だったが、ちゃんとみんなの動きに合わせてついてきていた。
夢はいつの間にか人混みに紛れていなくなった希望を連れ戻すのに必死だった。
みんなそれぞれ違った形だが、祭りを楽しんでいることに変わりはなく、それは賑やかだけれど、とても穏やかな時間だった。
だが、そんな楽しい時間はいつだってあっという間だ。いよいよ手筒花火の奉納の時間が迫ってきた。
6人は神社の境内へと移動した。すでに人だかりができていて、なかなか前に進めない。
少しのんびりし過ぎたかもしれない。もっと早めに場所を確保しておくべきだった。
加えて気付けば6人はバラバラになっていた。迷子になるほど広い境内ではないが、ここから合流するのは大変そうだった。
正義はひとりはぐれたうえに、人垣でよく前が見えない様子だった。特に背の低い彼には大変な状況だ。
そんな中、前のほうでわっと歓声が上がる。ついに手筒花火の奉納が始まったようだ。
確かに見上げれば炎が噴き上がっているのは分かる。しかし、筒を抱えているという職人の姿は正義の位置からは見えなかった。
――まあ別にいいか。俺はそこまで花火に興味があったわけじゃない。
あいつらに誘われたから、――ただあいつらと遊びたかったから、ここに来ただけのことだ。
全く花火が見えないというわけでもないし、ここからの景色でも十分見応えがあるだろう。
俺はそれで十分満足、……っと、うおぉおう!? なんだ、なんだ!?
「せーぎくん、こっちこっち!」
正義は突然うしろから思いっ切り右腕を引っ張られた。見ればそこにいたのは愛であった。
思った以上の怪力に為す術もなく、正義は愛の引っ張る方向に引き摺られ、少しずつ花火のほうから離れて行ってしまう。
これじゃ余計に見えづらくなってしまうんじゃないか? おいおい、一体どこまで引っ張っていくつもりだよ!?
そう思ったが、口を開く余裕はなかった。人だかりを抜け出したところで、ようやく息をついて文句を言った。
「おい、何すんだよ!」
「いーからいーから、向こうのほうが見やすい場所あるよ。
ほら、早く行こうよ、せーぎくん!」
そう言うと愛は今度は腕ではなく、正義の手を取って歩き出した。
そんな愛の手はとても柔らかかった。……なんだよ、筋肉女のくせに。
正義はそんなことを考えながら、そのまま愛の手を握り返した。不思議と嫌な気持ちはしなかった。
それどころか、胸の高鳴りが心地良かった。ああ、そうか、俺は――。
その感情の正体に気付いたとき、ちょうどふたりは人だかりの左端のほうまで来ていた。
――なるほど、正面からよりは見えづらいが、その分人の集まりも少ないようだった。
確かにここからなら、職人の姿まではっきり見ることができた。
「っていうか、お前。あいつらと一緒じゃないのかよ」
正義はぼそりと呟くように訊ねた。人々の歓声や花火の音にかき消されてしまうほど小さな声で。
別に聞こえなくてもいいと思って訊いたのだが、その言葉はちゃんと愛の耳に届いたようだった。
「いーの、いーの。勇気くんと可恋ちゃんとは去年も見たし。
それにほんの何メートルかくらいの距離にはみんなもいるはずだしさ。一緒に見てるのと同じだよ」
まあ、そんなものか。正義はそれ以上深く考えることはやめた。
その目にしっかりと焼き付けたかったからだ。この光景を、この瞬間を、この思い出を。
――そして、愛の横顔を。それはきっと花火よりも美しく輝いて見えた。誰がなんと言おうとも。
ああ、そうさ。認めてやるよ。俺はこの佐藤愛という女に、――恋をしている。
熱く燃え上がる花火よりもずっと熱く胸が焼き付くのを感じる。
周囲の空気はひりひりと焦げ付くように熱い。
鼓動がうるさいほど鳴っているが、この盛り上がりの中、聞こえることはないはずだ。
だが、もしかしたら、この女なら耳聡く聞き取っているかもしれない。
そう思い、ちらりと横顔を見ると『なぁに?』と言いたげに目を合わせてくる。
その瞳に吸い込まれそうになって、なんでもなかったように目を背ける。
あとはもう時間が流れるのを待つだけだった。それはまるで永遠のようでもあり、一瞬のようでもある不思議な時間だった。
やがて手筒花火の奉納が終わった。今度は場所を移して、大筒という台の上に固定した花火を打ち上げるらしい。
正義は手筒花火だけで終わりだと思っていたので、もう少しだけ愛と一緒にいられそうで嬉しかった。
――だが、移動した先には他の4人が揃っていた。ちょっと残念だ。
しかし、そんな思いはおくびにも出さず、正義は平静を装って合流を果たした。
「あれ、愛ちゃんは正義くんと一緒にいたのかい?」と勇気が訊ねる。
「うん、遠くから見回したらせーぎくんが迷子になってたから」
「なってねえよ! 俺はひとりでゆっくり見たかったのに無理矢理引っ張っていったんだろ!」
「えー、寂しそうにしてたくせにー」
愛の言葉に正義は思わず言い返そうとしたが、大した間もなく大筒が打ち上げられた。
6人はその光景に釘付けになっていた。魅力的を通り越して幻想的でさえあった。
合間には、小型の手筒花火や、火薬の入った球が筒先から多数飛び出す乱玉と呼ばれる花火も打ち上げられた。
きっとここにいる誰もが、この光景を生涯忘れることはないだろう。それくらい素晴らしい奉納の花火だった。




