34.かごと少女
シュガーちゃんはいつも大人しくて助かる。それにとっても賢い。
キャリーを開けて名前を呼んだら、自分から中に入ってくれるほどに。
本当はこの子、犬なんじゃないかな? なんて思うくらいだ。
愛ちゃんのほうはいつも元気だし、頭のほうはバ、……こほん。そこまでじっくり考えるタイプじゃないのに。
でも愛ちゃんも私が呼んだら、犬みたいに尻尾を振って来てくれるかな。
ふふっ、なーんてね。何考えてるんだろ、私。変なの。
いけないいけない、そうこうしているうちに時間に遅れてしまう。
今日はシュガーちゃんを動物病院に連れて行かないといけないのに。
先生を待たせるわけにはいかない。早く行かなくちゃ。
私は半分寝惚けた頭を覚ますために顔を洗ってから、家をあとにした。
外に出るとセミの鳴き声が聞こえて、もう夏なんだなと感じられた。
……暑い。白いワンピースを着てきたけど、帽子も被ってくるべきだっただろうか。
シュガーちゃんの重量を含めたキャリーは結構重いので両手が塞がってしまう。日傘は差せない。
けど、私のことより、ちゃんとシュガーちゃんのことを見ていないと。
大丈夫かな、暑くて茹ってない? 私はときどきキャリーの中を覗き込みながら動物病院へ向かった。
その途中、公園を横切った。元気そうな男の子たちの声が聞こえてくる。
いいな、男の子は。こんなに暑くても外で遊ぶような気力があって。
……あれ、そう言えば、この公園って大地くんたちと遊んだ公園だっけ。
あの子たちも遊んでるのかな。というか、この声って聞き覚えがあるような。
もしかしたらと思い、私は公園のほうを見遣った。
するとそこにはやっぱり大地くん、海広くん、空也くんの3人がいた。
それにその近くにいるあの子って確か……。
――いや、それよりも。
私が見た光景は少々信じ難いものだった。男の子たちがタンクトップに半ズボンで、虫取り網とかごを持ってるのは別にいい。
それと全く同じ格好をした、私の大好きな親友がそこにいる気がするのは私の幻覚だろうか。
「あれ、可恋ちゃん?」
ああ、幻聴まで聞こえてきた。やはり今日の私は疲れているのかもしれない。
ひとりにょっきりと生えているかのように背が高く、小さな男の子たちと混ざって虫取りで遊んでいる女子中学生なんているはずが……。
「どうした、猫耳の姉ちゃん?
お? あそこにいるのって、髪の長いほうの姉ちゃんじゃん」
「おーい、可恋ちゃんもこっちおいでよー」
……うう、仕方ない。たとえ幻覚でも手招きまでされたら無視するわけにもいかないだろう。
私は認めたくない現実を直視できないまま、恐る恐る近付いて行った。
「おはよー、可恋ちゃん。偶然だね。
キャリーなんか持ってどうしたの? 私も似たようなかご持ってるけど」
それは虫取り用のかごでしょ……。サイズも色もデザインも別に似てはいない……。
共通点はただ生き物を入れるのが用途というだけだ。
「おはよう、愛ちゃん。
実は私、シュガーちゃんを動物病院に連れて行く途中で――」
「え、シュガーちゃん、どこか悪いの?
それともまた予防注射? この前も打ったんだよね?」
「あ、そうじゃなくって……。
まだこの子小さいから、ひと月に一回は定期健診に来るように言われてて、今日がその日なの」
そう言いながら私は改めて彼女の全身を観察する。
肌の露出も多いし、何度見ても女子中学生が外でしていていい恰好ではない気がする。
私のワンピースだって、せいぜい出しているのは肩までだ。
愛ちゃんはそれに加えて太ももも露わになっている。
白いタンクトップは透けているように見えるけど、多分中は見えていいものを着ている、……はず。
いくら愛ちゃんでもそこまで無頓着ではないだろう、きっと……。
でも、これはこれでかわいい……。愛ちゃんは何着てもかわいい。着てなくてもかわいい。
カブトムシもびっくりのフェロモンだ……。虫取りはやめて撮影会にしませんか。
そんなことを考えている私もおかしいのは分かってるけど、妄想が止まらない……。
頑張れ、私……。顔には出ないようにしないと……。
「ふーん、そっか。子猫を育てるのも大変だねえ。
……あ、そうだ。祥雲くん、こっちおいでー!」
愛ちゃんは私にそうしたように、海広くん、空也くんと遊んでいる遠くの男の子を手招きしながら、こちらに呼び寄せた。
呼ばれた男の子はちょっと照れ臭そうに「どうも」と私に向かって頭を下げた。
やっぱりあのときの子だった。……シュガーちゃんをエアガンで撃ってしまった子。
そして、私もどう挨拶を返していいか分からず、同じように「どうも」と頭を下げて、愛ちゃんと大地くんの仲介を待った。
「可恋ちゃんも覚えてるよね、この子のこと?」
「こいつもしっかり反省して、警察とか親とか先生とかいろんな大人に怒られたらしいぜ。
だからさ、もう許してやってくれよな。こいつだって撃とうと思って撃ったわけじゃないんだし」
「……本当にごめんなさい。その猫は大丈夫……?」
「別に怒ってないし、私に謝ることじゃないと思うな。
シュガーちゃんも多分怒ってないし、怪我ももう治ってるから大丈夫だよ」
本当はまだ怪我の痕は残っているのだけど、それは言わなくてもいいだろう。
幸いキャリーの中にいるから、よくは見えないはずだ。
祥雲くんはキャリーを覗き込んで心配そうにしていた。そして小さく「ごめんなさい」と呟くのを私は聞き逃さなかった。
「まあ、いろいろあったみたいだけど、もう全部解決してみんなで遊ぶような仲になったってわけ!
それでね、近くの林の中でいっぱいカブトムシとクワガタを捕まえてきたんだー。
ほら見て、可恋ちゃん!」
愛ちゃんはそう言うと自分のかごから一匹の虫を取り出して、遠慮なく私に突き出してくる。
私は驚いて「ひっ」と小さく悲鳴を上げてしまった。愛ちゃんは人を驚かせておいて、不思議そうに首を傾げた。
「え、カブトムシだよ、ほら。別にカブトムシは良くない……?」
「いや、無理無理無理! 早くしまって!」
後退りしながら、押しのけるように手を伸ばし、目を背ける私を見てものんきそうな愛ちゃんにちょっと腹が立った。
こういうところ、ホント合わない。愛ちゃんのことは好きだけど、根本的な部分の相性が悪いのだ。
彼女は残念そうにカブトムシをかごにしまった。
「そっかー、こんなにかっこいいのにな……。
……あれ? でも小さい頃一緒に虫取りしたことなかったっけ?
勇気くんと3人で。そのときから虫苦手だった?」
「え、えっと、それは……」
「あ、でも、あれは蝶々だっけ。それならギリセーフって感じ?」
「いや……、蝶々でも間近に見るのは嫌かも……、昔から……」
「言ってよ! そのとき言ってよ!」
理不尽に私が怒られた。そのとき、――つまり小学校1年生か2年生くらいのときは、私は今より無口で大人しかったのだ。
黙っている私も確かに悪かったかもしれないけど、そのへんはもう少し察してくれないと困る。思わずため息が出てしまう。
それを見て彼女も少しは反省してくれたようだ。
「う……、いや、ごめん。
そりゃ私が悪いね。勇気くんもだけど。
可恋ちゃんが虫苦手って分かってたらもう二度とこんなことしないよ」
「うん、そうしてくれると助かるかな……」
「分かった。じゃあ、これからは気をつける。ごめんね。
……あ、ごめんついでで悪いんだけど、健診のあとって何か用事ある?」
「ううん、特に何も。健診もちょっと体調を診るだけだから30分もあれば終わると思うし」
私がそう応えると、愛ちゃんは満面の笑みを浮かべて言った。
「じゃあさ、一緒に図書館に行かない? このあとさ」
「図書館?」
「ほら、夏休みの宿題で読書感想文あるじゃん。
さすがに漫画とかは駄目だろうけど、どんな本を選ぶかは自由だって話だしさ。
一緒に図書館で面白そうな本探してみようかなって」
「分かった。いいよ」
愛ちゃんの頼みなら断れない。私は二つ返事で答えた。
すると愛ちゃんは嬉しそうに私の手を取り、顔を近づけてくる。
「ありがとう! いや、ホント持つべきものは親友だね。
なんでもすぐ了承してくれるから助かるよ。可恋ちゃん大好き!」
そんな風に言われるとつい顔が熱くなる。顔もなんだか近いし、やばいやばいやばい……。
頭がくらくらしてきそうだ。ただでさえ、この暑さにやられているというのに。
「じゃあさ、お昼過ぎくらいに可恋ちゃんの家に迎えに行くね。
私もこのあと大地くんたちと、捕まえてきた虫を戦わせる天下一虫バトルが終わったら他の予定はないからさ」
「うん。……天下一虫バトル? ……うん」
気にしたら負けだ。何故そのネーミングに至ったのか、詳しく訊いても多分理解できないだろう。
私は笑顔を崩さず、そう自分に言い聞かせていた。
――そして健診が終わったあとの帰り道、再び横切った公園ではまだ愛ちゃんたちがいた。
そして何やら台を囲んでそれぞれ「頑張れ、頑張れ」と、自分の虫を応援している。あれが天下一虫バトル……。
「うららららーっ! さあ、行くのニャ、我がしもべ! 敵を蹴散らせー!」
いや、気にしない気にしない……。私は見なかったことにして、そこを通り過ぎた。




