21.放課の攻防
愛の夜は遅い。特に昨日は本屋から帰り晩御飯を食べたあと、大地たちとスプラトゥーンのネット対戦をし、あかねとLINEで『イカピーのぜんざい』について語り合ってから、ドラゴンクエストXをプレイし、寝る前に30分程度の筋トレをしながら可恋と通話をするという過密スケジュールだった。
ただ昨日は可恋が疲れている様子だったので、彼女との通話は早めに切り上げることにした。話の内容は主にあかねのことだった。LINEで話した感じでもいい人そうだったということは伝えておきたかったのだ。
「ふわぁあああぁあ。ねむ……」
翌朝の通学路で大きな欠伸をすると、その背中から勇気が声をかけてきた。欠伸姿を見られるのはもはやいつものことなので恥じらう気持ちはなかった。
「おはよう、愛ちゃん」
「んー、おはよう、勇気くん。もう寝ながら学校行きたいから負ぶって欲しい……」
「愛ちゃん、自分の身長でかいの分かってる? もし途中で倒れても簡単には運べないよ?」
「うわ、ひどー。体重はそんなに重くないもん! 筋肉の分はあるけどさ」
勇気の言う通り、愛の身長は158cmもある。中2女子の平均身長が155cmであることを考えると、大きいほうだ。対して勇気の身長は159cmだ。
愛が4月4日の遅生まれであるのに対し、勇気は3月14日の早生まれということもあり、その体格差はそれほど大きくはなかった。確かに背負うには少々無理をしないといけないだろう。
「まあそれはどうでもいいとして」
「乙女の純情をどうでもいいことにされたー」とむくれる愛を無視して勇気は話を続ける。
「正義くんについて、俺も少し調べてみたんだよ。
ほら、日入中に進学したター坊のこと、愛ちゃんも覚えてるだろ? 小6のとき同じクラスだった」
「あー、あのかけっこが早かった子? あの子がどうかしたの?」
「実は今あいつサッカー部なんだけど、日入中にいた頃の正義くんのことを知らないか訊いてみたら去年まで同じサッカー部だったらしいんだよ。しかも、エースストライカーだったって」
「正義くんが? でもサッカー嫌いとか言ってたんだよね?
それに去年までってどういうこと? 今年の1月にはもうサッカー部やめてたってこと?」
「ああ」
勇気がター坊から訊いた話によれば、正義は去年の12月、つまり中1の冬休みの直前までは熱心にサッカー部の活動に取り組んでいたらしい。
しかし、冬休み明けの1月に突然退部届を出してサッカー部からいなくなってしまったらしい。
どうやら冬休み中に何かあったらしいが、その詳しい出来事については知らないということだった。
元から捻くれた性格ではあったが、その頃からより一層塞ぎ込むような表情を見せるようにもなったと言う。
そして、これまた突然に転校することになったと言って、この滝登中学校に転校していったのだ。
「ふーん……、それじゃあ冬休みに何かサッカーが嫌いになるようなことがあったってこと?」
「おそらくね。……いや正確に言えば、多分正義くんもサッカーのことを嫌いになり切れてないと思うんだよ。
なんかあの子の目って寂しそうに見えるんだよね。本当はサッカーをやりたいのに、なかなか素直になれないって感じ」
「……その言い方、昨日の私じゃん!」
「あはは、バレたか」
勇気は昨日の愛に「余計なお世話」と言った手前、正義のことについて深入りするのにはうしろめたさがあったが、愛の言い分を真似て誤魔化した。
ただその代わり、愛が正義に対して話しかけて輪に引き入れようとすることについてはもう止めないつもりだと言った。
「でももちろん、無理に誘ってサッカーをやらせようとかそんな話じゃないよ。
ただそれとなく事情を聞き出したりして、必要であればまたサッカーを楽しめるようにお手伝いをしたいっていうだけさ」
「そっか。まあ私のやることに口出ししないでくれるなら、私は気にしないよ。こっちではサッカーの話には触れないでおくね」
「うん、そうしてくれると助かるかな。ああ、それと……、いや、やっぱり今はいいかな」
「うん? なんの話?」
――正義の父親には悪い噂がある。三海銀行の頭取で、資産家の脱税の秘匿に関与しているだとか……。
勇気はそんな話をしかけたが、「話すべきときが来たら話すよ」と言うと他愛もない話に話題を変えた。
確証のない噂話を愛に吹き込んでも、おそらく混乱させるだけだと思ったからだ。愛もそれ以上は気にしなかった。
その日の1限の授業が終わり、本日最初の放課(繰り返すが、愛知県では「放課」は授業と授業の間の休み時間のことだ)を迎え、愛は気合十分だった。
勢いよく立ち上がり、正義の席へと向かおうとする。とにかく攻めて攻めまくり正義と打ち解けようと決心していた。
――昨日勇気に言われたことを気にしていないわけではない。無理にお昼に誘ったりするのは余計なお世話だということは分かっている。
だけど、これから数ヶ月、あるいは1年以上ともに暮らすことになるかもしれないクラスメイトのひとりなのだ。
仲良くはなれないとしても、このまま正義がクラスから浮き続けることは彼自身にとっても良くないことだと思った。
まずは控えめなお喋りをしてから、徐々に距離を詰めていけばいい。そう思い、愛が口を開きかけた瞬間だった。可恋が普段は出さないような大声を上げた。
「愛ちゃん! さっきの授業で分からないところがあったんだけど!」
「へっ!? ……いや可恋ちゃんに分からないんだったら、私にも分からないと思うんだけど」
可恋のテストの成績はいつもクラスで5位以内には入る。10位以下は当たり前で、ときに20位くらいにもなる愛に勉強のことを訊ねても教わるようなことなどないだろう。
可恋は愛を引き止める話題としては失敗したなと思いつつも、すぐに付け加えて訂正した。
「それは……、さっき少し先生の話を聞き逃しちゃったところがあって。愛ちゃんならちゃんと聞いてたかなって」
「あ、そう……。えっと、どのあたりかな……」
仕方なく愛は可恋のノートに目を落とし、分からないと言われたところを丁寧に教えた。
ちゃんとノートにも書いてあるのになと不思議に思いつつも、珍しく自分を頼る親友を無視することなどできなかった。
気付けば2限の授業開始のチャイムが鳴り、正義に話しかける時間はもうなくなっていた。
――そのあとも放課のたびに可恋は愛に話しかけた。愛が正義に話しかけようとするよりも早く。
消しゴムを忘れたから貸して欲しいだとか、期末テストの範囲が分からないだとか、あの手この手で足止めをした。
愛は内心苛立ったが、可恋に限ってわざとやっているなどということはないだろうと心を落ち着かせようとした。
しかし、悉く正義との会話の機会を奪われた愛は昼休みの時間には我慢できなくなり、可恋が何かを言いかけた瞬間、大声で言った。
「ねえ、愛ちゃ」
「ごめん! 可恋ちゃん!! 今日のお昼は用事あるから!! 話だったらあとで聞くよ!!」
愛がそう言い終わるよりも前に、正義はすでに教室から出ていっていた。愛はお弁当を片手に慌ててそのあとを追いかけた。
「ま、待って」と可恋が小さく呟いても愛の歩みが止まることはなかった。走って追いかけたとしても可恋の足では追いつくこともできないだろう。
故に可恋はただその背中を見つめるほかなかった。勇気はそれを見て可恋に優しく声をかけた。
「愛ちゃん、何か用事があるって?」
「うん……」
「じゃあ仕方ないよ。とりあえず愛ちゃんのやりたいようにさせてあげよう。
もし何か問題が起きたら、そのときにフォローしてあげればいいんだからさ」
「でも……」
勇気には可恋の想いはお見通しなようだった。可恋は愛が正義に近付いて傷付くことを恐れているのだと。
一方で可恋も自分のそんな心が勇気に見抜かれていることは分かっていた。しかし、それは正義の性格だけの問題ではない。
正義の父親がもし本当に教育関係者に対しても強い力を持っているのならば、愛が自分たちの力だけではフォローし切れないトラブルに愛が巻き込まれる可能性だってあるのだ。
あるいは勇気はすでに正義の父親について調べて、その可能性にまで思い至っているのだろうか。そのうえで、あえて何も言わずに見守ろうというのだろうか。
可恋にとってそれは、愛の友人として無責任なことだと感じられた。だけど、勇気に対して強く反論する気にもなれなかった。
すべて自分の杞憂だという可能性も否定し切れないのだから。それならば……、と思っても、愛が自分のもとから離れていくようなそんな寂しさは募っていった。
だが、結局その日のお昼は希望に強引に連れていかれ、愛を除いたいつもの3人でお弁当を食べることになったのだった。




