20.私が守らなきゃ
私の家はそれなりに裕福らしい。あまり自覚したことはないけれど、……なんて言うと金持ちの嫌味みたいだと疎まれそうだから人前ではなんでもない振りをしている。
でも愛ちゃんはよく「勇気くんや可恋ちゃんのうちはお金持ちでいいね」なんて無邪気に笑ってくれる。……愛ちゃんの家だってそんなに貧乏じゃないと思うけどな。
私はそんな裕福らしい家のおしゃれで立派と言われる門をくぐり、玄関の扉を開けて中に入った。……家の門は普通はくぐるタイプではないことは知っている。
この洋風の屋根付き門はおじいちゃんの趣味だ。「お姫様が住んでそう」って遊びに来たときの愛ちゃんはいつも喜んでくれている。
ちょっと馬鹿にしたような言い方だけど、彼女に皮肉のつもりがないのは長い付き合いでよく知っている。
「ただいま」
「おかえり、可恋ちゃん」
玄関の先で私を迎えてくれたのはおばあちゃんだった。いつも学校帰りの私を真っ先に迎えてくれるのはおばあちゃんだ。
私の帰りの時間を予想して待っててくれているのだろうか。そう思うと、黙って寄り道したのがなんとなく申し訳なくなる。だけど、おばあちゃんはいつだって私の顔を見ると上機嫌になってくれるのだ。
「そうだ、おばあちゃん」
「猫のことなら居間でのんびり寛いどるよ。名前はもう決まったのかい?」
「あ、ええっと、その話はまたあとで……。それより訊きたいことがあるんだけど、『花道』って名前の人に何か心当たりない?」
駄目元のつもりだった。私がその名前をおじいちゃんから聞いたというのもぼんやりとした記憶のことでしかない。
その記憶が確かだとしても、おばあちゃんがその名前を知っているという保証はない。だからきっと知らないと言われると思った。けど……、
「おやおや、ずいぶんと懐かしい名前だねえ……。『花道』といやあ、おじいちゃんの昔の教え子だよ」
おばあちゃんは何かを懐かしむように満面の笑みで教えてくれた。その言い方からすると、ただの教え子というわけでもないらしい。
今はハワイに住むおじいちゃんは経営学者で、昔は大学教授をやっていた。そのときに教えていた生徒で、親密な付き合いもあったということだろう。
おばあちゃんは話が長くなりそうだと思ったのか、和室の扉を開けて中に入るように私を促したので、私は脱いだ靴をきちんと揃えてからおばあちゃんのあとを追って部屋に入った。
「それでその『花道』ってどういう人なの?」
私はおばあちゃんが座布団に座るのを見届けると、同じように並べられた座布団に座りながら訊いてみた。
「その子は昔から野心家でねえ、おじいちゃんのゼミの教え子だった頃から、『自分はいつか大きな会社を作る』という目標を持って熱心に、」
「あ、そういうことじゃなくて……、今は何をやっている人なの? それにおばあちゃんもよく知っているの?」
「知っとるも何も有名な人だからねえ。『三海銀行』っていう大きな銀行の名前は可恋ちゃんも聞いたことがあるじゃろ? そこの頭取さんじゃよ。
私も直接会ったことは何度かしかないが、よくおじいちゃんから話は聞かされておるよ。大学を卒業したあともおじいちゃんとはたまに飲み屋にでも行ってたそうじゃ」
「銀行の頭取……、社長さんってこと?」
「そういうことになるねえ」
つまり、正義くんはその社長さんの御曹司ということになるのだろうか。周りを突き放すような態度ばかりとっているのも、それでなんとなく納得した。
でも、たまたま名字が同じなだけかもしれない。親戚だとしても息子だとは限らないか。私は念のためにおばあちゃんに訊ねた。
「あの、その社長さんって、息子さんがいたりする……?」
「ああ、そうそう。昔子供が生まれたっちゅうてな。うちに連れて見せに来てくれたことがあったんよ、その社長さんがな」
「うちって?」
「うちはうちだがね。このおうちだよ」
「えぇ!?」
……さすがに驚いた。その息子さんが正義くんなら、たとえばこの昔から使っている座布団にも正義くんが寝かされたかもしれないってことになる。
ただの転校生だと思っていた彼が、私とそんなにも密接に関係があったとすれば、すごい偶然だ。
おばあちゃんはそこまで話すと、そのときの写真があると言って押し入れからアルバムを取り出し、開いて見せてくれた。
「ほら、これがそのときの写真だよ。左隣が可恋ちゃんだね」
そう言っておばあちゃんが指差した写真にはふたりの赤ん坊が写っていた。確かにこの写真は前にも見た覚えがある。
ひとりは私で、もうひとりは誰か親戚の子だろうと漠然と思っていたけれど、私と同い年くらいの親戚に心当たりはなく不思議だった。
「この子の名前は覚えてる……?」
「ええっと、なんだったかのう、確か"ま"で始まったような……」
「……正義?」
「そうじゃ、そうじゃ。正義じゃ。おじいちゃんから聞いたのかえ? よう覚えとるのう」
「…………」
今日そんな名前の転校生がうちのクラスにやってきたんだよ、……とは言いたくなかった。私がそう言えば、おばあちゃんは喜んで「仲良くしておやりよ」と言うのだろう。
だけど、私は正義くんと仲良くなれる気がしなかったし、仲良くなる気もなかった。結果的におばあちゃんの期待を裏切ってしまうことになるだろう。
それならこうして黙っておくほうがきっと誠実な態度だ。私が元々口数が少ないせいもあってか、おばあちゃんは気にせず話を続けてくれた。
「そのとき、この子のおしめも取り替えてやってな。おしりの右のほうにほくろがあったんじゃ。
その写真も残っとるよ。次のページだったかえ? そうそう、ほれ、この写真じゃ」
そう言っておばあちゃんが指差した写真は、文字通り生まれたままの姿の赤ん坊が寝ころびながら両足を上げた写真で、それはつまり大事な部分も包み隠さず丸出しの状態だということで……。
――ばっと私は赤面して目をそらしてしまう。赤ん坊の写真だということは分かっているけれど、これがクラスメイトの、しかも異性の写真だとすれば話は別だ。
ちょっとおばあちゃん!? 思いっ切り見ちゃったんだけど!? 私は内心叫びつつも、意識するほうがおかしいという状況に気付いてさらに赤面した。
「わ、私顔洗ってくるね……。ありがとう、おばあちゃん。大体知りたいことは分かったよ」
「そうかい、お夕飯までには着替えておいで」
私はそう言ってお風呂場の前の洗面台で顔を洗ったあと、居間でお母さんに挨拶してから自分の部屋に戻った。
おばあちゃんの言う通り、夕食までには制服から着替えないといけない。だけど、私はポケットからスマホを取り出すと、ふと思い立って「三海銀行 社長」とネットで検索してみた。
すると『花道蔵之助』という名前のwikipediaがヒットし、「日本の経営者、実業家。三海銀行頭取」といった肩書が書かれているのが目に入った。
……でも、それよりももっと気になることがその下のリンクに書かれていた。「三海銀行頭取に黒い噂が……? 日本を牛耳る陰のフィクサーか」といった記事だ。
如何にも胡散臭い。誤解しないで欲しいが、私だってそんなものを真に受けるほど世間知らずではない。
だけど、私の指は自然とその記事のリンクをタップしていた。そこにはこんなようなことが書かれていた。
「三海銀行は、日本を代表するメガバンクのひとつ。花道蔵之助氏が頭取の代に急成長し、現在国内においてはトップの収益規模を有している。
また、カードローン業務においても最大手であり、消費者金融業界で圧倒的No.1の地位を占めている。
しかし、数年前から出所不明の資金援助を受けているのではないかと疑惑の声が上がり始めた。
いや、資金援助と言えば聞こえはいいが、実際は政治家、実業家、弁護士、警察、芸能人、スポーツ選手、宗教家、教育関係者など各界からの賄賂を受け取っているのではないかというのだ。
そして、その見返りとして脱税のための隠し口座の開設を黙認しているのではないかと言われている。
それだけではない。蔵之助氏はその上こうした情報を逆に脅迫の種とし、政界や財界に影響力を持っているとされる人物に対して、情報統制をも強要しているという。
そのため、こうした三海の闇を暴く者は誰もおらず、真相は不明のままとなっていた。だが、ここ最近になって有力な情報提供者が現われ始めた。
その中には有名な文化人などの名前もあり、徐々にではあるが闇の一端が明るみに出てきているのだ。たとえばある情報筋によれば、」
……何これ。何かの小説の筋書き? そのあとも俄かには信じ難いような内容が続いていた。しかし真偽を明らかにする情報などひとつもない。
私も普段ならあくまで噂は噂だと気にも留めなかっただろう。でも、もし本当だとしたら? 正義くんのお父さんはとんでもない極悪人だ。
愛ちゃんはそんな人の息子である正義くんと仲良くしようとしているというのか。それは実は危険なことなんじゃないだろうか。
私は途中読み飛ばし、他にも気になるワードがないか探してみた。すると、こんなことまで書かれていた。
「驚くべきことに、政界や財界などへの影響力は未成年の息子までもが微少ながらも有しているとも言われ、」
息子。あの私と同じ中学2年生の正義くんが……? この記事の内容が事実であるならば、三海銀行に賄賂を渡している人物の中には教育関係者もいるという。
それじゃ、もしも愛ちゃんが正義くんの機嫌を著しく損ねるようなことがあったとしたらどうなる?
もしかすると無理矢理何かの理由をつけて停学処分になってしまうことすらあり得るのかもしれない。
自身の脱税を隠し通すためなら、どんなことでもやりかねない悪人がこの世にはいるのだから。そんなニュースは世の中に溢れている。
想像するだけでもぞっとする。義務教育でよもや退学処分ということまではないだろうが、それでも愛ちゃんの名誉は著しく傷付けられるのだ。
……どうしよう。誰かに相談するべきだ。……誰に?
こんなこといきなり家族や先生に言っても仕方ない。愛ちゃん自身に言ってもきっと信じない。
……いや、お父さんが悪人だということまでは信じてくれるかもしれないが、正義くんには関係のないことだと笑い飛ばすだろう。
勇気くんはどうか。――彼なら一旦は事実として対策を考えてくれるかもしれない。しかし、今は証拠がないと言って、その結果取る行動はきっと"様子見"。
それでは遅い。愛ちゃんの身に何かが起こってからでは駄目なのだ。私だってこんなこと信じない、信じたくない。
だけど、もし極僅かにでもこの話が真実である可能性があるならば、私は全身全霊を傾けて愛ちゃんを守らなければならない。
私の人生は愛ちゃんがすべてだし、私のすべては愛ちゃんのものだ。
愛ちゃんのためならなんだってできるし、この身だって捧げられる。私自身はどうなったって構わない。
……そうだ、愛ちゃんと正義くんが近付くのを無理矢理引き裂いてしまえばいい。妨害する手段なんていくらでも考えられる。
もしそれで正義くんの心証を害したとしても、その矛先は私に向かうはずだ。愛ちゃんじゃない。愛ちゃんじゃなければどうでもいい。
……いや、勇気くんにだって迷惑はかけられない。尚更私だ。私がやるしかないんだ。そうだ、私が守る。絶対に私が愛ちゃんを守ってみせる!
だって、私は何があっても愛ちゃんを守らなくちゃいけないんだから……。




