番外編「可恋のバレンタイン」
それは今年のバレンタインデーの1週間前。愛と可恋がまだ中学1年生だった頃のお話――。
「ねえ、可恋ちゃん。来週のバレンタインデーの用意できてる? 今年も勇気くんやお父さんに渡すでしょ?」
愛は教室で何の気なしに可恋に訊ねた。毎年一緒にチョコを買いに行っているが、別に買い物の約束をしているわけではない。
そして可恋は訊かれるまでもなくどうするつもりかはすでに考えていた。だが、用意ができてるかどうかと訊かれるとそれはまだだった。
「あ、それなんだけど、今年は手作りチョコに挑戦しようと思ってて……」
「へー、そうなんだ。面白そう。
でも、なんで? 百貨店で買ってきたほうが楽じゃん」
「それもいいけど、もう中学生だし……」
「ふーん……?」
中学生になったら買ってきたチョコじゃ駄目なの? と愛は言おうと思ったが、それは意地悪だなと思ってやめた。
可恋が言っているのはそういうことではなく、小学生なら危ないと言って止められるようなことにも挑戦してみたいということだろう。
ただ可恋の内なる想いはそれだけのことではなかった。可恋は今年のバレンタインデーに特別な意味を込めたかったのだ。
「それならさ、次の日曜日、可恋ちゃんの家に行っていい?
一緒に手作りチョコ頑張って作ろうよ!」
「え……? ええっと、それは、その……」
「あれ、駄目だった? もちろん材料とか型抜きのやつとか、必要なものはこっちでも用意して行くよ?
私、そのへんよく分からないけど、ネットとかで調べて買ってくるからさ」
休みの日にも愛に会えるのは可恋にとってはとても嬉しいことだ。だが、今回に限ってはそれは困る。
だって特別なチョコを渡したい相手は、他ならぬ目の前にいる愛その人なのだから。
チョコを作っているときに、「それ誰に渡すの?」なんて言われても困ってしまう。
だが、可恋は断る口実を思い付かず、つい了承してしまった。
「……ううん、別にいいよ。私は必要なものは用意してあるけど、買い物にも付き合うし……」
「本当? ありがとう!
じゃあさ、日曜日は午前中に買い物行って、それから可恋ちゃんの家でチョコ作りさせてもらうね!
10時くらいに近所の百貨店に集合しよう! あー、今から楽しみー!」
愛の嬉しそうな声が教室中に響き渡る。……まあいいか。愛ちゃんが嬉しそうなら。
特別なチョコの行方を上手く誤魔化す自信はないけれど、しつこく訊かれるようなら「なんとなく」ってはぐらかせばいい。可恋はそう思った。
そして、そんな会話は勇気の耳にも聞こえてきた。「教室でそんな話を堂々とされてたら驚きも何もないなあ」と内心思う。
だが、彼女たちが手作りチョコを渡してきたら、きっと何も知らなかった振りで大袈裟に喜んでやるべきなのだろう。
だから勇気は何も聞こえない振りをして、ただ教室の窓の外だけを見つめていた。
そして当日の日曜日。買い物を終えて可恋の家のキッチンでふたりはチョコ作りに励む。
ちなみに製菓用のチョコレートは業務用スーパーで安価に買ってきたものだ。
また、無論チョコ作りと言っても、市販のチョコを溶かして型抜きするだけなのだが、それだけでも水気を入れないようにしたりきれいな形で固めたりするのは大変だ。
そういう知識は愛にはなく、適当に鍋で溶かしてボウルに移してから、型抜きすればいいのではないかと考えていたが、それだけでは駄目らしい。
チョコを細かく刻んだり生クリームを鍋で温めたりといったことを可恋にレクチャーされながら、ふんふんと頷いている。
「ふーん、チョコ作りも結構大変なんだねえ。俄然やる気出てきた。
それにしても可恋ちゃんは料理もできて家庭的な女って感じだね。将来お嫁に来てよ、あははは」
愛は快活に笑いながらそう言った。彼女もまったく料理ができないというわけではないのだが、細かいレシピは無視して自己流でやってしまうので失敗もしばしばだ。
それに比べて可恋の作業は丁寧でまるで職人芸だ。だが、可恋は料理の腕を褒められたことよりも、お嫁に来て欲しいと言われたことに反応して、内心どぎまぎしてしまう。
愛からしてみればただの冗談なのは分かるのだが、嬉しくて心臓に悪いのでやめて欲しい……。
「で、今からこれを型抜きしていけばいいわけか……。
ほら見て、可恋ちゃん。猫の顔みたいな型のやつあったから買っちゃった。
どう、かわいいでしょ? かわいいでしょ?」
かわいいのは愛ちゃんだよ! あなたのかわいさで私のハートも溶かされそうだよ!
可恋は叫びたくなる気持ちを抑えて、「うん、かわいいね」と頷く。
いつの日かすべて顔に出てしまうのではないかとも思うのだが、今のところはポーカーフェイスを保てているらしい。
我ながらよくここまで表情を変えずに対応できるものだと可恋は思った。
「可恋ちゃんのほうはどんな感じ? ……って、あれ?
なんか一際大きいハート型のやつがあるじゃん。それは誰にあげるやつなの?」
そしてやはり想像していた通りのことを訊かれる。あなたにあげるつもりだなんて、この場では言えない。
とは言え、内緒だと言っても愛は不思議がるだろう。愛の知る限り、可恋がチョコを渡す相手は勇気と可恋のお父さんと、あとは自分への友チョコだけだったからだ。(なおこの時点ではふたりとも希望とは知り合っていないし、祖父もハワイから帰ってきていない)
だから可恋は何も答えなかった。そんな風に質問を無視されたからって愛は不機嫌になったりはしない。
むしろ何か訊いてはいけないことを訊いてしまったのだろうかと反省し、あるいはチョコ作りに真剣になっていて聞こえなかったのだろうかと自分を納得させた。
そんな様子も可恋に罪悪感を植え付けたが、今はただ押し黙るしかなかった。
そしてバレンタインデー当日の学校にて。もちろん校則で学校にお菓子を持ってきてはいけないのだが、そんなことを律義に守る生徒はいなかった。
むしろ学校側もバレンタインデーだけは持ち物検査もせずに黙認する形を取っていた。
今のご時世、バレンタインデーやホワイトデーといった行事を学校側から禁止するようなことをすれば、生徒やその親からの反発が強く起こるのは目に見えていたからだ。
それだけではなく先生たちもこっそり生徒からチョコをもらったり、あるいは先生同士でチョコの受け渡しをしたりするということすらある。今日はそんな特別な日なのだ。
なので、愛のみならず真面目な可恋も、一応先生にはバレないようにこっそりとだが、鞄の中にチョコを潜ませて登校した。
「おはよう、可恋ちゃん」
下駄箱の前で挨拶をされる。この時点で、愛の下駄箱にこっそり特別なチョコと手紙を入れるという作戦はやりづらくなってしまった。
だが、可恋は慌てずに挨拶を返した。下駄箱作戦も一応考えてはいたが、やはり直接渡したかったから、それでいいのだ。
「おはよう、愛ちゃん」
「チョコは持ってきた? 先生に気付かれないうちにさ、とっとと勇気くんに渡しちゃおうよ」
「あ、うん……」
そこまでの流れは別にいい。愛は、可恋が勇気に渡すチョコがあの一際大きいハート型のチョコではないことに疑問を抱くだろうが、それだけだ。
あえて深掘りして訊いてくることもないだろう。問題はそのあと友チョコの交換をするときに、ちゃんとそのチョコを渡せるかどうかなのだ。
可恋はまだその覚悟はできていなかった。だから念のため勇気と渡すチョコと同じ型の、小さいチョコももうひとつ用意してあった。
そしてふたりは教室へ入る。幼馴染3人はみんな同じクラスだから、授業が始まる前にさっと渡せばそれでおしまいだ。
愛はいつものように元気よく「おはよう」とクラス中に挨拶をしてから教室を見回す。
だが、そこに勇気の姿はなかった。剣道部の朝練にでも行っているのだろうか。
しばらくすれば現れるだろうが、先生に気付かれないかとなんとなくそわそわするので、チョコの受け渡しは早めに済ませたかった。
「勇気くん、まだいないみたいだし、先に友チョコの交換済ませちゃおうよ、可恋ちゃん」
「へ?」
可恋はつい素っ頓狂な声をあげてしまう。その展開は予想してなかった。
「うん? 私の分もあるよね? 毎年友チョコ交換してるんだし。
私はちゃんと持ってきてるよ? 忘れちゃった?」
「う、ううん! もちろんあるよ、ほらこれ!」
可恋が慌てて鞄から取り出したのは小さいチョコのほうだった。慌てていたから、愛に渡したかった特別なチョコを咄嗟に取り出すことができなかった。
可恋は内心しまったと思ったが、その後悔はもう遅かった。
「うん、ありがとう! 私のほうからはこれね!
いっつも仲良くしてくれてる可恋ちゃんへの感謝の気持ちだよ!」
愛が鞄から取り出したのは包みの状態でも分かるかわいらしい猫型のチョコレートだった。
もちろん嬉しい。しかし、そこには「友達だから」という意味しか込められていないのは明白だった。
そして本当に渡したかったチョコは鞄の中に眠ったままだ。そして、そこに剣道部の朝練を終えた勇気がやってくる。
「おはよう、ふたりとも」
「おはよう、勇気くん! はい、これバレンタインデーのチョコレート!
今年は可恋ちゃんと一緒に手作りしたんだよ。ね、可恋ちゃん?」
「う、うん……」
可恋は愛とともに小さいチョコを勇気に手渡す。勇気は予定通り大袈裟に驚いた様子で喜び、「これは来月のホワイトデーのお返しは考えないといけないね」と言った。
一方で愛は可恋が勇気に渡したチョコもまた小さいチョコだったのを見て、「あの大きいチョコはお父さんにあげる用だったのかな?」と考えた。
可恋は結局下校の時間になっても「愛ちゃんに渡したいチョコは本当は別のチョコだった」とは言い出せず、ただ後悔をするばかりであった。
その夜、可恋の家にて。可恋のお父さんが仕事を終えて帰ってきたが、それはいつもより少し遅い時間だった。
可恋はその帰りをむすっとした様子で出迎えた。
「おや、可恋。まだ起きてたのかい? どうしたんだ、何か不機嫌な様子だが」
お父さんがそう言うと否や、可恋は半ば投げつけるかのような形でお父さんに大きなチョコを押し付けた。
そして、「あげる!!」と言いながら、すぐに自分の部屋に駆け込むように戻って行った。
「ありがとう」と言う暇もなかったお父さんは目を白黒させている。
「なんだなんだ、可恋は何を怒っているんだ?」
「そりゃあんたの帰りが遅かったからに決まってんね。
今日は女の子にとって大切な日なんだから、はよう帰ってやらにゃあならんよ」と祖母が言う。
「いやあ、お義母さん。今日はどうしても外せない仕事があって……。
たはは、こりゃあ参ったな……」
そう言いながらもお父さんは娘からもらったチョコが去年より大きいことに気付いて嬉しくなっていた。普段の感謝の気持ちの表れだろうか。
だが、それは打ち明けられなかった想いの結晶に過ぎないのだ。そこに残ったのはただ後悔の気持ちだけだった。今年のバレンタインデーもまた、……駄目だった。




