幕間:秘術の習得2
主人公、ハクの視点です。
詠唱が終わると同時に、なんだか体がふわふわとした気持ちになってきた。
これが、魂が移動するという感覚なのだろうか。ちょっと違和感はあるけど、面白い感覚である。
そのまま身を任せていると、目の前の洗濯桶に吸い寄せられるように近づいていき、そして……
「……!」
気が付けば、私は動けなくなっていた。
恐らく、洗濯桶に魂が乗り移ったのだろう。視界は一応確保できているが、洗濯桶の視界って何だと思わなくはない。
「どうじゃ? うまく行ったか?」
「……」
目の前には、こちらに向かって話しかけてくるシノノメさんと、私の体が立ち尽くしている。
目は開いているが、その目にはハイライトがなく、シノノメさんの呼びかけにも反応していない。
まあ、私の意識はこちらにあるのだから、反応されても困るけど。
「……! ……!」
私はひとまず、無事に乗り移れた旨を伝えようと声を出そうとしたが、なぜだか声が出ない。
そりゃ、洗濯桶に口はないから当たり前と言えば当たり前だが、シノノメさんの時は、木彫りの像だったけれど話すことができていた。
だから、てっきりちゃんと話せると思ったんだけど、そういうわけではないんだろうか?
「んむ? 返事がないのぅ。失敗したか?」
シノノメさんは私の体の方に向かって軽く手を振っているが、もちろん反応はない。
シノノメさんの反応からして、やはり話せるのが普通のようだけど、私の体からも、洗濯桶の方からも反応がないから、困惑しているようだ。
うーん、気を十分に操れていなかったから、中途半端に魂が移動した感じなんだろうか?
なんか、半分だけ移動してしまった、みたいな?
果たして、魂にそんなことができるのかは知らないが、なんとなくありえそうではある。
「うーむ、原因もわからんし、とりあえずベッドに移動させるか」
シノノメさんは、そう言って私の体を抱え上げ、家の方に戻っていく。
あの、私はこっちなんですが?
どうやら、術は失敗し、その結果として私が意識を失っているとでも思っているらしい。私が洗濯桶に乗り移っているとは思っていないようだ。
これは、困ったな……。
「……」
失敗しているのなら、さっさと戻ってやり直すなり、もう二度と使わないなりすればよかったけど、その元に戻るための体を持っていかれたのでは戻るに戻れない。
もちろん、戻る際には遠い距離が離れていてもできるのかもしれないが、私はこれが初めてのことだし、そもそも失敗しているなら目の前でやっておきたいのが本音である。
これは、シノノメさんが気付くまで待つしかないんだろうか。最悪気づかれなかったら、だめ元で戻る手段を試してみるしかないね。
「……?」
と、そんなことを考えていると、庭に誰かがやってきた。
シノノメさんが戻ってきたのかなと思ったけど、足音からして違うと思う。
視界はあるとはいえ、別に動かせるわけではないからすぐ近くにいるのに見れないのはちょっともどかしい。
仕方ないから探知魔法で……あれ、使えない。と言うか、自分の体に魔力を感じない。
え、確か、物にも一応魔力はあるはずだけど……希薄過ぎて感じられないんだろうか。
ちょっと待って、気、と言うか、魔力が使えないと戻ることもできないのでは……?
これは案外まずい状況なのかもしれない。動けない体で、静かに冷や汗を流す。
「……!」
ふと、視界に誰かの足が映り込む。これは、お姉ちゃんかな?
鍛錬でもしに来たのかと思ったけど、どうやら目的はこちららしい。私の下まで歩いてくると、その手ですっと掬い上げてしまった。
わわっ……!
「さーて、洗濯しようか」
「……!?」
そう言って、桶の中に水を満たしていく。
本来なら、毎回井戸に汲みに行く必要があるけど、そこらへんはちゃんと便利な魔道具がある。
ただ単に水を貯めるだけだったら、水の魔石単体でも問題はないしね。
ただ、それを自分の中に入れられるって感覚は、ちょっと想像していなかった。
感覚としては、口の中に水を流し込まれているような感じ。つまり、桶全体が、大きな口のような形になっているようだ。
そりゃ、人間の体で水を貯めようってなったらそうなるのはわかるけど、そんな感覚まで再現しなくていいと思う。
ぞくぞくとした感触を味わっていると、お姉ちゃんが服を桶の中に沈め、ごしごしと洗っていく。
洗濯板もあるけど、今回は手洗いかな。
と言うか、待って。ほんとに待って。口の中で服洗わないで!
一応、そこは物だからなのか、水を大量に含んだせいで溺れそうになる、なんて感覚にはならないけど、単純に不快感が凄い。
多分これ、お姉ちゃんのレザー装備だよね? 何となく、硬い感触がする。
鼻なんてないはずなのに、きちんと匂いも感じるし、なんとなく味までしている感覚があるのが辛すぎる。
私は何で洗濯桶なんかに憑依しようと思ってしまったんだ……。
「……!」
「ふんふーん」
ワンチャン気づいてくれないかと思って、体を小刻みに揺らしてみる。しかし、ピクリとも動くことができなかった。
シノノメさんの時は、多少であれば動けていたっぽいのにどうして……。
結局、気づいてもらうこともできず、綺麗になるまで洗われてしまった。
「……」
時は過ぎ、夕方にになり、夜になっても、私は元の体に戻れずにいた。
あの時、魔力を感じなかったのは気のせいではなかったのか、呪文を唱えようとしても意味がなかった。
そもそも、今は喋れない状態だし、仮に魔力が使えていたとしても無理だったかもしれない。
私、このまま洗濯桶のままなのかな……。元の体はずっと目覚めず、植物状態のままだろうし、そんなことをお姉ちゃん達が知ったら悲しむことだろう。
やっぱり、使わずに済ませておくべきだったのかもしれない。今更後悔しても遅いけど。
「やはり、こっちにいると考えるのが妥当かの」
そう思っていると、シノノメさんがやってきた。
家の中は騒がしい気配はしないから、恐らく私が目覚めないことはまだ知れ渡っていないのだろう。
それでも、エル辺りは気づきそうなものだけど、上手く隠しているのか、誤魔化しているのか。
シノノメさんは私の下までやってくると、そっと手を振れる。そして、魔力、いや、気かな? を送り込んできた。
「もし聞こえておるなら、その気を意識するがよい。わしが連れてってやるでな」
もしかして、私がこっちにいることに気が付いた?
まあ、いつまでだっても目覚めないのだから、そう考えてもおかしくない。連れて行ってくれるというなら、それに縋るしかないだろう。
私は入り込んできた気を意識する。すると、またあのふわふわした感覚が襲ってきて、やがて意識がすぅーっとなくなっていった。
「……はっ!」
次に目覚めると、そこは自室のベッドの上だった。
隣にはシノノメさんの姿もあり、自分の体を見て見れば、元の姿に戻っている。
戻って、来れた?
「うむ、ようやく目覚めたな。体は大丈夫か?」
「えっと……はい、多分」
「それならよかった。このまま目覚めなければ、わしがサフィに殺されるところじゃった」
そう言って、からからと笑うシノノメさん。
どうやら、魂の移動と言うより、意識だけの移動と言う形で術が発動してしまったらしい。その結果、ろくに動くこともできず、喋ることもできない、あの状態になってしまったようだ。
なぜ魂が移動しなかったのかは謎で、シノノメさんも初めて遭遇したことらしいので、詳しい原因はよくわからないらしい。
私の体が特殊だったからだろうか? まあ、解明のためにもう一度術を使う気にはなれないので、一生わからなそうではあるが。
とにかく、無事に戻れてよかった。
私は自分の体を確認しながら、ほっと息を吐いた。
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