第八十八話:崩落
目の前で行われる凄惨な光景に思わず目を隠してしまったが、どうやらそれも終わったようだ。
サリアさんの声にようやく目から手を離すと、ぐっぱりと背中を割られた蜘蛛が目に入って再び目を隠した。
だからグロいって!
「ハクってこういうの苦手?」
『あんまり得意じゃないかもしれないです……』
私だってもう少し耐性あると思ったよ。前世では殺しなんてしたことも見たこともなかったのに魔物を倒すのに何の抵抗もなかったし、死体を持ち運ぶことだって普通に許容してたから。
だけど、こうして解体された状態の魔物を見ると……うん、やっぱり気持ち悪い。
よくよく考えてみれば自分で解体とかしたことないんだよね。みんな首を刎ねて、後は換金所に持って行って処理してもらってただけだから。
慣れた方がいいのかなぁ……そう簡単に慣れるとも思わないけど。
『血はとれましたか?』
「うん。ハクを戻す分には十分だ」
『……あの、できれば他の人達も元に戻してあげて欲しいのですが』
「えー? うーん、あんまりやりたくないけど……ハクが一緒にいてくれるならいいぞ?」
『それはもちろん』
だいぶ渋っていたけど、私に免じてやってくれるようで何よりだった。
というか、他の人は戻さないつもりだったのか。確かに私も戻りたいけど、他の犠牲者達も助けてあげないと可哀そうだし、折れてくれてよかった。
「でも、それだと血が足りないな。もっと集めないと」
『そうですね。となると……』
「うおっと」
さらに血を集めようと立ち上がるサリアさんに連れ添うように浮き上がると、サリアさんがよろけた。ちょうど浮いたからわからないけど、地震? みたいなものがあったらしい。
このダンジョン、崩壊しないよね? 生き埋めとか絶対嫌だよ?
『……おっと』
不安に思いながら探知魔法を発動させる。すると、奥の方から更なる反応があるのがわかった。
ただ、その数がやたらと多い。さっきまで全然反応がなかったのに、今確認できるだけでも十体以上はいる。
『サリアさん、前からたくさん来てるみたいです』
「たくさんって、どれくらい?」
『少なくとも十体以上は』
「……うん、勝てないな。逃げよう」
先程の戦闘の音に引き寄せられたのだろうか。その気配はまっすぐこちらに向かっているように思える。
サリアさんは実力者とはいえ、その戦闘スタイルは一対一が基本であり、集団戦では圧倒的に不利だ。
迷わず撤退を決めたサリアさんは私を捕まえて抱きすくめると即座に反転して元来た道を駆けていく。
判断が早かったためか、結構な距離を離して逃げることが出来た。これなら当分追いつかれることはないだろう。
戻ったことによってだんだん明るくなってきた。
若干速度を落とし、背後をちらりと振り返る。暗闇の先は見えないが、微かに音が聞こえるのはわかった。
『もう大丈夫でしょうか?』
「わかんないけど、奥地の魔物はそうそう出てこないし大丈夫じゃないかな」
さっきの蜘蛛も暗闇を好む魔物だし、と言われてみれば確かにそうだった。
追いかけてきたのが何の魔物かまではわからないけど、また蜘蛛とかだったら正直ぞっとする。
想像してみて欲しい。ただでさえ気持ち悪いのが十匹以上群れになって襲い掛かってくるのだ。考えるだけで怖気が走る。
この辺りはまだ薄暗いとはいえ、暗闇を好むなら早々追いかけてくることはないだろう。
ほっと安堵し、辺りを見回してみる。
光る石がある以外は代わり映えのない洞窟。分岐も結構あり、少し間違えば迷子になってしまいそうだった。
私は進む際にちゃんとどっちに曲がったかを記憶してるから何とかなるけど、地図もなしに挑むにはちょっと入り組んでるよね、ここ。
この先は右に曲がって、後はしばらくまっすぐ行けば出口付近……。
「っと、あれ、道を間違えたか?」
私の案内通りに右に曲がると、そこに道はなかった。巨大な岩が道を塞いでいて、完全に通れなくなっている。
おかしいな。来るときにはこんなものなかったはずだけど……。
少し考えて、もしかしたらと思いついたのは先程の地震。恐らく、その影響で崩落が起きたのだろう。まさか本当に崩落するとは……。
『いえ、合ってます。崩落があったみたいですね』
「おぉう。んー、じゃあこっちの道に行くしかないか」
こうなっては仕方がない。新たな道を進んで別のルートから出口に辿り着くしかない。
進路を左に取り歩き始める。
まあ、入り組んでいるとはいえそこまで複雑ではないし、進んでいればそのうち辿り着けるだろう。
このときはそう思っていた。しかし……。
「おっと、また行き止まりか」
『これで何回目ですか……』
行く先々で足止めを食らい、私達は完全に今の居場所を見失っていた。
先程までは少し薄暗い程度で済んでいた場所も暗くなったり明るくなったりを繰り返していて出口に近づいているかどうかもわからない。
一応、今はそこそこ光る石があるから出口付近だと思いたいけど……。
私を抱いて歩くサリアさんにも若干疲れが見え始めている。
サリアさんは別に冒険者でもなんでもない。ただ少し実力があるだけの貴族だ。多少は慣れていたとしても、こんなに歩くことなんて稀なことだろう。
このままだと遭難しかねない。というかもうしているのかもしれない。
一体どうすれば……。
『この辺り、こんなに落盤が多いんですか?』
「ダンジョンは頑丈だからそんなにないと思うんだけどな。やっぱりあれがまずかったかなぁ」
『あれ?』
「オーガを育てる時に、見つからないようにってダンジョンの壁に穴をあけて拡張したことがあったんだ。その時も崩落が起きてたから、もしかしたらそのせいかも」
『ええー……』
その話が本当だとすると、この状況は完全に自業自得なんですが……。
というか、ダンジョンに手を加えるってよくそんなこと考え付くね。一応ギルドが管理してるのに、それを欺いてるし。
子供っぽいけど、そういうところは頭が回るんだろうか。それとも進言した奴がいるのか。どちらにしろ、オーガを育てるなんて考えがおかしいけどね。
足取りも重く彷徨うこと更に数時間。完全に疲れ果て、一度休憩することにした。
通路の先にあった少し広い広場のような場所に座り込み、一息つく。
こんな長時間潜るつもりはなかったから食料の準備もしていないし、出来ることと言えば魔法で出した水を飲み、回復魔法で疲労を少しでも取り除くことくらいだ。
私はぬいぐるみだからそんなことする必要はない。必要なのはサリアさんだけ。
こういうところは便利だなとは思うけど、不便さの方が勝っているからやっぱり早く戻りたい。
ここまで運んでもらったこともあるし、出来る限りのことはしよう。回復魔法をかけると、サリアさんは私の頭をそっと撫でてくれた。
「ありがとな。僕のせいなのに」
『気にしないでください。それより今は無事に脱出することを考えましょう』
もはや魔物の血を集める余裕もなくなってきた。
休憩もそこそこにサリアさんは立ち上がる。もういいのかと問えば、大丈夫と声が返ってきた。
まあ、回復魔法もかけたししばらくは大丈夫だろう。本当にやばい時は言ってくれるだろうし、言ってくれなくても私が気付く。
サリアさんは私と違ってそこそこ体力があるようだった。
大丈夫という言葉に偽りはないと判断し、ふと試しに探知魔法をかけてみる。
今のところ追手に追いつかれることもなく、道中は平和そのものだった。だが、疲れている状態で襲われてはまずい。
そう思っての探知魔法だったが、少し判断が遅かったようだ。
どしん、と地響きと共に背後からそれは現れた。
身の丈4mはあろうかという巨体。青白い皮膚に頭部から生えた鋭利な角、手には巨大な棍棒が握られ、荒い息遣いでこちらを睥睨するのは紛れもなくオーガだった。