第八十七話:ダンジョンの魔物
奥に進むにつれ、だんだんと視界が悪くなっていく。
光源の石が奥に進むにつれて徐々に少なくなっていってるのだ。
まだ歩けないほどではないけど、この暗さでは奇襲を受けるかもしれない。
私は光魔法を発動させ、小さな光球を浮かび上がらせた。
光属性の初級魔法。こういう暗い場所を照らすにはもってこいの魔法だ。
「そう言えば気になってたんだけどさ」
『何ですか?』
「なんで動けるんだ? というかなんで魔法使えるの?」
心底不思議そうな顔で問いかけてくるサリアさん。
確かに、このぬいぐるみの身体は魔力の流れが悪く、魔法が極端に使いにくい。だけど、全く使えないわけじゃない。
魔力を大量に使うとはいえ、工夫すれば簡単な魔法くらいなら行使できる。
徹底的に最適化したから普段使いの時とあんまり変わらない魔力消費量で済んでいるしね。
それを言うと、サリアさんはうーんと唸ってしまった。
「ぬいぐるみのまま魔法使う奴なんて初めて見たぞ」
『私は魔力量が多いですから、それでなんとかできたのかもしれませんね』
魔力は誰しもが持っている。しかし、魔法を使えるのはその中でも限られた人だ。
魔力量がそこそこあり、魔法の適性を持っている人だけが使うことが出来る。
今までサリアさんがぬいぐるみにしてきたのはほとんどが魔法の適性がない人だったんだろう。適性があっても、普段通りの魔力を使用するだけじゃ魔法は不発に終わるから、使えないと勘違いしてもおかしくない。
ほとんどの人は魔法を使うのに詠唱が必要らしいし、喋れないぬいぐるみ姿じゃどのみち使えなかったかもしれないけど。
「その体でも魔法が使える魔力量に、詠唱しなくても魔法が使える技量、ハクって何者なんだ?」
『何者と言われても、ただの冒険者の魔術師としか言えませんが』
「ふーん」
私の答えに納得できないのか少し不機嫌そうな顔を見せる。
そんな顔しないでよ。そうとしか言えないんだから。
その後もちらちらと私の方を見ていたが、やがて諦めたのかため息をついて私のことを抱き直し、歩くのに専念する。
私がおかしいのかなぁ。やってみたら魔法が使えたってだけなんだけど。
「ねぇ、ハクってどこから来たの?」
『うーん……名もなき村ですかね』
「何それ?」
『すいません、村の名前を知らないので』
生まれてこの方、自分が住んでいた村の名前なんて気にしたこともなかった。
辺境にある小さな村だから名前があったかどうかすら怪しいところだけど。
近くに広大な森があって、森の恵みや狩りによって生計を立てていた。
思い出すとなんだか懐かしい。
あの森に捨てられたところから、私は始まったんだよね。
ここに来るまでの経緯をざっと話して聞かせると、サリアさんは興味深そうに頷きながら聞いてくれた。
「ハクも、結構苦労してきたんだな」
『今はもう吹っ切れましたけどね。お姉ちゃんとも会えましたし、そんなに辛くはないですよ』
「そっか。……ん? お姉ちゃん? ああ!?」
何かに気が付いたのか、急に大声を上げるサリアさん。
思わずびくりとなるけれど、ぬいぐるみの身体はピクリとも動かない。
うーん、ほんとにこの体は……。
「僕、ハクのお姉ちゃんもぬいぐるみにしちゃった!」
『あ、ああ、知っていますよ。だからああして乗り込んだんですから』
「ご、ごめんな? ちゃんと戻すから許してな?」
必死に謝罪するサリアさんに苦笑しながら返す。
まあ、お姉ちゃんは今頃アリシアさんの家でアリアに保護されているだろう。
アリアにはお姉ちゃんの看護をするように頼んであるし、こうしてサリアさんが考えを改めてくれた今狙いに来るような奴はまずいない。
戻ったら報告しに行かなくちゃね。
そうして話しているうちにだいぶ奥まで来たようだ。
すでに辺りは真っ暗になっており、光魔法なしでは足元ですら覚束なくなってきている。
そんな暗闇の中、定期的に発動している探知魔法に反応があった。
『サリアさん、前から何か来ます』
「お、来たか」
常時発動したいところだけど、流石にこの体でそんなことやったらすぐに魔力が無くなってしまうので控えめにやってきたのだが、ようやく当たりが来たようだ。
距離的には結構近い。気配もそこそこ大きいし、お目当ての魔物かもしれない。
サリアさんは即座に隠密魔法を発動し、周囲の景色に溶け込む。元々が暗い洞窟ということもあり、光魔法を消せば完全に姿は見えなくなってしまった。
息を殺して獲物が来るのを待つ。
しばらくして、気配がかなり近くなってきた。
暗闇では姿こそ見えないが、探知魔法で敵の位置くらいはわかる。
なんだろう、思ったより小さい? というか人型じゃないな。なんだろうこれ。
「でっかい蜘蛛っぽい。通り過ぎたら背中から行くよ」
サリアさんは夜目が効くのか、ある程度見えているようだ。
こちらに気付く様子もなく目の前をゆっくりと通過していく魔物に対し、サリアさんは手に魔力を込める。
完全に後ろを取ったその瞬間、溜めていた魔力を一気に放出した。
「シャドウブレイド!」
暗闇よりもなお深い漆黒の闇が凝縮した剣が魔物の背中に突き刺さる。
劈くような悲鳴が響き、魔物が暴れるのが気配でわかった。
片手だったということもあり、仕留めるまでには至らなかったようだ。怒り狂った魔物の爪が迫ってくる。
軽く体を捻ってそれを躱すと今度は頭に向かって漆黒の剣を叩き付けた。しかし、頭は思いの外固く、ガキンと硬い音を立てて弾かれてしまった。
「硬った。頭よりお尻狙った方がよかったかな?」
サリアさんは慌てる様子もなく即座に距離を取る。そして、隠密魔法を使用して背景と同化した。
流れるような身のこなしに私は思わず舌を巻く。
奇襲の的確さもそうだが、決して深追いはせず、ヒット&アウェイを貫いた戦法。なるほど、確かにこれなら一対一で負けはないだろう。
隠密魔法の精度も高く、今の彼女は洞窟の壁と変わらない。傍にいるはずなのに全く気配が感じられないのだ。探知魔法も反応していない。
そんな高度な隠密を魔物が破れるはずもなく、探すようにかさかさと動き回っている気配が感じられた。
そして、そうやっているうちに再び背後をとられる。
「そこだ!」
最初に奇襲した場所を的確に狙い、漆黒の剣が魔物の身体を貫いた。
断末魔と共にぱたりと倒れる。まだ辛うじて息はあるようだったが、もはや動く力は残されていないようだった。
「ま、ざっとこんなもんだな」
念のため、再び剣を突き立てて完全に息の根を止める。
もう大丈夫だろうと思い光魔法で明かりをつけると、無残に背中を割かれた巨大な蜘蛛の死骸がそこにはあった。
う、うわぁ……グロい……。
私は正直虫は苦手だ。ハクになってからは多少は耐性は付いた気がしていたが、流石にこれはちょっと気持ち悪い。
八本ある脚にびっしりと生えた剛毛やぎょろりとした目などできればあまり直視したくない光景だった。
背中から溢れる体液は緑色で周囲の壁に点々と付着している。
あ、あれが血じゃないよね? どう使うかにもよるけど、元に戻るとはいえあれを使うのはあんまり気が進まないな。
「それじゃ、早速血を取るとするか」
一応、魔物だから持ち帰れば素材として売れるだろうが、うーん……【ストレージ】にすら入れたくない。
もったいない気もするが、血だけもらって残りは放置することにしよう。そうしよう。
サリアさんは私を傍らに置くと、慣れた手つきで持参した瓶に血を詰めていく。
あ、やっぱりその緑色のが血なんだ。やだー……。
ぐちゅぐちゅと気味の悪い音を立てて行われる血抜き行為に私は魔力温存など気にせず風を操って両手で目を隠した。