第八十四話:寄り添うということ
語り終わった彼女は泣いていた。蔑まれ、裏切られ、親からでさえ見放された辛さは筆舌に尽くしがたいものだろう。
「ねぇ、私何か間違ったことしたかな? 私はただ、みんなと一緒にいたかっただけなのに……」
『……あなたは悪くないですよ。ただ、やり方が悪かっただけです』
このままでは誰もいなくなってしまう。その焦燥感が彼女にこんなことをさせてしまった。
気持ちは痛いほどわかる。自分がそうだったなら、同じことをしていたかもしれない。だけど、それは決して許されざる行為だ。悪気がないとはいえ、罪もない人々を巻き込んでいるのだから。
「じゃあどうすればよかったって言うの!? お前に僕の気持ちがわかるの!?」
『うぐっ……』
がばっと起き上がったサリアは私のことを握り締めて持ち上げる。
遊んでいた時よりもずっと強く握られた私の身体は歪み、文字通り潰されていた。
息が出来ない。内臓が押し潰され、体中に痛みが走る。
あまりの痛みに声を出せないでいると、手が開かれた。
ゆっくりと身体が伸縮して戻っていくにつれて息ができるようになっていく。荒い呼吸を繰り返す私にサリアは顔を近づけてきた。
「ねぇ、お前は僕の味方でいてくれるよな? ずっと僕の傍にいてくれるよな?」
『はぁはぁ……。もちろん、と言いたいところですが、今のあなたの傍にいたいとは思えませんね』
「なんだと!」
再びぎゅっと握りしめられ、呼吸が止まる。
今の身体ではほんの些細なことでも致命傷になってしまう。でも、ここではいそうですと答えるわけにはいかなかった。
確かにサリアの話を聞く限り、サリアの行動は仕方がないもののように思える。どうすればよかったと問われても答えられない。
だけど、ここで肯定してしまったら、サリアの行動が間違っていないと言ってしまったら、サリアは変わることが出来ないだろう。
今まで裏切られ続けてきた過去は消えない。だけど、それを振り返るのではなく、前を見て、未来を見て欲しい。
そのためには、彼女に寄り添う者が必要だ。ぬいぐるみではない、本当に信頼できる人が。
「……わかってないのかもしれないけど、今のお前はぬいぐるみなんだ。こうやって腕を引っ張るだけで、ふんっ!」
『あぐぅ!?』
サリアがおもむろに私の右手を引っ張ると、驚くほど簡単にちぎれてしまった。
肩口から離れ離れになってしまった腕はサリアに摘ままれ、断面からは綿が飛び出している。
痛い。尋常じゃなく痛い。本当に腕をちぎられたみたいに痛い。
痛みに呻く私を見下しながら、サリアは怒鳴るように言葉を紡いだ。
「殺そうと思えばいつでも殺せるんだよ? それでもお前は僕の言いなりにならないの? 一緒にいてくれないの?」
『……ええ。あなたは間違っています』
「こんの……!」
サリアの手が千切れていない方の腕に伸びる。また千切るつもりなのは明確だった。
もう一度あの痛みを味わったら私は意識を保っていられる自信がない。
とっさに魔法を発動させ、サリアの手の中に小さな火球を作り出した。
「あちっ!」
『うっ……』
手元が緩んだ隙に手の中から脱出する。
腕を千切られたせいか魔力制御がうまくいっていない。最適化した魔法をもってしてもふらふらとぎこちない動きになってしまった。
それでも、両手を千切られるという事態は回避する。
ここで気を失うわけにはいかない。
「お前、どうして動いて……」
『話を、聞いてくださいませんか?』
突如動き出した私にサリアは大いに驚いているようだった。
わなわなと体を震わせ、驚きに見開かれた目には僅かに怯えの色が混じっている。
しばし放心していた様子だったが、私の言葉にハッと我に返ると、私を捕まえようと手を伸ばしてきた。
思い通りに動かない体に鞭を打ち、その手を掻い潜る。
サリアは目に見えて焦り始め、がむしゃらに手を伸ばし続けていた。
「なんで……なんで動ける!? お前は私のぬいぐるみなのに!」
『私は、人間です。あなたのぬいぐるみではありません!』
サリアは必死だった。涙目になりながら必死に私を捕まえようとしている。
彼女の目に映る怯えは私という存在が離れて行ってしまうことに対するものだろうと推察できた。
ぬいぐるみは動かない。動かなければどこかに行く心配もない。
彼女の歪んだ心は、人を傍に置くということにおいて手段を択ばなかった。
『あなたは恐れている。人と関わり合うことを。だからぬいぐるみに縋っている』
「それの何が悪い! そうでもしなきゃ僕の周りには誰も残らない!」
彼女が叫んだ瞬間、夕日に照らされた彼女の影が飛び出した。
影は私の身体に纏わりつくとそのまま絡みつき、動きを封じてくる。
これってまさか、闇魔法?
「捕まえた!」
『うぐっ……!』
驚く間もなく、伸びてきた手が私の身体を掴み上げた。
力加減など何もなく、握りつぶすかのような勢いで掴まれた私の身体は文字通り潰れていく。
呼吸が妨げられ、体中に激痛が走った。
「はぁはぁ……逃がさない、絶対に。私はもう、逃げられるのは嫌だ」
『うぐぐ……。逃げるなんて、誰が言いましたか?』
途切れ途切れになりながらも、必死に言葉を紡ぎ出す。
彼女のしたことは間違っている。だけど、それを理由に離れるなんて誰が言ったか。
今まで彼女には寄り添う人がいなかった。だから、傍にいて欲しい人はぬいぐるみにしなければ離れて行ってしまうと思い込んでいる。
でもそうじゃない。どんなに特異な力を持っていても、手を差し伸べてくれる人はきっといる。
私がそれを教えなければならない。それがこの子を救うための唯一の手段だ。
『私は、逃げませんよ……。あなたの隣に立ちたいと思っている。でもそれは、おもちゃとしてではなく、一人の人としてです』
「嘘だ! さっきも逃げようとしたくせに!」
『本当です……。私は、あなたの味方になりたい……』
「嘘だ! 嘘だ嘘だ嘘だ!」
頭と両足を掴まれる。力を籠め、反対方向へと思いっきり引っ張られる。
私の首が悲鳴を上げ、プチプチと布が千切れる音が響いてくる。
頭を切り離されたら流石に死ぬだろう。このぬいぐるみの身体で死ぬかどうかはわからないけど、そんな激痛に耐えられるはずもない。
必死の説得もサリアの耳には届かなかった。
私じゃ、ダメだったのかな……。
『サリア、いい加減にしなさい!』
「……ッ!?」
突如響いたその声にサリアの手が止まった。
どこからともなく響いてきたその声にサリアは一瞬周囲を見渡し、すぐにその出所を突き止める。
ベッドの上。枕のすぐ隣に置かれていたぬいぐるみ。
子供が多い中、大人っぽい雰囲気を放つそのぬいぐるみは、どことなくサリアの面影を感じた。
「お母様……」
呟くように漏れ出たその言葉に私はそれが誰なのかを理解する。
ああ、そうか。よくよく考えればこの人がいた。
サリアに一番近く、間近で成長を見守ってきたであろうこの人が。
『サリア、その人の言うことに嘘はないわ』
「で、でも、だって……」
『だってじゃありません。そんなボロボロになってまであなたを庇おうとする人が嘘を吐くと思いますか?』
「……」
怒っているような口調、さりとて圧迫感はなく、幼子をあやすように静かに告げられる言葉にサリアは完全に動きを止めた。
小さく縮こまり、まるで捨てられた子犬の様に不安げな目でちらちらとぬいぐるみを見つめている。
『確かに今までの子達はあなたのことを恐れていたかもしれない。でもこの子は違うわ。大海よりも深い大きな心を持っている。少なくとも、あなたのことを恐れて逃げ出すような子じゃない』
「ほんと、に?」
『ええ、私が保証するわ』
「う、うぅ……」
サリアは声を上げて泣き始めた。今までため込んできた物が堰を切ったようにワンワンと。
その様子を見て、私は心底安心した。
一人ぼっちに見えた彼女にも、ちゃんと理解者がいた。私の声を聞き届けてくれた。
心の傷を全部埋めるなんてことはできないけど、それでも支えになれることが分かったから。
安心したか、私は体がドッと重くなるのを感じた。
緊張の糸が切れたのか、すさまじく眠い。
サリアの泣き声を聞きながら、私はそっと意識を手放した。