第八十三話:ぬいぐるみ遊び
恐らくサリアに悪気はないのだろう。
言動を聞く限り、とても成人している者の台詞とは思えない。明らかに精神が未熟だ。
人をぬいぐるみにするという能力。それを恐れられて一人ぼっちだった過去。恐らく親も積極的に外には出さなかっただろう、そう言った事情が関係していると思われる。
そう考えると、なんだか可哀そうにも思えてくる。
だって、ずっと一人ぼっちだったのならとても寂しかったはずだ。親の愛があったかどうかはわからないけど、それすらなかったとしたら私なら絶望する。
この子はただ話し相手が欲しかっただけなんじゃないか。自然と出来上がるはずの交流を絶たれ、それに縋っているのが今の状況を引き起こしている。
私も親に捨てられた時は絶望した。今でこそ見限ったけど、わけもわからず、ただ悲しくて泣いていた。だから、この子の気持ちも少しはわかる。
なんとか支えになってあげられないだろうか。この子の闇を払うような気の利いた言葉でもかけられればいいんだけど、あいにく私は口下手だ。今考えてすぐに出てくるようなことはない。
とりあえず、まずは落ち着かせるところから始めてみようか。
『私は逃げませんよ。あなたが傍に寄り添って欲しいというのならそれに応えます』
「嘘だ。みんなそんなこと言って離れていった。お前だって同じだ」
『話もせずに決めつけるのはよくないですよ。まずはお話ししましょう。互いのことについてね』
「別に話すことなんてない。お前は私のもの、それだけで十分」
みんなが離れていくというのは相当トラウマになっているようだった。一種の人間不信のようにも思える。
私を抱き上げようとするのをアリシアさんが先んじて抱き上げることで阻止する。
サリアは威嚇するようにアリシアさんを睨みつけるが、アリシアさんは軽くそれを受け流した。
「ねぇ、返してよ。それは僕のなんだから」
「ハクは誰のものでもありませんわ。一人の人間なのですから」
「ぬいぐるみじゃん」
「その問題を解決するためにここに来たんですよ?」
冷静なアリシアさんの返しにサリアは不機嫌そうに頬を膨らませる。
見てくれだけ見れば可愛いんだけどね。でも、それを指摘することはしないでおく。
今はとにかく落ち着かせなければ。
『サリアさん、もう一度言いますが、私はあなたのおもちゃではありません。ですが、友達として寄り添うことはできます。どうか元に戻してくれませんか?』
「やだ。そんな言葉に騙されないぞ」
手強い。一刻も早く戻りたいけれど、急いては事を仕損じる。
確かに私の言葉には打算が見え隠れしている。こういえば元に戻してくれるんじゃないかという期待がある。だけど、私は決して元に戻りたいがためだけにこんなことを言っているわけではない。
サリアのことを哀れに思ったのは本当だし、それを解決するために寄り添いたいと思ったのも本当だ。
だけど足りない。今のサリアに私の言葉は届かない。一度流れを変えてみるべきだろうか。
『では、どうすれば信じてもらえますか?』
「とりあえず、まずは返して。話はそれからだ」
軽く差し出された手は催促するように揺れている。
アリシアさんがギュッと私を抱きしめたのを感じた。
『……わかりました。そこまで言うなら従いましょう』
「は、ハク? それは……」
『大丈夫。心配しないで』
私が肯定すると、アリシアさんは渋りながらも私をサリアに渡した。
サリアはバッと奪い取るように私を抱きしめると、愛おしそうに頬ずりをする。
『……後は何をすればいいですか?』
「私と遊んで。ずーっとね」
『……遊び終わったら話を聞いてくださいね』
「わかったわかった。というわけで、お前は邪魔だから帰っていいよ」
しっしっと掌を振るう尊大な態度にアリシアさんの鉄面皮が震えている。しかし、今事を起こしても仕方がないと考えたのか、立ち上がって貴族の礼を取った。
「……後日、また伺います。それと一言だけ言わせてもらいますね」
「なに?」
「ハクに何かしたら許しませんから」
深く、底冷えするような声にサリアが一瞬たじろいだ。
アリシアさんはそのまま部屋を出る。最後に一瞬だけこちらに視線を向けていたから、大丈夫という意を込めて念を送っておいた。伝わったかどうかは微妙だけど。
「……ふぅ、それじゃ、私の部屋に行こうか」
私を手にしたサリアは部屋を出ると廊下をコツコツと歩く。
しばらくして辿り着いた扉を開くと、そこには数多くのぬいぐるみが所狭しと置かれていた。
壁に設置された棚はもちろん、タンスの上やベッドの上、果ては床にまでかなりの数のぬいぐるみが散乱している。
いずれも人間を模したものであり、その多くがサリアの被害者であろうということは想像に難くない。
サリアが入ってきても何も反応を示さないけど、内心ではどうなっているだろうか。動けず喋れもしないというのはかなり辛いだろう。
できればこの人たちも助けてあげたいけど、どうすればいいのか。
「みんな、新しいお友達だよー」
サリアはベッドに腰かけると手近な場所にあったぬいぐるみを引き合わせる。
まるで人形遊びでもするかのようにぬいぐるみを操る手は割と乱暴で持っているぬいぐるみは若干潰れてしまっている。
かくいう私もそこそこ苦しい思いをしている。アリシアさんと違って力の加減ができていない分、肺を押し潰されているかのような息苦しさを感じるのだ。
ぬいぐるみだから息をしているはずもないのに、その辺りはどうもよくわからない。
サリアはその後も自己紹介と言わんばかりに多くのぬいぐるみを引き合わせた。私はそのたびに【念話】で話しかけたが、言葉が返ってくることはなかった。
【念話】は割と簡単なスキルではあるけれど、日常生活で使うものでもないし、修得していない者は【念話】を聞くことはできても使うことはできない。
多くは一般人なんだろう。ほとんどが子供であるようだった。
まさか、今まで例の組織がやってきた人攫いってこの子達のことじゃないだろうな。
「はーい、それじゃあおままごとしましょー」
サリアはどこからともなくセットを取りだすと床に広げていく。
適当に配置された私達はサリアに操られ、それぞれの役割を演じさせられる。
なんだかだいぶ口調が崩れてきてるな。仕草も子供のよう。
この子の時間は子供の頃で止まってしまっているのかもしれないな。
でも、アリシアさんといた時と違ってだいぶ機嫌は良さそうだ。
目の前で繰り広げられる一人遊びにじっと耐えながら会話の機会を窺う。
しばらくして、サリアも飽きてきたようだ。ぬいぐるみを放り投げ、ばたりと床に身を投げ出す。
『……満足しましたか?』
「うん、楽しかったよ」
この位置からでは窓が見えないからどれくらいかはわからないけど、結構な時間を遊んでいたはずだ。
よく飽きないなとも思ったけど、昔からこういう方法でしか遊べなかったんだろう。慣れているというか、それがなんだか寂しく思えた。
「……私、ずっと一人ぼっちだったんだぁ」
自然と口から洩れた言葉に耳を傾ける。
それはサリアの経験してきた過去。稀有な能力を持って生まれ、それを疎まれみんないなくなっていった話。
能力のことが発覚した4歳から始まったそれはまさに地獄の川を渡っているかのようだった。
静かに語られるそれを私は黙って聞く。次第に涙声になっていく彼女の声を気に掛けながら。
誤字報告ありがとうございます。