第八十二話:直接交渉
翌日。天候が崩れることもなく青い空が広がっている。
浅い眠りから覚めた私は動かぬ体でアリシアさん達が起きるのを待っていた。
やはりこの体では寝付くのが難しい。目を開けたまま寝るというのには慣れることが出来なさそうだった。
おかげで少し頭痛がする。これから大事な交渉が始まるというのにコンディションはあまりよろしくなかった。
やはり、ずっとこのままなんて御免だ。早く元に戻りたい。ご飯も食べられないし。
幸い、この数日間で魔力は全快できている。魔法の最適化も行ったし、最初よりは長く飛ぶことが出来るだろう。
まあ、今日は飛ぶつもりはないけどね。
しばらくしてアリシアさんが目覚める。
ふわぁと大欠伸をする姿は令嬢らしからぬ行為だが、ここには事情を知る者しかいないしなんの問題もない。
そんな姿を見た私も眠くなってきちゃったよ。ふわぁ……。
アリアもじきに目覚め、一日が始まったと感じられた。
アリシアさんは朝食の後、いつものように外着に着替え始めた。
この二日で見慣れたとはいえ、その美しい姿態にはドキリとするものがある。
同じ前世の記憶を持つものとしての遠慮のなさというのもあるんだろうが、こういうところはお嬢様っぽくないよな。
「よし、準備できたぞ」
「こっちもいつでもオッケーだよ」
『はい。それじゃあ、向かいましょう』
アリシアさんは私を抱き上げる。握りつぶさないように軽く包み込むようにしてくれているのがわかった。
今回、私は基本的には自力で動かないように心がける。万が一再び捕まった時、対策を講じられるかもしれないから。
移動はアリシアさん任せになるけど、屋敷に着いてからはアドリブかなぁ。ずっとアリシアさんが付いていられたら最高だけどね。
アリアは先んじて屋敷に向かってもらった。保険のためにやることがあるのでね。
私が脱走した時も警備はざるだったし、そこまで難しいことではないだろう。アリアなら難なくこなしてくれるはずだ。
しばらく歩いて件の屋敷へとやってくる。
豪奢というほどではないにしろ、そこそこの広さを持った屋敷は普段は誰も寄り付かないらしい。
未だに貴族からは疎まれているらしく、しかし王の手前何かするわけにもいかず、放置されているようだった。
そんな屋敷の戸を叩く。硬い音を響かせてしばらくすると、中から一人の執事が出てきた。
「……あなたは?」
「初めまして。アリシア・フォン・リグレスと申します。この度はサリア様にお話があって参りました」
「お嬢様は誰ともお会いになりません。どうかお引き取りを」
「そうですか。ではこうお伝えください。『あなたのぬいぐるみを見つけた』と」
「……わかりました。少々お待ちください」
わずかに眉間に皺を寄せた執事はそれでも礼を取って奥に引っ込んだ。
「うまくいくかしら」
『多分。アリシアさん、危険だと思ったら私を放ってすぐにでも逃げてくださいね』
「わかってる。でも、見捨てはしないわ」
しばらくして扉が開かれた。
先程の執事は少々焦った様子で私達を中に招き入れる。
「どうぞ。お嬢様がお待ちです」
「ありがとうございます」
どうにか中に忍び込めたようだ。応接室へと通され、お茶とお菓子が振舞われる。
しかし、それに手を付けることはない。件のお嬢様が現れるまで静かに待つ。
ややあって、扉が開かれた。そこに現れたのは、薄い青色のドレスを纏ったピンク髪の少女だった。
「こんにちは。サリア・フォン・ルフダンです。わざわざ来てくれてありがとうございます、アリシアさん」
「いえ、こちらこそ突然お邪魔してすいません」
サリアはソファに腰を掛けると、執事に目配せをして退席させる。
二人きりになった途端、サリアは目を細めると、アリシアさんが持つ私に目を付けた。
「……さて、説明してもらおうか。どうしてお前がその子を持っているのか」
わずかに怒気を孕んだ声。静かではあるが、私を持ってきたアリシアさんを相当警戒しているようだった。
思わずたじろいてしまうが、そんな視線を当てられてもアリシアさんは表情を変えず努めて冷静な口調で返す。
「事情はこの子から聞いていますわ。あなたがこの子をぬいぐるみに変えた張本人だと」
「へぇ、その子の言葉がわかるんだ。そこまで知ってるんなら。なんで来たの? お前もぬいぐるみになりたいのか?」
怒りの中に訝しげな表情が追加される。
サリアはアリシアさんのことを測りかねているようだった。
「まさか。私はあなたと交渉するためにここに来ました」
「交渉?」
『それについては私が話をしよう』
アリシアさんに机の上に置いてもらい、目線をサリアの方に向けてもらう。
突如私が喋り出したことに驚いたのか、サリアは目を丸くして私を見ていた。
『単刀直入に言います。私を、そしてお姉ちゃんを元に戻してください』
「え、やだよ。なんでそんなことしなくちゃいけないの?」
何をわかりきったことを言ってるんだときょとんとした様子で答えるサリア。
まあ、これではいわかりましたってなるとは思ってなかったけど、軽い絶望を感じる。ほんとに戻れるかなぁ……。
『サリアさん、あなたはどうして私達をぬいぐるみに変えたんですか?』
「んー、初めは復讐目的だったんだけどね。そうしないと他の奴らに示しがつかないから。でも、今は違うよ」
『私のことを気に入った、ですか?』
「そう! どんな子かなぁって見てみたらすっごい可愛かったからさ! 思わずテンション上がったよ。調べたらお姉さんもいるっていうし、これは揃えるしかないって思ったんだよ」
表情を緩め、喜々として語る姿は幼い女の子のように見えた。
この国では15歳で成人だからもう立派に大人ではあるんだけど、この子はどこかまだ子供のように見える。
人をぬいぐるみにするなんてとんでもない能力を持って生まれた彼女がどんな人生を歩んできたかはわからないけど、気に入った人をぬいぐるみに変えてしまうなんて性癖を持ってしまうほどには歪んだ道を歩んできたんだろうな。
『私は人間です。あなたのおもちゃじゃありません』
「でも、今はぬいぐるみでしょ?」
『私は今でも人間のつもりです。あなたが今まで変えてきた人達も等しく人間だったはずです』
「確かにぬいぐるみは喋らないけど……」
むくれた様に頬を膨らます。私が喋っているのが気に入らないのだろう。
しかし、手を出してこない辺りまだ理性は残っているようだった。
ここからうまく落とせればいいんだけど。
『あなたは私のことを気に入ったのでしょう? なんでこんなことをするんです』
「だって、ぬいぐるみにしないと逃げられちゃうだろ。それにぬいぐるみの方が可愛いしな!」
『なぜ、私が逃げると?』
「今までもみんなそうだったから。みんないつの間にかいなくなってる」
友達がいないというのは本当のようだった。
気に入った人をぬいぐるみとして傍に置くのはその時のトラウマが原因かもしれない。
今でこそ成人しているけれど、幼少の頃からそう言った扱いを受けていると考えるとその傷は相当深いものだろう。
今回の交渉で隙があるとしたらそこだ。
後は慎重に切り崩していけば、勝機はあるはず。
内心でもの凄く緊張しながら、私はサリアの無邪気な瞳を見つめた。