第十六話:真正の恐怖
〈とにかく、早急に神剣を回収し、カオスシュラームの対処をお願いします。このままでは、本当に間に合わなくなる〉
「うるせぇ! 貴様のような神獣でもない奴に命令されるいわれはない。それに知らないものを対処しろと言われてもどうしようもない! 俺は何も知らん!」
〈……どうか、そこを曲げてお願いします。神剣を回収するのが難しいのであれば、神剣を回収するために他者が触れる許可を〉
「ああ、もういい! お前は消えろ!」
〈ッ……!?〉
マキア様がこちらに向けて手を向ける。その瞬間、私は金縛りにあったかのようにその場から動けなくなった。
先程から、圧倒的な威圧感によって足が震え、動けなかったことは確かだ。しかし、今はそれよりももっと強い。それこそ、ピクリとも動けない。
なぜ動けないのか、視線すら動かせない今、その理由ははっきりとはわからない。
でも、足元からせりあがってくるこの冷たさは、神力による魔法なのではないかと思った。
足元の素材を操って足を固めたか、あるいは足そのものを石にでも変えたのか、わからないけど、私はそれに成す術がなかった。
魔法を使って抵抗することすら許されない。私は今、完全にマキア様に命を握られていた。
〈貴様、何をする!〉
お父さんが吠える。私を庇うように前に出て、マキア様に飛び掛かる。しかし、マキア様は軽く腕を払っただけで、お父さんを弾き飛ばした。
震えが収まらない。これは紛れもない恐怖。心臓を鷲掴みにされ、じわじわと握り潰されていくようなそんな感覚。
心臓が早鐘を打つ。ここにあるぞと胸の奥で主張してくるが、その鼓動を信じられないくらい、私の心は黒く染まっていた。
人は正気を失うと常軌を逸した行動をとる。私の場合は恐らく、極度の恐怖症。マキア様から目が離せない。逃げなければならないのに動けない。私は、何もできない。
「……その辺にしておきなさいな、マキア」
恐怖に支配されていた私の心。しかし、黒く覆われていたそれが急に晴れた。
動かなかったはずの足が動くようになる。正常に呼吸ができる。視線を動かすことができる。
私は思わずパドル様を見た。いつの間にか私の隣に立ち、私の翼を撫でるようにさすっている。
今のはきっと、パドル様の力……。
「あなたの子供みたいな言い訳は正直理解できないけど、地上にティターノマキアがあり、それにはカオスシュラームがついていて、それによって地上は穢されつつある。そんな状況で、私達のやるべきことはなに? 地上を救うことでしょう?」
「そ、そう言うのは調和の奴らがやるもんだろ。そもそも俺は地上に降りるなと言われている。どのみち手伝えないだろうが」
「何言ってるのよ。ティターノマキアが原因なのだから、まずはそれを回収するのが最優先。そして、それを扱えるのは持ち主であるあなただけ。なのにあなたが協力しなかったら何も始まらないでしょうが」
冷静なパドル様の言葉に、周囲の神様達もそうだそうだと喚き立つ。
それぞれがどんな神様かは知らないけど、マキア様の意見に同調するような輩は一人もいないようだった。
完全に孤立無援。状況の不利を悟ったマキア様は、唸りながら一歩後ずさると、苦し紛れの言葉を吐いた。
「お、俺は知らねぇからな!」
その言葉と同時に、マキア様の体が光る。眩しさに、一瞬目をつぶり、すぐに開けたが、その時にはマキア様の姿はどこにもなかった。
「まったく、子供なのかしら。人の子供は可愛いけれど、あんな大きいのじゃダメね。可愛げがなさすぎる」
パドル様はやれやれと言った様子でため息をついている。
だが、状況はかなり悪い方向に転がったことだろう。
地上の危機を救うためには、ティターノマキアを回収してもらう必要がある。しかし、それを唯一扱えるマキア様があの様子。しかも逃げているし。
このままでは、元凶を排除することもできず、やがて地上は死の土地になってしまう。
いったいどれほどの猶予があるだろうか。最初こそ、川の流れによって浄化されるほど弱い存在だった。それなのに、時間が増すごとにその侵食速度はどんどん増している。
最後に報告を聞いた時は、ルナルガ大陸のごく一部と言う風に聞いたけれど、今はもしかしたらもっと広がっているかもしれない。下手をしたら、ルナルガ大陸はもう……。
それだけでもかなりの被害ではあるが、それだけだったならまだ間に合うかもしれない。逃げたマキア様を追い、どうにかして自分の非を認めさせる。いや、認めさせなくてもいいから神剣を回収してもらわなければ。
「話を聞いていたが、随分と大事になっているようだね」
そう言って話しかけてきたのは店主らしき青年だった。
柚葉色の髪に白色の瞳。白と緑を基調とした上着を羽織るように身に着けており、手にはガラス瓶が握られている。
そんな小さな神様に、パドル様は困ったように両手を広げながら軽く返した。
「本当にね。カオスシュラームなんていつ以来かしら? 面倒だから間違っても地上には持ち込むなって言ってたのにね」
「気が緩んでいたのもあるだろう。それにマキアは戦いを欲していた。それがたまたまカオスシュラームを呼び寄せるきっかけとなった。悪いのはマキアだろうが、地上に降りれず、娯楽も少なかった。仕方ない部分もあるだろう」
「そうね。ただ失敗しただけなら素直に謝って、巻き返せばいい。誰しも地上に降りたがっていたのだから、そうすれば同調してくれる神もいたでしょう。でも、あいつは最低の道を選んだ」
「その通り。マキアは地上を、自分の責任から逃れるためだけに穢そうとしている。それは許されざる行為だ」
笑顔ではあるものの、その裏にはふつふつとした怒りの感情が見え隠れしていた。
信じていたものを裏切られた、そんな感じだろうか。パドル様もそれは同じようで、こちらは呆れたような表情になっていた。
「私もこの件に力を貸そう。店の常連が罪を犯したなんて看過できるものではないからね」
「ありがとう、助かるわ」
そう言って、今度はこちらに視線を向ける。
青年の神様はにこりと笑うと、片手を差し出してきた。
「初めまして。私はネクターと言う。私の力がどこまで及ぶかわからないが、できる限り力を貸そう」
〈え、あ、は、ハクです。あ、ありがとうございます!〉
慌てて差し出した手をネクター様は優しく握ってくれた。
そう言えば、今は竜の姿になっているんだった。振りぬいた爪で傷つけてしまうかとも思ったが、小さくなっていたおかげで何とかなったようだ。
危ない危ない。下手したら攻撃と見做されていてもおかしくなかった。
ネクター様が優しげな神様でよかった。
「さて、となると作戦を考えましょうか。ニル、とりあえずマキアの居場所を探ってきてくれる?」
〈構わないが、ハクはどうする気だ?〉
「それも含めてちょっと話し合う必要があるでしょう? さっきの威圧に怖気づいているようじゃ、意見なんて言えないだろうし」
〈それは貴様らが……いや、わかった。丁重に扱えよ〉
「わかってるわよ。それじゃ、頼んだわね」
〈ああ。ハク、パドルと共にいれば安全だ。しばらく離れるが、万が一危なくなったら我を呼べ。すぐに駆け付ける〉
〈え? は、はい……〉
そう言って、お父さんは酒場を後にした。
マキア様を探しに行ったのはわかるけど、話し合いとは?
いや、マキア様に非を認めさせる、あるいは最低限神剣に触れる権利を得るための作戦か。確かにこのまま行ったらまた言い訳されて逃げられそうだしね。
「ひとまず、場所を移しましょうか」
そう言って、私の手を引くパドル様。
さて、うまく言いくるめられるといいのだけど。
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