第十四話:境界の神
目の前に広がるのは美しい町の光景だった。
白を基調とした建物は眩しいくらいに無垢で、穢れの一切を感じさせない。
町の中には水路が通っており、そのせせらぎは聞く者に心の安寧をもたらしてくれるだろう。
そんな美しい町ではあるが、かなり濃密な神力に満ちている。
忘れられた地のように、濃度が高すぎてオーラのようなものが立ち上って見えるというわけではないが、それでも魔力溜まりよりも濃い神力を感じる。
流石は神界と言ったところか。濃密な神力に美しい街並み。この世界の人達の理想郷がどういうものかはよく知らないけど、町があったらこんな感じなのかもしれない。
「ここが神界……」
町があるのは意外だった。
勝手な想像ではあるけど、無限に広がる自然と言うか、緑が溢れ、動物達が生き生きと闊歩し、そんな彼らと共に和気あいあいと過ごしている、そんなイメージを持っていた。
きちんと町があり、そこで暮らしていると考えると、案外人族とそう変わりないのかもしれない。
あるいは、神様の暮らしを人族が真似たのか。
昔は神様が人族に対して色々と知恵を授けていたようだし、その中にこの町のようなものがあっても不思議はない。
神様を真似たやり方が今の住居の形態だと考えれば、そこまで不自然ではないのか。
「街並みは綺麗だし、今は争っているわけではないのかな?」
一つの可能性として、1万年前の小競り合いを未だに続けているというものがあった。
地上の異変に気付かないのは、まだ喧嘩していてそれどころではないのではないかと。
でも、この様子を見る限り、とても争っているようには見えない。
人影が見当たらないからまだ何とも言えないけど、仲直りできたんだろうか。
〈ハク、竜形態をとっておけ〉
「お父さん、なぜですか?」
〈本来、神界に入れるのは、神以外では神に認められた者だけだ。そして、認められる奴の大半は神力を持っている。ハクも神力は持っているだろうが、その体はそれを抑制してしまっているだろう?〉
「それは、確かに」
私はいつも人間形態、というかこの姿が基本の形ではあるが、いつもは魔力が漏れないように制御している。
そうしないと、漏れ出た魔力がオーラとなって、周囲の人々を怯えさせてしまう結果になるからだ。
だが、ここではそうする必要はないだろう。なにせ、ここにいるのは神様だらけだ、明らかに格上の存在であり、私の魔力程度で委縮するとも思えない。
それに何より、先ほどから息苦しさが増しているようにも思える。
この体のままでは、神力が入りきらないと本能が言っているのだ。
だから、よりキャパシティの大きい竜の姿になった方が楽なのは確かである。
〈ただの魔力溜まりと同じと思うな。神力を吸収しすぎて動けなくなる可能性もある。余裕は常に持っておけ〉
「わかりました。では……」
私は服を脱ぐと、【竜化】を開始する。
小さな体が膨れ上がり、銀色の鱗が体中を覆っていく。背中からは翼が生え、灰色の斑点が目立つ赤みがかった黒い翼膜が体を覆っていく。伸びた尻尾からは赤黒い棘が数本突き出し、瞳は瞳孔が縦に開いていく。
数瞬後、そこには小柄な一匹の銀竜が立っていた。
〈……こうして竜の姿になるのは久しぶりな気がします〉
〈せっかくの美しい姿なのに、気軽に見られないのは残念だな〉
〈見たかったんですか?〉
〈娘の姿を見たがらない親はいない〉
まあ、確かにそうなのかな?
私は確かにお父さんの娘ではあるけど、どちらかと言うと竜ではなく精霊に近い。
竜の血のおかげで【竜化】こそできるが、これが本来の姿とは言い難い。
けれど、お父さんとしては、やはり竜の姿の方が馴染みがあっていいのだとか。
同じ姿の方が親しみやすいのかもしれないね。今度からは機会があったら竜姿も見せるとしよう。
〈さて、いつまで覗き見している。さっさと現れろ〉
「あら、気づいていたの?」
お父さんが家の角を睨みつけると、そこから一人の女性が姿を現した。
白に青いラインが入ったドレスのような服を身にまとい、小さな日傘を差し、浅葱色の髪をしたその女性は、にっこりを笑みを浮かべてこちらに近づいてきた。
「ようこそ、神の住まう世界へ。私はあなたを歓迎しましょう、ハク・アルジェイラ」
音もたてずに片手でカーテシーをしてくる女性。
私はその姿に思わず見惚れてしまった。
心がきゅんとなったとか、そう言う意味ではない。ただのカーテシーであるはずなのに、神々しさと言うか、神秘的な雰囲気を感じ取ったのだ。
ここにいるからにはこの人は神様なのだろう。私は挨拶を返すことも忘れて、ぽかんと口を開けてしまった。
〈いきなり娘をたぶらかすんじゃない。貴様の悪い癖だぞ、パドル〉
「あら、私なりの誠意のつもりだったのだけど、気に食わなかったかしら?」
〈何が誠意だ。ただ遊んでいるだけだろうに〉
「ふふ、娘を取られそうだからってそんなに拗ねなくてもいいのに」
〈嚙み殺すぞ〉
「冗談よ。もう、相変わらず固いんだから」
そう言ってくすくすと笑う女性。
どうやら、この人がパドル様らしい。お父さんが昔仕えていた、境界の神様。
私はハッと我に帰ると、慌てて挨拶を返した。
〈は、初めまして、ハクと申します〉
「はい、よくできました。私はパドル。一応言っておくけど、あなた達の言う神様ね」
神様と、神様自身の口から聞かされると改めて認識させられる。
神様か、ひとまず、言葉が通じないという問題はないらしい。
まあ、あちらが合わせてくれているだけかもしれないけど。
「さて、せっかくハーフニルが娘を連れてきてくれたことだし、お茶でも飲みながら昔話に花を咲かせたいところだけど、そう言いうわけにもいかないのよね?」
〈ああ、天使どもから仔細は聞いているな?〉
「そこまで詳しくは聞いていないけど、マキアが馬鹿やらかしてるかもしれないとは聞いたわ」
〈一応こちらからも説明するが、地上がカオスシュラームに侵されつつある、対処は急いだほうがいいだろう〉
「そうね。まずは、そのマキアに話を聞くのが一番かしら」
〈マキアは今どこにいるのだ?〉
「酒場でしょうね。いつも飲んだくれているし」
〈ならそこに案内しろ〉
「はいはい。ハク、離れないでついてきてね」
〈は、はい〉
どうやら件のマキア様は酒場にいるらしい。
神界にも酒場があるのかと思ったけど、街並みを見る限り、人がいないだけで大抵は地上の町とそう変わりないことに気が付いた。
住居はもちろん、雑貨屋や武器屋、服飾店に食堂、大抵のものは揃っているように見える。
流石に冒険者ギルドのようなものは見当たらなかったが、神様も恐らく地上の人々と同じように暮らしているのだろう。
姿もかなり人に近いし、案外神様も身近な存在なのだろうか。
〈ハク、一応言っておくが、奴の姿は偽りのものだ。あれが本物だと思うなよ〉
〈そ、そうなんですか?〉
〈人族と交流するためにこういう姿を取ってはいるが、本来の姿はかけ離れていることだろう〉
そうだったのか……。
【鑑定】でもしてみればもしかしたらわかるかもしれないが、流石に神様にやるのは憚られるし、ここはお父さんの言葉を信じておこう。
でもまあ、確かに神様なのだから、人とかけ離れた姿をしていても不思議はない、か?
あちらが合わせてくれていると考えると、ちょっと好感も持てるけど。
私はそんなことを考えながら、後をついていくのだった。
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