第七十五話:誘拐
次の日、いつものように道場に向かい、剣術の稽古を受ける。
型自体はだいぶ覚えてきた感はあるけど、やっぱり体がついていかない。
まあ、もうこれはしょうがないと諦めることにする。
せめて体力が付くように運動を欠かさないようにしよう。今までもだいぶ運動してる気がするんだけど、全く体力がつかないのはなぜだろうか。
身体強化魔法を使っちゃダメなのかなぁ。体を動かしてることに変わりはないんだけど。一応、日常ではあんまり使わないように意識してるし。
元々虚弱なのかもしれない。体質はなかなか変えられないよね。
ヘロヘロになりながらも稽古を終え、帰路につく。
んー、どこか店寄っていこうかなぁ。いい加減メモ帳が欲しいし、思い切って買うのもいいかもしれない。
「と、それならこっちの方が近道か」
確か前に見た店は大通りから少し外れたところにあったはず。それならこっちの路地裏を伝っていった方が早い。
日も落ちかけていることもあって路地裏はだいぶ暗かった。
まあ、このくらいだったらなんとかなるけど。
こつこつと靴音を響かせながら静かな路地を歩く。
帰ったら魔術の研究もしないとね。
そんなことを考えながら歩いている時だった。
「……ッ!?」
突如、後ろから布のようなもので口元を塞がれる。
とっさに抵抗しようとするが、思うように力が入らず、徐々に力が抜けていった。
なに、これ……。
やがて全身の力が抜け、ぐったりとした私を抱き起す者がいた。
虚ろな視界に見えたその姿は灰色のローブを纏っており、ローブ越しににやりとした笑みを浮かべている。
こいつ、奴らの仲間か……。
そう思っても力が入らない。徐々に意識も薄れ始め、私の視界は闇に染まった。
ゆっくりと意識が浮上してくる。
ぼんやりとする視界に飛び込んできたのは小綺麗な一室だった。
煌びやかな装飾がなされたドレスが並び、化粧台にはいくつかの道具が綺麗に整頓されて置かれている。
衣装はもちろん、内装も美しく、どこかの貴族のお屋敷を思わせた。
私はどうやら椅子に座らされているらしい。そんなに高い椅子ではないのか、視線はあまり高くない。
どうしてこんなところにいるんだっけ……?
だんだんと記憶が蘇っていく。
確か、稽古の帰りに店に寄ろうとして裏路地を通ったら襲われて……そこから先は記憶がない。
ただ、私をこんな目に遭わせたのは間違いなく奴らの仲間だということだ。
あの特徴的なローブは忘れようがない。以前にも人攫い未遂にあったことはあるが、今度は完全にしてやられた。
一応、常に探知魔法は発動させていたはずなんだけど、見落としていたのだろうか。
確かにあの時は気を抜いていたかもしれないけど、全く気付かないなんてことあるだろうか?
とにかく、奴らに捕まったということなら早く脱出しないと。
でも、先程から動こうとしているのだけど、なぜか全く動けない。
何かに縛られているって感じでもないのに、薬か魔法の効果だろうか。
見たところ、この部屋には誰もいない。わざわざ攫っておいて見張りの一人もいないということは一人にしておいても逃げられないという自信があるんだろう。それかよっぽどのアホかだ。
後者はないとして、魔法だったら何とか解析できないかな。
魔法陣を見れれば何かしら掴めるんじゃないかと思うんだけど。
問題なのは視界すら自由を奪われているということ。
今の私はただ前を見つめることしかできない。せいぜい、目線を多少動かすことが出来るくらいだ。
これでは自分の身体が見れない。
どうにかして見れないかな……。
何かないかと部屋の中を見回してみる。すると、奥の方に鏡が置かれていることに気が付いた。
あれなら見れるかも。
ちょっと遠いが、目に身体強化魔法をかければ見えないことはない。
しかし、いつものように発動させてみるが、うまく発動しなかった。
あれ、おかしいな。
もう一度発動させてみるが、やはりうまくいかない。
なんか、魔力がうまく流れていないような……。
もう一度、今度は多めに魔力を使って発動させてみると、ようやく発動してくれた。
なんだろうこれ、魔力が思うように流れてくれない。これも魔法の効果なのだろうか。そんな魔法聞いたこともないけど……。
ともあれ、これで鏡もよく見えることだろう。私は視線を鏡の中へと向ける。
そこには私の姿が映っていた。
椅子に座らされており、力なく手足を投げ出している姿が映っている。
しかし、その姿にはどこか違和感があった。
その一つは椅子の大きさ。周りの家具と比べてみると、椅子は標準的な高さのものと思われる。しかし、そこに座る私の高さは背もたれの半分にも満たない。いくら私の身長が低いと言っても、流石にこれはおかしい。
私の身体自体もおかしい。椅子に比べてとても小さいことはもちろん、その質感も生きた人間とは程遠い。
肌はまるで布地のような質感で、ところどころに縫い目がある。口はただの糸のように見えるし、目は硝子玉のようだ。
これじゃあまるで、ぬいぐるみじゃないか……。
まるでぬいぐるみのような姿。それにピクリとも動かない体。まさか、私の身体がぬいぐるみにされてしまったとでも言うの?
そんな魔法聞いたことも見たこともない。何かの間違いなんじゃないかとも思う。
だけど、見ている視点からしてあの鏡に映っている私にそっくりなぬいぐるみは私だ。それに、もし本当にぬいぐるみになっているとすれば魔法が使いにくいのも納得できる。
人間が持つ魔力は常に体の中で流動している。それに対し、無機物の魔力はほとんど流れがない。それはすなわち、魔力の効率が悪いということを意味する。
魔法が苦手な人というのは魔力の流れが悪く、魔法を使用する際に必要とする魔力が多い。だから魔法が使いにくいのだ。
無機物はそもそも魔力の流れがほとんどない。今の私はほとんど魔法が使えない人と同程度の身体になっているということだろう。
日頃の積み重ねがあるからか、全く使えないってわけじゃないのが救いだね。
それにしても、一体どんな魔法なんだこれ。
一見して、私の身体に魔法陣は見当たらない。隠蔽されているのかもとも思ったけど、調べてもそんな痕跡はなかった。
常時発動型というわけではなさそう。これでこの姿が幻影だったという可能性も消えてしまった。
なんとか動けないものかと体を動かそうとして見るけど、ピクリともしない。まるで本当のぬいぐるみになってしまったかのように。
声を出そうかとも思ったけど、それすらできなかった。というか口が開かない。
逆に瞼は閉じず、目は開きっぱなしだ。デザイン的に口は開かず、目は開いたままなんだろう。
幸い目を開いたままでも痛くなるということはないみたいだけど、違和感が凄い。
身体強化魔法も試してみたけど、そもそも動かす機構がなければ意味がない。いくら強化しても動けないんじゃ話にならない。
となると……。
「ん? もう起きたのか?」
あれこれ試行錯誤していると、不意に女性の声が聞こえてきた。
視線を動かすと、視界の端から灰色のローブを纏った人物が現れる。
今の私とは比べるべくもないけど、結構背が低い。女性と考えると、大体10代半ばといったところだろうか?
彼女は私の前までくると、目線を合わせるように膝を折り、私をそっと抱き上げた。
「やけに冷静だな。もっと困惑してると思ったんだけど」
彼女は無造作にかぶっていたフードを取る。その下から現れたのは、あどけない少女の顔だった。