第六百九十三話:図書室を訪れて
研究は楽しいけれど、時間を忘れてしまうのが困りものである。
訓練室の利用は各生徒の裁量に任されているので、最後に残った人がきちんと鍵を閉めて返しに行きさえすればいつまでも利用することができる。
最も、鍵を返す場所である職員室は夕食前には閉まってしまうからそれまでに返す必要があるけどね。
そして、私はそれを理解していたけど、研究に没頭していたこともあってよくそれを忘れてしまっていた。
鍵を返しに行く時間までに終われないってことだね。
こういう時、自分だけの研究室があったら便利なんだけど、魔法薬研究室に行ってそっちの研究も手伝わずに卒業研究をやるのは気が引けるし、寮の裏庭を使おうにも夜遅くに騒音が出る可能性がある魔法の衝突実験をやるわけにはいかないしでいい場所がなかった。
いやまあ、やろうと思えば転移魔法でいくらでも都合のいい場所に訪れることができるけどね? 何となく、学園でやった方がいいのかなぁと思って使っていなかった。
もう結構怒られてしまっているし、今度怒られるようなことがあったら竜の谷にでも行くとしよう。
ホムラとかにも会いたいしね。
「ん? あれは」
授業間の空き時間、一応、一般的な相性の関係を知っておこうと一人で図書室を訪れると、そこには見覚えのある人物がいた。
私には及ばないが、背がそこそこ低く、眼鏡をかけた大人しそうな女生徒。一年の頃、サリア関係で少しもめたこともあるが、それ以降はあまり交流のなかったシュリさんだ。
なにやら調べ物をしているらしい。こちらには気づいていないようで、椅子に座ってなにやら分厚い本を読んでいる。
「こんにちは」
「ひゃっ!? え、あ、ハクさん……」
なんとなく声をかけてみたが、いきなり声をかけたのが悪かったのかびくりと小さく飛び上がっていた。
そんなに集中していたのかな。
ちらりと本を見てみる。すると、それはどうやら呪いについて書かれている本だということがわかった。
ふーん?
「お久しぶりですね。元気にしていましたか?」
「は、はい! 元気です!」
立ち上がって慌てたように答えるシュリさん。
でも、その表情は暗く、あまり元気という風には見えない。
呪いに関しての本を読んでいることと言い、何かありそうな予感がする。
「何かありましたか?」
「い、いえ、別に何も……」
「とてもそうは見えませんが」
「うっ……」
呪いに関する本は禁書指定されている。だから、学園の図書館で読める程度の本だと、せいぜい呪いを受けたら教会に行きましょうとアドバイスする程度の簡単な本だ。
まあ、この学園には閲覧禁止の棚という生徒は立ち入り禁止の場所があるので、そこに入ればもしかしたらあるかもしれないけど、まあ一生徒が入れるわけもない。
呪いを受けたら教会に行きましょうなんて言うのは冒険者の間では常識だ。
冒険者が相手にする魔物の中でも、アンデッド系の魔物はたまに呪いをかけてくることがある。
それは、私が受けたような特定の言葉が喋れなくなるとかそういうものではなく、単純に胸が苦しくなって立っていられなくなるような単純な呪いだけど、もちろん受けたら相当面倒なものである。
それらを解くためには、教会に行くか、教会が販売している聖水を飲む必要がある。
聖水は一応光魔法が付与されているのか、簡単な呪い程度だったらこれでも解ける場合があるのだ。
もちろん、解けない場合もあるのでそうなったら諦めて教会に行くしかないんだけど、まあないよりはましだね。
少なくとも、人がかける本格的な呪いは聖水程度では解くことはできないのでその程度の呪いだったらまだましである。
まあ、それはともかく、呪いを受けたら教会に行きましょうというのは冒険者の中では常識だし、学園でも先生に聞けば簡単に教えてくれることである。
だから、今更こんな本を読む必要なんてないはずだ。
それなのにわざわざ引っ張り出しているということは、呪いに関して知りたいことがあるからだろう。
シュリさんは一時は私とサリアを貶めようとした人ではあるけど、悪い人ではない。呪いを使えるようになって悪さをしようとしているというわけではないと思う。
そうなると考えられるのは、呪いの治療をしようとしている、くらいしかないよね。
「私でよければ力になりますよ。まあ、話したくないというのであれば強要はしませんが」
教会で解けないほどの呪いと考えれば相当強力な呪いである。
まあ、これは憶測であって本当にそういう人がいるかはわからないけど、なんとなく、合っている気がするんだよね。
私の問いかけに対してしばらく押し黙っていたシュリさんだったが、しばらくしてぽつりと返事をしてくれた。
「……私は、ハクさんに迷惑をかけてしまいました。それなのに、ハクさんに頼るなんてこと、できません」
「迷惑?」
「私はハクさんを学園から追い出そうとしてしまった……」
「ああ、そのことですか」
確かに、シュリさんは一年の時に私、というかサリアを追い出そうとして色々と嫌がらせをしてきたことがある。
いや、あれを嫌がらせと言っていいのだろうか? 少なくとも、私が把握している中でシュリさんがやったことと言えば、サリアと別れるように脅迫まがいに言ってきたことと王様から貰った杖を盗んだことくらいだろうか。
でも、その後の発表会の場面では出てこなかったし、そもそも発表会の件が終わった後、私とサリアに変な噂が広がらないように駆け回ってくれていたと聞いている。
サリアと別れるように言ってきたのは単純な善意だし、杖を盗んだのは上からの指示だろう。別にシュリさんは悪くないと思う。
というか、こうやってそのことを謝れている時点でシュリさんは悪い人ではないと思うんだよね。
「私は気にしてませんよ。それに、あれはシュリさんなりの善意だったのでしょう? であれば、怒る理由にはなりませんよ」
「でも、下手をしたら本当に学園からいなくなるところだったんですよ?」
「実際にはそうなっていないでしょう? それに、変な噂が広がらないように色々駆けまわってくれたと聞いていますし、シュリさんなりに私のことを心配してくれたんでしょう?」
これが反省もせずに未だに敵意を向けてきているとかだったら流石に同情はしないけど、こんなしおらしくなってしまった相手に怒る気など沸くはずもない。
シュリさんは目に涙を浮かべながら、それを悟られないように必死に腕で涙をぬぐっていた。
「ご、ごめんなさい……私、ハクさんがサリアの手にかかるんじゃないかと心配で……」
「謝罪は受け取ります。これで何の憂いもありませんね?」
「う、うわぁぁぁん……!」
抑えきれなくなったのか、シュリさんは私に抱き着いてワンワンと泣き始めた。
シュリさんなりに、あの時のことをずっと気にしていたのだろう。
謝罪したかったけど、サリアのことを考えると思うように近づけなかったのかもしれない。
あれ以降、ずっと別のクラスだったし、タイミングがなかったというのもあるだろうしね。
こうして偶然ではあるけど二人で話す機会を得て、ようやくシュリさんの中のもやもやが晴れたんだと思う。
私はシュリさんが泣き止むまでの間、ずっと背中を撫でていた。
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