第六百八十五話:辛い現実
「えっ……」
ヒック君が戸惑ったような声を上げる。
この村の風習では、右腕にブレスレットを付けることは告白を断ることと同義。
この4年間、ずっと恋焦がれていたであろう相手に対してやるのはかなり心が痛むけど、無理なものは無理である。
だから、ここは非情かもしれないけどはっきりと断っておかなくてはならない。
「……ごめんね、ずっと勘違いさせちゃったみたいで」
「は、ハク?」
「私はこの村の風習のことを知らなかったの。だから、あの時ブレスレットを左腕に着けたのはただの偶然。私は、ヒック君の気持ちに応えることはできない」
「そ、そんな……」
ヒック君が膝から崩れ落ちる。絶望したような表情を浮かべ、呆然と私のことを見つめている。
「や、やっぱり、俺みたいなガキじゃだめだったか? ハクには釣り合わなかったか?」
「いいえ。ヒック君はとても立派だと思う。村一番って言ってもいい実力を身に着けるには相応の努力が必要だったはずだし、私のためにそこまでしてくれたヒック君はとても素晴らしいと思う」
「じゃ、じゃあ!」
「でも、だめなの。私にはすでに婚約者がいる。それに、竜人である私があなたと結ばれるのは、あまりいい顔されないでしょう?」
こうしてここに来る前に、アンリちゃんから聞いた。
どうやら、この大陸の人達は皆、竜に対して苦手意識を持っているらしい。
竜は恐怖の象徴であり、竜が近くに現れようものなら蜂の巣をつついたような大騒ぎになってしまう。
だから、そんな竜の子供である竜人もまた、恐怖の象徴であり、結ばれたところで子供は竜人にしかならないとくれば、わざわざ結ばれようとする人がいるはずもない。
そういう理由もあって、竜人と結ばれることはタブーとされていて、この村の獣人達もまたそういう認識なのである。
ヒック君のお父さんが微妙な顔をしたのは私が竜人であるとヒック君から聞いていたからだろう。竜人に熱を上げている息子を苦々しく思っていたのかもしれない。
他の住人達が何も言わないのも、私が竜人であると明かしていないからだと思う。きっと、明かせば何人かの人達は忌避するんじゃないかな。
だから、私のためにも、ヒック君のためにも結ばれることは得策ではないのである。
「周りの声なんて知るもんか! 俺はこの村を出ることになってもハクと結ばれたい!」
「そんな簡単に村を出るなんて言っちゃだめだよ。それはつまり、両親にも会えなくなるってことなんだよ? 家族を捨ててまで手に入れるものに意味なんてあるのかな?」
中には親に認めてもらえなくて、駆け落ちする恋人もいるかもしれないけど、本人の幸せはともかく、残された両親はとても悲しむはずである。
それに、成人したとはいってもまだ村から出たこともない旅初心者のヒック君が村を出てやっていけるかは微妙なところだ。
もちろん、私と一緒についてくるというならその問題はなくなるけど、それはすなわち私に頼りきりになるということでもある。
獣人は基本的に男性が女性をリードするのが普通のようだから、それはヒック君にとってもプライドを傷つけられる行為になるだろう。
それに、家族と会えなくなるのはとてもつらいことだ。
私は一度地球へと戻り、妹である一夜を含めた家族と再会したが、今でも少し胸がきゅっとなることがある。会いたいと無意識に思っているのだ。
でも、気軽に会うことはできない。それはとても苦しいことだ。だから、そんな思いをしてまで結ばれるべきではない。
「これは私のためでもあるし、ヒック君のためでもあるの。どうかわかってほしいな」
「で、でも、俺は……」
「私は家族と会えなくなったらとても悲しい。ヒック君だって、家族と会えなくなるのは嫌でしょう?」
「それは、そうだけど……」
家族の反対を押し切ってまで結ばれてもいいことはない。
家族の支援を受けないままではお金を稼ぐのも大変だし、困った時に質問することもできない。
全部自分達で何とかしなくちゃいけないというのはなかなかに厳しいものだ。
今回の場合、ヒック君が家族と離れて暮らすとしたら、私の家に住むことになるだろう。
そうなった場合、ヒック君は私におんぶにだっこで暮らすことになると思う。
いくらヒック君が村で一番強いとは言っても、所詮は狭い村の中での話。一つ隣の村を含めれば順位も変わるかもしれないし、大陸が変わるとなればもっと顕著になることだろう。
獣人は魔力が少ないからそれで実力を判断することはできないけど、多分そこまで強くはないと思う。
仮にお兄ちゃんとかにも見劣りしないくらい強かったなら魔物を狩るなどして生計を立てられるかもしれないけど、それに関してはすでに私の方で達成してしまっている。
ヒック君が稼いだお金だけで暮らすとしても、それは単純な自己満足でしかなく、それ以外の家事などは私がすることになるだろう。
この村でやっているような食料集めは店に行けば買うことができるし、薪割りに関しても同様。ヒック君のこの村で培ってきたスキルはあまり役に立たないと思われる。
この大陸で暮らすならヒック君がリードすることも可能かもしれないけどね。だけど、私はすでに家を持っているのに、わざわざこちらに来るなんてことはしない。
そもそも、私はお姉ちゃん達と静かに暮らしたいのだから、ヒック君のためだけに家を捨てるなんてできるはずもない。
結局、ヒック君がリードできることは何もなくなるのだ。
そしてそれは、獣人にとってはプライドを傷つけられる行為だと思う。
そういう意味でも、家族を捨ててまで結ばれたいと思うのはやめた方がいいと思う。
「お願い。わかって?」
「……」
ヒック君は何も言わない。まあ、絶対に成功すると思っていたのにいざ本番になったらフラれたとあればショックが大きいのはわかる。
私だって、こうなることがわかっていたからあまり断りたくなかった。だけど、できもしないことを受けることはできない。
つらいけど、ここは耐えてほしい。
「……代わりといっては何だけど、これを上げるよ」
「……これは?」
「お守りみたいなものかな。危険が迫ると結界が張られるようになっているアクセサリーだよ」
私にできることはこれくらい。
ここまでヒック君の人生を狂わせてしまったのだから、せめてこの後は幸せに暮らせるようになってほしい。
余り物で申し訳ないけど、効果は折り紙付きだし、これで危険はかなり減ることだろう。
「後これも上げる。通信用の魔道具だよ」
通信用の魔道具は聖教勇者連盟から大量に入手している。
いつ使う場面があるかわからないしね。私は通信魔法を使えるけど、相手は使えない場面も多い。そんな時に、通信魔道具を持たせておけば、いつでも連絡を取ることができる。
聖教勇者連盟謹製のものだから大陸を挟んでも問題なく通じる。
これなら、多少なりとも寂しさは軽減されるんじゃないかな。
「ハク……ありがとうな」
「え?」
「俺を傷つけないために色々してくれたんだろ? 気を使わせてしまってごめん」
ヒック君はアクセサリーと魔道具を受け取りながら、私のことをそっと抱きしめた。
「ハクのことは、諦める。でも、今だけはこうさせてくれ……」
「……うん、いいよ。好きなだけ泣いて」
顔は見えないけど、嗚咽が聞こえてくる。
私は背伸びしてヒック君の背中を叩きながら、ヒック君の気が済むまで泣かせてあげた。
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