幕間:自分の立ち位置
エンシェントドラゴン、エルの視点です。
ハクお嬢様の姿が掻き消えた時、私は取り返しのつかないことをしてしまったと思った。
古代遺跡を取り込んだらしきダンジョンの奥地で見つけた絡繰り仕掛けの魔法陣。
かつて古代人が使っていたであろうそれを見た時、特に何か思うことはなかった。
せいぜい、ああ、そう言えばこんなものもあったような気がする、程度のものである。
私の1万年ちょっとの記憶の中には確かにこの魔法陣はあったが、特に用途などは知らされていなかった。
だから、王都にもある転移魔法陣の一種なのだろうと思っていたし、そもそもそんな昔のものが発動するなどとは考えてもいなかった。
しかし、実際は魔法陣は生きていて、結果ハクお嬢様がそれに巻き込まれてしまった。
単なる転移魔法陣であるならば、特に心配する必要はない。
ハクお嬢様は転移魔法が使える。どんなに遠い場所だったとしても、ハクお嬢様の魔力量ならば十分に帰ってこられるはずだった。
しかし、それなのに感じた嫌な予感。下手をすれば、これが一生の別れになってしまうのではないかという予感がした。
そんなことはない。すぐに帰ってくると言い聞かせ、その場は退散したが、嫌な予感は当たり、ハクお嬢様は一か月経っても帰ってくることはなかった。
『それで、ハクはどこへ行ったかわからないと?』
『は、はい、その通りでございます……』
私はすぐさまハーフニル様に事の次第を報告した。
本来であれば、ハクお嬢様がいなくなってすぐに報告すべきだったが、転移魔法で帰ってくる可能性もあったため、ここまで報告が遅れたのである。
ハーフニル様の表情は険しい。
曰く、この世界からハクお嬢様の気が感じられないのだという。
それはすなわち、ハクお嬢様はどこか別の世界に転移したということである。
別世界の存在自体は知っている。ハクお嬢様だって、別の世界から呼びだした魂を元に生まれた存在だ。
だから、別世界があるということは理解できるが、そこに転移する魔法陣があるとは最初は信じがたかった。
いや、確かにかつては神々がこの世界を統治していたのだから、その力をもってすれば世界間移動など容易いのかもしれない。
転移魔法だって、理論上魔力が足りさえすれば世界を超えることだって可能なはずである。
しかし、なんで寄りにも寄ってハクお嬢様がピンポイントで被害に遭わなくてはならないのか。
せめて、私も一緒に転移していればよかったのに……!
『恐らく、ハクが行った先では魔法陣が壊れているのだろう。あるいは、起動に必要な魔力が用意できないのかもしれない』
『ハクお嬢様の魔力をもってしてでも、ですか?』
『数日かけて何度も魔力を充填すれば行けるやもしれんが、行った先の世界の魔力が希薄ならそれも難しいだろう』
ハクお嬢様はハーフニル様とリュミナリア様に次いで魔力が多い。
封印が完全に解けた今、ハクお嬢様を縛るものは何もないのだ。
それなのに、魔力が足りないという。それだけ、世界間の転移というのは難しいものなのだろう。
しかし、そうなるとハクお嬢様はいつまで経っても帰ってこられないということになる。
二度と会えない、という言葉が頭の中でちらついた。
『ハクを救うためには、その魔法陣を解読し、こちらから助けに行く必要があるだろう』
『……そうなると、ヒノモト帝国と協力した方がいいでしょうか』
『人は多い方がいい。情報はリュミナリアに頼むとしても、ハクの姉や兄が全く手を出せないのはあちらとしてもやきもきするだろうしな』
情報を集めるだけだったら、リュミナリア様の精霊の噂話を駆使すれば難なく集めることができるだろう。
しかし、あのダンジョンの魔法陣を解読するためには、実際に行って色々と調査しなければならない。
だから、事情を知るヒノモト帝国の協力は必要不可欠だろう。
確かに、目の前でハクお嬢様を手放してしまったサフィ様やラルド様にも手伝える場を設けないと二人とも落ち込みそうである。
私は自分の事で頭がいっぱいだったが、よく気の回る人だ。
『さて、エル。お前の処分についてだが』
『はい……』
厳かな声で告げるハーフニル様に自然と頭が下がる。
本来、私の任務はハクお嬢様をお守りすることだ。
それは外敵からの攻撃もそうだし、精神的な安定でもそうである。
それなのに、目の前でみすみすハクお嬢様を手放してしまった上に、すぐに助けに行くこともできない状況である。
この助けが遅れれば遅れるほど、ハクお嬢様は危険に晒されることになる。それはもう、任務を達成できないのと同じだ。
一度は死んでしまうという大失態をしたにもかかわらず生き返らせてもらったという恩があるのに、私からは何も返せていない。
そんな奴をこのままハクお嬢様の護衛に置いておくことはできないだろう。
というか、ハクお嬢様という最優先護衛対象を守れなかった時点で、極刑は免れない。
死が怖いわけではないが、ハクお嬢様を守れなかったというふがいない結果で終わることだけは悔しかった。
『……お前にはヒノモト帝国と協力し、魔法陣を解読してハクを助け出す任を与える。今回の失態に関しては一時不問とし、処分は追って帰ってきたハクに任せることとする』
『それは……私をまだ生かしておくということですか?』
『エル、お前は少し自分の立ち位置を理解した方がいい。お前はすでに、ハクの家族なのだ。安易に命を投げ出そうとするな』
『も、申し訳ありません……』
ハクお嬢様の家族、その言葉を聞いて、私はようやくハーフニル様の命令を正しく理解した。
私の任務は、ハクお嬢様を守ること。だから、いざとなれば私が身を挺してでも守ればいいと思っていた。
しかし、そうではない。本当はハクお嬢様を守りつつ、自分も生きろと言っていたのだ。
すでにこの命は私のものではなく、ハクお嬢様のものである。安易に投げ出していい命ではないのだ。
それは怒られて当然だ。今は私なんかの処刑ではなく、ハクお嬢様の救出を優先すべきだ。
『わかったのならいけ。あまり時間をかけるな』
『はっ!』
そうして、ヒノモト帝国の協力を得つつ、魔法陣の解読が始まった。
リュミナリア様を介して各地の遺跡の情報を調べ上げ、魔法陣の文字を解読し、座標という概念を発見し、魔法陣を使うためにはどれくらいの魔力が必要なのかを計算し、それをまかなう魔石がどれほど必要なのかを計算し、竜を総動員して魔石を集めまくった。
そうして、ようやく魔法陣を使える状態まで調べ上げた時、助けに行くのは当然私だと思っていた。
ハクお嬢様がいなくなったのは私の不注意のせいだし、私はハクお嬢様の護衛である。実力だって申し分なく、助けに行くには十分な適性を持っていると思った。
しかし、いざとなって竜のプレッシャーは現地人に悪影響をもたらすのではないかという話が上がり、結局助けに行くのは私ではなくウィーネという猫だった。
どうやら、あちらもあちらで主君に色々命じられたらしい。
私は是が非でも助けに行きたかったが、最終的にはハーフニル様の判断もあってウィーネが助けに行くことになった。
正直、相当不安だった。
そもそも、見た目からして馴染めないことは確定している。ワーキャットなんて、この世界だって珍しいのだ。別世界で珍しくないわけがない。
それなら、人型になれる私の方が、と思わないでもなかったが、結局意見は覆らなかった。かなり悔しい。
これで助けられなかったらいよいよもって私の出番だと思っていたけど、結局ウィーネは一か月後にハクお嬢様と共に帰ってきた。
ハクお嬢様が無事でよかったと思うと同時に、私の役目を取られたようで少し複雑な気分である。
でも、ハクお嬢様が戻ってきてくれた。それだけで私は満足だった。
これからは絶対に離れないようにしよう。そう心に誓った。
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