第六百五十八話:残していくもの
これが一夜と過ごせる最後の時間。
私は悔いが残らないようにしっかりと一夜を抱きしめた。
身長が足りなくて腰元に抱き着くような形になってしまったが、そこは一夜が合わせて屈んでくれたので問題はなかった。
「一夜、これでお別れだ」
「うん……」
「これまで私を匿ってくれてありがとう。とても助かったよ」
「うん……」
もし、身寄りもなにもなくこの世界に放り出されていたらもっと苦労していたことだろう。
一夜がいなかったら、恐らくはホームレス生活のようなことを余儀なくされていたかもしれない。
その他にも、生前と姿が全く変わっているのに信じてくれたのも凄く助かったし、すんなり居候を許してくれたのも本当に助かった。
一夜は私の妹であると同時に、私の命の恩人とも言える。
「……そんな顔しないで。必ず、戻ってくるから」
「ほんとに? もういなくなったりしない?」
「うん。約束したでしょ?」
「それは、そうだけど……」
必ずまたここに戻ってくる。この約束に関しては、魔石の量を見る限り恐らく達成できる。
もちろん、そうほいほいとはできないと思うけど、ただひたすら魔石を集めることができるなら、こちらの世界で言うところの二週間、長くても一か月おきくらいには十分会いに来ることが可能だろう。
だが、問題となるのはやはり時間差。
こちらの世界での一日があちらの世界では一か月ということを考えると、そう気軽にはやってこれない。
数時間だけというならあるいはできるかもしれないけど、そんな短時間のためにこれだけの量の魔石を消費するのは流石に効率が悪すぎる。
確かに、魔物は魔力の濃い場所から生まれるので魔力の奔流である竜脈を整備している竜からしたらある程度魔物の量をコントロールすることは可能である。
しかし、あくまで竜の仕事は魔物の抑制であって、私利私欲のために魔物を生み出すなんてことがあってはいけない。
それらを利用せずに魔石を集めるとなると、それこそ誰も寄り付かないような秘境に踏み入って狩りまくる、あるいは魔石がザクザク取れる鉱山を見つけるとかしないといけないわけでどう考えても時間がかかりすぎる。
だから時間差をどうにかしてなくすか、あるいは魔石を楽に大量に手に入れる方法を見つけない限りは安定してこの世界に来ることは無理だ。
だから、次にいつ会いにこれるかどうかは私にもわからない。
「私、ホントに嬉しかったんだ……」
一夜はぽつぽつと語り始める。
それは私が事故で亡くなった時の事。その知らせを聞かされた時、一夜は目の前が真っ暗になったらしい。
一夜にとって、私はかけがえのない家族で、私を追って上京してくるくらいには私の事を尊敬してくれていたようだ。
そんな私が、事故で、それも私が誰かを庇う形で死んだと聞いた時、どうしていいかわからなかったのだという。
一時は後を追って自殺しようと考えたほどに追い詰められ、私を轢いた運転手や私が庇ったユーリの事をとても恨んだらしい。
それでも、実際に死ぬ勇気も誰かを殺す残虐さも発揮することはできず、悲しみによって潰れていく毎日。
何度も願ったそうだ。自分はどうなってもいいからハク兄を返してくださいって。
叶うはずのない願い。だけど、それはひょんなことから叶えられることになった。
私が偶然にも魔法陣の暴走によってこの世界に転移し、一夜を頼ったから。
それは奇跡にも等しい偶然。一夜は心底神様に感謝したらしい。
「本当なら、ずっと一緒に暮らしたいと思ってた。けど、ハク兄にはその気はなくて、私はハク兄の居場所にはなれないんだなって思った」
「そんなこと……」
「ううん、わかってる。ハク兄だってこの世界にいたいと思っていた。だけど、そうできないほど、かけがえのないものが出来ちゃったんでしょ?」
「……」
私は当初からいつかは元の世界に帰らなくてはならないと言っていた。
何気なく言った言葉だったけど、一夜にとってはもう一緒にいることはできないんだと再確認させられてとても悲しかったのだという。
だけど、私の事だから、自分と同じくらい大切な人が出来てしまったんだと考えて、その考えを改めた。
転生という第二の人生を貰い、知らない異世界で幸せに暮らしている私を引き抜くなんてことできないと思ったようだ。
だから、もし私と一緒にいることを選ぶなら、一緒に異世界に行くしかないと思っていたらしい。
しかし、それは私に否定され、いよいよもってどうしたらいいかわからなくなった。
唯一、私がこの世界に戻ってくる気があるという発言だけが一夜の心を繋ぎ止めた。
「ハク兄は約束を破ったことない。だから、絶対に戻ってきてくれるって信じてる。だけど、それでも離れるのは辛いよ……」
ようやっと手に入れた尊敬する兄との生活。例え半月にも満たない時間だったとしても、一夜にとってはとてもかけがえのない時間だった。
だから、離れたくないと思うのは当然だし、今でも一緒についていきたいと思っているようだ。
でも、それは私に迷惑をかける行為になる。一緒に行くことはできない。
だから、それを口にするのはただの我儘。最後の別れを受け止めきれないだけである。
「……わかった。それなら、一夜にはとっておきのものを残していくよ」
「とっておきのもの?」
「うん。一夜だけの特別なもの」
みんなに託した宝石のアクセサリーはもちろんの事、魔石や一部魔物の素材、魔道具、金貨や銀貨などのお金など、すでに一夜にはたくさんのものを残しているが、それとは別に残すべきもの。
私は一度一夜から離れると、ぽつりと呟いた。
「ハク・アルジェイラ」
「え?」
「私のあちらの世界での名前だよ。この名前を呼んでくれるかな」
本来、精霊は生まれた場所によってそれぞれ固有の長い名前が付くのだが、私の場合は少々特殊な環境もあり、お父さんの名字であるアルジェイラを名乗るのみである。
まあ、真名というのなら【鑑定】でも表示される春野白夜が正解なのかもしれないけど、一応あちらの世界での真名はハク・アルジェイラとなるわけだ。
「……ハク・アルジェイラ?」
「そう。それじゃ……」
「ッ!?」
私は名前を呼ばれたことを確認すると、一夜にキスをした。
精霊の契約。
本来ならば、キスをするのは一夜の方になるんだけど、まあどちらがしても同じようなものだろう。
私と一夜の中で何かが繋がったような感覚を感じる。
どうやら、無事に契約は成立したようだ。
「は、ハク兄、何を……!」
「精霊の契約だよ。何か、私と繋がったような感覚がしなかった?」
「そう言われれば、確かに何か……」
本来、精霊が契約する相手は魔力が好みだとか言う理由で、実際、契約したら加護を与える代わりに定期的に魔力を幾ばくか貰うというのが精霊のやり方である。
だが、一夜は魔力を全く持たないので、私は加護を与えるのになにも貰えない、むしろ吸われてしまうような形になってしまう。
普通の精霊だったら絶対にやらないだろうが、私には関係ない。
一夜との絆はそれほど重要なものであり、精霊の伴侶としても十分釣り合う相手なのだ。
「この契約がある限り、私と一夜はお互いを感じることができる。これなら、少しは安心できるでしょ?」
「ハク兄……」
「離れていても、私と一夜は家族であることに変わりはない。だから安心して、見送って欲しいな」
これが今の私にできる精一杯のものだ。
私は表情を無理矢理動かして歪な笑顔を作った。
感想ありがとうございます。




