第六百五十七話:帰還の魔法陣
翌日。私と一夜はウィーネさんに案内されて県境にある山へとやってきていた。
マンションからかなりの距離があったが、ウィーネさんが屋根から屋根に飛んでいく忍者的移動法を用いてきたので、私も一夜を抱えて跳躍魔法で飛び、後をついていくことになった。
もちろん、隠密魔法もかけて姿は消したし、なるべく衝撃が伝わらないように優しく飛ぶことを心掛けたので、一夜にはそこまでの負担にはなっていないはずである。
まあ、子供姿で運んだのでいささか頼りなく、一夜は終始私に抱き着いていたが。
本来であれば、マンションでお別れをして私だけがウィーネさんについていく予定だったのだが、一夜がどうしても最後のお別れがしたいと言って聞かなかったのでこうして一緒に連れてきたわけである。
帰りはどうするんだって話だが、県境と言ってもせいぜい車で一時間程度の距離。近くには電車だって通っているし、財布は持ってきているので一夜ならば普通に帰ることができるだろう。
あちらの世界のように、移動が馬車か徒歩だけという世界ではないのだ。
「こっちだ」
山の中へと入り、しばらく進む。
この山は一応手入れがされているようだったが、そこはウィーネさんもきちんと考えているのか人が容易に立ち入れないような場所に魔法陣を刻んだらしい。
しばらく道とも言えないような道を進み、やがて小高い崖の上へとやってくる。
選んだ場所の条件としては、人が容易に立ち入らず、ある程度開けている場所ということらしい。
だが、結果的にそんな場所は見当たらなかったので、適当に伐採して空間を作ったようだ。
そのおかげかどうかはわからないが、魔法陣の場所には簡易的な囲いが作られており、建築の跡のように見えなくもない。
まあ、流石にその辺の木を切っただけで小屋とかは作れんか。いくらウィーネさんだったとしても。
「なんか、ストーンヘンジサークルみたいだね?」
「下手に触れるなよ。また座標を描きたくはないからな」
形的には私が古代遺跡のダンジョンで見かけた魔法陣と同じものである。
周りの柱が飛ぶ場所の座標を示しているようだが、そもそもの話、座標なんてどうやって決めているのかという疑問がなくはない。
例えば、地球なら経度と緯度で場所を指定できるかもしれないが、世界すら超えるとなるとどうやって決めているんだろうか。
世界ごとに何か決まっているとか? そうなると、理論上はどこの世界にも行けるということになりそうだけど……。
「座標に関しては私もよくわからん。ただ、他の古代遺跡から見つかった資料を読み進めて、何とかこの世界とあちらの世界の指標らしきものを見つけることができた。だから、恐らく大丈夫だとは思う」
あちらの世界にもどうやらそういう資料があったらしい。
私がいなくなってから9か月も経ったとはいえ、それを見つけ出したウィーネさんは普通に凄いと思う。
というか、下手したら学会に提出できそうな案件だよね。別の世界に行けるなんて転生者じゃなくても飛びつきそうだし。
まあ、恐らく発表されることはないだろうが。
帰ってくるのに大量の魔石が必要になるというのもネックだし、じゃあ帰れないとなったら問題を起こす人もいるかもしれない。
一応、この世界で魔力が回復することはないから魔法を撃ってもそのうち使えなくなるが、逆に言えば少しの間だけだったら使えるのだ。
下級魔法でも生身の人間が受ければ死ぬような威力なのである。そんなものが使える人が何人もやってくるなんてこの世界の人々にとっては脅威でしかないだろう。
古代人はどうやらその辺りうまくやっていたようだけど、今の人達ができるかどうかはわからないね。
まあ、転生者だったらうまくやってくれるかもしれないけど。
教えるとしたらその程度かな?
「ヒヨナと言ったか。少し離れていろ」
そう言って遠ざけさせると、ウィーネさんは魔法陣の周りに【ストレージ】から大量の魔石を放出し始めた。
形は大小さまざまではあるが、色々な属性の魔石がざっと数千個。
よくぞここまで集めたものだと思う。あまりの量に少し眩暈がした。
もう少し少なかったらよかったんだけどな……。
「……よし、これで準備は整った。後は魔法陣の上に乗って、魔力を流すだけだ」
私が憂鬱な気分でいると、ウィーネさんはそう告げた。
これで帰る準備は整ったことになる。
なんだか呆気ないな。まあ、昨日から準備していたのだから当たり前とも言えるけど。
「ハク、帰る前にやりたいことは済ませたか?」
「……一応は。でも、これだけはやらせてください」
この魔法陣、一応地面を硬質化しているのか描いている質感としては岩に描いているような感じだけど、流石にこのままでは雨風で風化してしまうだろう。
まあ、別にもうこの世界に来ないというなら気にすることでもないけど、私としてはもう一度この世界にきたいと思っている。
その時に、予め魔法陣が描かれているか否かは重要な要素だろう。
記録していくことはできるかもしれないが、毎回こんな巨大な柱を用意するのは骨が折れる。
だから、この魔法陣を再利用できる形にしておきたい。
そういうわけで、私は囲いの外から土魔法で全体を覆うことにした。
簡単に言えば、石でできた祠のようなものを作ったのだ。
これならば、雨風で風化することはないだろう。地面の硬質化もしてあるようなので虫に荒らされるようなこともない。
誰かが意図的に壊そうとしない限りは大丈夫のはずである。
ここは誰も来ないような山の奥地ではあるけど、もし誰かが来た場合、誤って発動してこちらの世界の人があちらの世界に飛ばされてしまうのではないかという可能性もあるかなと思ったけど、こちらの世界の人達は魔力を持たないので魔法陣が起動することは絶対にない。
だから、仮に見つかったとしてもせいぜい魔法陣が荒らされる程度だろう。大丈夫のはずである。
「こんなものでいいでしょう」
「……お前、まさかまた来る気か?」
「はい。妹と約束しましたので」
本当なら、こんな魔法陣残さない方がいいのかもしれない。
隠匿している分にはいいかもしれないが、これが世に広まればこちらの世界が侵略されることになるかもしれない。
古代人がやったように、こちらの技術をあちらの世界に持ち帰り、技術革新が進んでいくかもしれない。
後者はまだいいけど、前者は明らかにこちらの世界を危険に晒すだけだ。元の故郷として、そんなことを許すわけには絶対に行かない。
だから、万全を期すなら破壊して二度と使用できないようにするべきなのだろう。
でも、すでに私にこの世界を捨てるという選択肢はなかった。
捨てるほどの覚悟はしたけど、捨てられないで済むのならそっちを選ぶに決まっている。一夜とも約束したし、これを翻すつもりはない。
ウィーネさんはため息をついていたが、特に何か言うことはなかった。
まあ、一応メリットもあるしね。
「……まあいい。それなら、今度こそやり残しはないな?」
「あ、最後に一つだけ」
何度も何度も遮って申し訳ないが、ここで悔いの残る別れ方はしたくない。
戻ってくるつもりとはいえ、もしかしたら戻ってこられない可能性もあるのだ。やれるだけのことはやっておきたい。
私は静かに成り行きを見守る一夜に向き直り、そっと身体を抱きしめた。
感想、誤字報告ありがとうございます。




