第六百五十六話:指切り
配信を終え、いつものように寝床に入る。
この数日間で身についたルーチンだけど、今日はそれが特別なことのように思えた。
一夜と一緒のベッドに入るのも、抱き枕にされるのも同じ。だけど、これが最後と考えると、この時間が永遠に続けばいいのにと思ってしまう。
「……ハク兄、まだ起きてる?」
「起きてるよ。眠れない?」
「うん……これで最後かと思うと、どうしてもね」
ウィーネさんは明日の朝まで待つと言っていた。つまり、ここで眠りにつき、朝になってしまえばそれはもう別れが来ることを意味している。
もちろん、ウィーネさんがまだ用意できない可能性もあるし、そもそもの話、魔石が足りなくてウィーネさんすら帰れなくなってしまうという可能性もなくはない。
けど、しっかりもののウィーネさんの事だ。きっと魔法陣を解読した時に必要となる魔力の量くらいきっちり計算に入れているだろう。
だから、別れは必ず来る。
今まで同期のみんなや両親に対して別れを告げてきたけど、この世界に来てから常に一緒にいた一夜とは思い入れも数段強く、なかなか別れたくないと思ってしまう。
「……ねぇ、私も、ハク兄と一緒に行くことはできないの?」
「それは……出来るだろうけど、ダメだよ」
「なんで? 私、ハク兄と別れたくない!」
あれが私の知っている転移魔法陣と同じような感じだとするならば、人数が何人増えようと起動する時の魔力はそう変わらないはずである。
だから、私とウィーネさんに、さらに一夜が加わったところで問題なく帰ることはできるだろう。
だけど、その選択を取ることはできない。
確かに、勇者のようにこの世界の人間でありながらあちらの世界に召喚されてしまうという人はいる。
別にそうなったところで空気の違いから死ぬということもないし、手厚く保護すれば生活することも可能だろう。
だけど、それでも魔物が蔓延る世界である。盗賊だって多いし、この世界と比べれば命の価値はかなり軽い世界だ。
例えば、町を歩いている時にうっかり肩をぶつけたら、それが貴族で、そのまま無礼打ちにされるという可能性もなくはない。
もちろん、普通に歩いていて平民が貴族の肩にぶつかるなんてことほとんどあり得ないだろうが、そういうちょっとしたことでも命が亡くなってしまうかもしれない世界なのである。
身を守るには、強さが必要となる。魔法にしろ剣技にしろ、何かしらの技術が必要だ。
召喚された勇者はどういうわけか底なしの耐性やら魔法の適性やら神具の適性やら色々持っているが、それが一夜にもつくという保証はどこにもない。
一夜は確かに文武両道で何でもできるが、流石に使ったこともない魔法を扱うのは無理だろうし、剣術だって覚えるのに時間がかかるだろう。
それに、たとえある程度の技術を身につけられたとしても、死ぬ時はあっさり死ぬ。
こちらの世界だって交通事故などであっさり死ぬことがあるのだから、あちらの世界ではより可能性は高いだろう。
「異世界は一夜が思っているほど楽じゃない。こんな便利な世界にいるのに、わざわざ危険の多い世界に行くことはないよ」
確かに一夜を一緒に連れていくという案はとても魅力的ではある。けれど、それで一夜を危険に晒すくらいなら、ここで別れた方がいい。
それが一番だと思っているのに、その選択肢を捨てきれない。
だって、私の可愛い妹なのだ。何でもできて、私なんかにはもったいないくらいの妹なのである。
あちらの世界で記憶を取り戻した時、お姉ちゃんの情報を聞いて飛びついたように、私は家族にとても弱いのだ。
あちらの世界のお父さんとお母さんのように、離れていてもいつでも会いに行けるというのならまだいいが、二度と会えないとなると悩むのは当然だ。
そして、悩んだところでどうにもならないということはわかっている。
私の選択肢は、一夜を置いてあちらの世界に戻るか、あちらの世界に置いてきたすべてのものを捨ててこの世界で生きるか、である。
どちらも選ぶには難しいが、私の精霊としての性質や、私がいなくなったら世界すら滅ぼしそうなお父さんの存在などを考えると、あちらの世界に戻った方がいいと思う。
本当に苦渋の選択ではあるけどね。
「……私がいたら、足手纏い?」
「一夜を守りきれる自信がない。守れるとしたら、本当に籠の鳥にするくらいしか思いつかない」
「それでもいいと言ったら?」
「……ダメだよ。一夜にだって、大切な人はいるでしょう? お父さんやお母さん、『Vファンタジー』の人達、リスナーさん、一夜は多くの人に支えられているはずだ。こんなぽっと出の奴にかまけてそれらをないがしろにしちゃいけないよ」
どの口が言うんだって話だけどね。
私だって、本当に初めから帰るつもりであったなら、出来る限り繋がりなど作るべきではなかった。
一夜は仕方なかったにしても、ヴァーチャライバーになんかなる必要はなかったし、さっさと宝石を金に換えてそれを置いていけばいいだけの話だった。
そうしなかったのは、ひとえに私がこの世界の事を気にいっていたから。
この世界が居心地よかったからこそ、残る理由が欲しくてそんなことをしてしまった。
そしてそれは、結果的に辛い別れへと繋がってしまった。
むしろ、この程度で済んでよかったというべきかもしれないけど、結局、私のしたことは無駄だったのかもしれない。
「で、でも……」
「まだ希望がないわけじゃない。魔法陣の解読はできているんだから、後はどうにかして問題を解決できればまた来ることはできるかもしれない。そして、その問題を解決するためには、帰る必要がある」
最悪、魔法陣を描ける環境があり、座標を決める柱を用意でき、魔石を大量に用意できれば行き来は可能なのである。
まだ完全に行き来できなくなったというわけではない。
仮に、一年に一度しかこちらの世界に来れないとしても、時間の流れが違うのだ、あちらの世界で一年過ごしたとしても、こちらの世界ではせいぜい二週間弱しか経たない。だから、一夜視点ではそれなりに頻繁に会うことはできるはずだ。
「なるべく会いに来る努力はするよ。だから……」
「……ほんとに、これが最後じゃない?」
「うん。私は精霊だから、寿命は気にしなくてもいい。一夜が生きている限り、会える可能性は常に存在しているはずだよ」
「そっか……」
私の言葉に少し安心したのか、一夜はふっと腕の力を抜いた。
目の前に一夜の顔が写り込む。暗くてよく見えないが、その瞳は揺れていた。
恐らくだけど、私も同じような目をしていると思う。瞬きをすると、何かが流れていくような感覚がするから。
「それじゃあ、約束」
「うん」
「私が生きている間に絶対にまた会いに来て。そして、一緒に配信しよ」
「もちろん」
「指切りね」
「わかったよ」
ベッドの中で、お互いの小指を絡ませ、約束の言葉を口にする。
なんとしても、あの魔法陣を物にしないといけないね。
しばらくの間ぽつぽつと会話を続けていたが、気が付いた時にはお互いに眠りに落ちていた。
感想、誤字報告ありがとうございます。




