第六百五十二話:お別れの準備
「……少し、時間をください。やり残したことを片付けなければならないので」
しばらくの沈黙の後、ようやく振り絞って出せた言葉はそれだった。
私はすでに異世界の住人、元の世界に戻って生活するなどおかしいのだ。
私のいるべき場所はあちらであってこちらではない。だから、帰ることを否定することはできない。
だけど、せめてこの数日間で仲良くなった人達に挨拶くらいしても罰は当たらないだろう。
「まあ、ここは言うなれば故郷のようなものだからな。そこの妹とやらにも別れを告げる時間は必要だろう。こちらも魔法陣を作るには少し時間がかかる。明日の朝までは待とう。それまでに、やり残しを片付けるといい」
「……ウィーネさんは、未練とかないんですか?」
「私が最も敬愛するローリス様があちらの世界にいるのだ。今更こちらの世界に未練などない」
僅かな希望に縋ってウィーネさんにそう問いただしてみたが、すがすがしいまでに即答だった。
まあ、この人は元からローリスさんの付き人だったらしいし、ローリスさんを守ることを生きがいとしていたようだから、ローリスさんがいなければもはや未練はないんだろう。
私とは、全然違うな……。
「……わかりました」
「では、私は魔法陣を刻む場所を探してくる。流石にそこらへんの道に描くわけにもいかんからな」
そう言って、ウィーネさんは去っていった。
後に残されたのは私と、ずっと黙り込んでいる一夜のみ。
しばらく沈黙が流れる。
唐突に訪れた別れの時。コラボ配信なんかをして、これから思い出を作っていこうという時にこれだ。
正直、受け止めるには衝撃が大きすぎた。
「……迎え、きちゃったみたいだね」
「……うん」
「まあ、いつかこうなるとは思ってたけどね。こんなに早いとは思ってなかったけど」
「一夜……」
一夜は努めて平静を保とうとしているようだが、その目じりには涙が溜まっている。
もしかしたら、私も同じような表情をしているのかもしれない。
だって、さっきから目の前がぼやけてよく見えないんだもの。
「ねぇ、また帰ってこられると思う?」
「……わからない。解析に成功したって言うならもしかしたらこれるかもしれないけど、帰りの事を考えると、そう気軽には来られなくなると思う」
ウィーネさんが言う限り、恐らくあの魔法陣の解析はきちんとできたんだろう。
魔法陣を複製してこちらで発動させることができる以上、魔力さえどうにかできれば何とかなるはずである。
ただ、その魔力源、今回は魔石のようだが、いったいどれほどの数が必要になるのか想像がつかない。
これが例えば、魔石数十個程度で済むのなら、それなりの頻度で来ることはできると思う。
高ランクの魔石が必要だとしても、竜の谷近くに行けばそういう魔物はいくらでもいるだろうし。
だけど、私の現在の魔力でも出来なかった転移である。並の量でないことは確かだろう。
数千個とか数万個単位だとすると、集めるだけでも一苦労だ。
それに時間の流れが違う以上、こちらの世界に長く滞在するのは難しい。
なにせ、こちらに一日滞在するだけであちらの世界では一か月近く経過してしまうのだ。
あちらの世界に残した者達をないがしろにするわけにもいかないし、来れたとしてもそう長居はできない。
せいぜい、一日か二日くらいが限界だろう。
そう考えると、魔石の量の割に合わない。魔力溜まりができる限り、魔物が無限に出てくるとは言っても、限度はある。
私の個人的な理由だけのために、そんなことできようはずもなかった。
「……そっか。そうだよね」
もう二度とこの世界には帰ってこられない。そう考えた方がいいだろう。
二度と会えなくなると考えると、急にこの世界が恋しくなってきた。
この短期間でも大事になった人はたくさんいる。
一夜もそうだし、両親だってそう、それに三期生のみんなや有野さん、リスナーのみんなも大事な人だ。
その人達と別れる。それはとても辛いことだと思う。
でもやらなくちゃいけない。私は、帰らなければならないのだ。
「……お別れを、しないとね」
とにかく、時間はもう残り少ない。私は早速行動に移ることにした。
まずは『Vファンタジー』の本社である。
電車でたった二駅と近い立地ではあるが、今はその時間すら惜しい。
だから、私は転移魔法を使うことにした。
もう帰るのだから、魔力の量を気にする必要はない。あちらの世界で一日寝れば、魔力はすぐに回復する。
「あら、ハクちゃん、いらっしゃい。どうしたの? 急に」
「お別れを言いに来ました」
「は?」
受付に話を通してもらい、マネージャーである有野さんを出してもらう。
三期生のマネージャーがまだ決まっていないからと、二期生と兼任でマネージャーをやってくれた地味に凄い人が有野さんだ。
私は突然帰ることになったことを告げる。
まあ、そのまま言っても伝わらないだろうから、親の都合で外国に行くことになったという体で告げることになった。
「突然の事で申し訳ありません。でも、これはもう決定事項なんです」
「そ、そうなの……それは残念だけど、でも配信は続けられるわよね? 機器はこちらで用意するけど」
「いえ、それも無理なんです。ごめんなさい……」
本来であれば、国が変わろうと配信をすることはできるだろう。
通信環境を整える必要はあるだろうが、大抵の場所では出来るはずだ。
でも、今回行くのは異世界である。当然、電波が届こうはずもなく、配信は不可能である。
せっかく一夜のコネで入れてもらったようなものなのに、こんなにも早くやめることになってしまって申し訳ない。
「こちらはせめてもの気持ちです。受け取ってください」
「これは……」
そう言って手渡したのは宝石のアクセサリーだった。
以前、暇つぶしにと作ったアクセサリーの余りだが、私に出せるものと言ったらこれくらいしかない。
一夜にだったら魔石とかのファンタジー素材渡してもいいが、流石に私の異世界から来たという情報をキャラの設定だと考えている人にそんなものは渡せない。
だったら宝石をとも思ったが、宝石を直接渡されても困るだけだろう。金貨を溶かして金のインゴットにするというのも手だが、それも同じことである。
だから、せめてもの気持ちという形で渡せる、アクセサリーを選んだのだ。
私が稼ぐはずだったもの、と言ったらおかしいかもしれないが、これで少しでも補填できればと思う。
「そんな、こんなのいただけないわ」
「いいえ、貰ってください。それくらいしか、私が残せるものはないんです」
「うーん……まあ、そこまで言うのなら」
不思議そうに首を傾げながらも受け取ってくれた有野さん。
こんな身勝手な私を許してほしい。
「……聞きたいことがあります。アケミさん達が通う学校はどこですか?」
「え? うーん、個人情報だし、本人が許可を出してくれないと困るけど……」
「今聞いてみます……教えてくれましたね。よかった」
「まあ、本人が言うならいいかしらね」
次はアケミさん達だ。
有野さんはそこまで会っていたわけではないけど、それでも少し名残惜しい。
私は一礼して、アケミさん達が通う高校へと向かった。
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