幕間:魔法の伝授
冒険者サクの視点です。
えいえいと可愛らしい、しかし本人にとっては真剣な声が響く。
目の前で素振りを繰り返す弟の姿を微笑ましく思いつつ、その努力には伸び代がありそうだと希望を持つ。
ここは寂れた道場の庭。かつては王都でも有名な道場として栄えていたが、今ではその栄華は一欠けらもない。
道場を継ぐという選択はできず、冒険者という道を選んだことで中々ゆっくりできる機会もなく、手入れをする暇がないために庭は草が生え放題。広い道場にも埃が溜まってしまっているという悲しい状況だ。
出来ることなら父の技を受け継ぎ、それを広めたいとも思っている。しかし、それを教えるのが俺では少々力不足ではないかと思ってしまう。
元々誰かに何かを教えるなんて出来るような柄じゃない。こうして弟に剣を教えているのはどうしても教わりたいと懇願されたからだ。
偉そうに伸び代はあると思ってはいるが、どうすればその才能を開花させることが出来るのかまではわからない。出来ることといえば、ひたすら練習に励むよう促し、基礎を身に着けさせることくらいだ。
父の姿を思い出す。とても優しい父親だった。
誰にでも優しく、怒った姿など見たことがない。好々爺然としていたが、剣の腕は一流で、勝てたことは一度もなかった。
その最期は病によるものでとてもあっけないものだった。道場の生徒達もまさかこんなに早く亡くなるなんてと嘆いていた。それは俺も同じだ。
どうしようもなかったと言えばそうなんだろう。でも、そのショックは大きかった。
今でこそ立ち直ることが出来たが、気づけば道場は潰れ、剣の道に進んだ俺には冒険者として働くという選択しか残っていなかった。
父が死んだ今、弟のルアを助けられるのは俺しかいない。それだけが、己を奮い立たせた。
「よし、そこまで。今日はこのくらいにしておこう」
「うんっ」
頃合いを見て、練習をやめる。
この程度のことしかできないけど、ルアはとてもまっすぐな子だ。地道に積み重ねていけば、もしかしたら大成するかもしれない。
汗をぬぐうルアにタオルを渡しながら日も暮れかかった空を見上げる。
そして、先日言われたことを思い出した。
『ねぇ、もしその気があるなら道場を復活させてみない?』
ミーシャという冒険者に言われたことだった。
彼女は闘技大会で優勝するほどの実力の持ち主で、先のオーガ騒動でも活躍した人物の一人。
その時は俺も現場にいたけど、確かにその動きは素晴らしかった。
素早い身のこなしで相手を翻弄し、圧倒的体格差があるオーガ相手にも決して怯まず、的確に急所を突いていく様はとても真似できるものではない。
そんな彼女が道場を復活させてみないかと持ち掛けてきた。
話を聞けば、彼女は以前この道場の生徒だったらしい。その縁で、俺に継ぐ気があるならぜひ道場を復活させたいとのことだった。
それはとても魅力的な誘いだった。父が愛したこの道場を復活させることが出来るならばそれは願ってもないことだった。
今さら道場を復活させたところで人が来るのかとか、そもそも教えられるのかっていう不安はあるけど。でも、ミーシャさんは当てでもあるのか任せておけと言っていた。
あれから数日、まだ音沙汰はないけど、とりあえずできることくらいはしておこうと思う。
夕食と風呂の準備を済ませると、道場の掃除を始める。
流石に一日二日では終わらないけど、もし人が来た時のため少しずつ進めることにしたのだ。
三年間放置された道場には埃が溜まりに溜まり、掃いても掃いても埃が立つ。物も多く、刃を潰した模擬剣はかなりの数になる。
それだけ人がいたという証であるが、整備していないために何本かは錆付いてしまって使い物にならなそうだった。
使えそうにないものはとりあえずまとめておく。捨てるにしても、これだけ多いと運ぶのも大変だ。
ルアが手伝ってくれていることもあり、掃除は順調に進んでいる。この調子であれば、あと数日もすれば庭に手を付けられるだろう。
幸い、オーガ騒動の影響で現在の依頼は壁の修復や王都周辺の偵察が多く、そこまで家を空けなくて済んでいる。時間ができるのはいいことだ。
適当なところで切り上げ、眠りに就く。久々に家にいる時間が多い一日はあっという間に過ぎていった。
翌日、今日はそろそろあの人が訪ねてくる頃だろう。いつものように朝食を食べ、ルアの練習を始めながらさりげなく通りに目を向けて置く。
しばらく待っていれば、予想通りその人はやってきた。
紺色の旅服を身に纏い、肩にかかるくらいの銀髪を靡かせた小さな女の子。俺とルアの命の恩人であり、先のオーガ騒動では一瞬にしてオーガ達を屠った英雄でもある。
「ハクさん、こんにちは」
「こんにちは」
「いらっしゃい!」
もう何度も繰り返された挨拶をかわすと、ルアが嬉しそうに近づいてくる。
最初は怒っているのかとも思った無表情ではあるが、特に気分を害した様子もなく、気兼ねなくルアと接していることに安堵する。
見た目こそルアよりも年下の女の子ではあるが、その実力は本物だ。
闘技大会では姉であるサフィを倒して見事準優勝をさらったし、先のオーガ騒動では間違いなく彼女が一番の功労者となるだろう。
魔術師が扱う魔法は魔力によって威力が決定されるため見た目の強さにはあまり左右されないとは言ってもやはり子供。その量には限界がある。
しかし、素人目から見てもハクは常軌を逸していた。
Aランク冒険者であるサフィさんの妹とはいえ、あれだけの力を手に入れるのにいったいこれまでどのような修行をしてきたのだろう。
興味は尽きない。だから、こうしてルアのことを気に入り、ここに通ってくれることは俺にとってもよかった。
ハクさんは来る度にルアに魔法を教えている。
その魔法は独特で、詠唱句を用いないものだ。
通常、魔法を発動させるためにはそれぞれの魔法に対応した詠唱句が必要となるはずなのだ。
ところが、ハクさんはそれを一切使わない。無詠唱でも出来ないことはないらしいけど、精度は落ちる。でも、ハクさんの魔法はとても正確だし、威力も速度も並じゃない。
詠唱句を使わずにどうやってと思っていたら、地面に幾何学的な模様を描き始めた。ハクさんはそれを魔法陣と呼んだ。
魔法陣とは魔法を使う際、起点となる場所に発生するもののことを指す。俺も以前に何度か魔法を見たことがあるけど、確かにそんなものがあったような気がする。
ハクさんはその魔法陣を描き、ルアに覚えろと言ってきた。
難解な文字や模様が並ぶ魔法陣を覚えるのは結構難易度が高い。ルアはうんうん唸りながらもなんとか覚えていっているようだったが、俺にはさっぱりわからない。
ハクさんの話では、この魔法陣を即座にイメージすることで無詠唱による魔法を実現しているのだという。
……それってつまり、この魔法陣を全部暗記してるってことだよな?
ハクさんがルアに教えているのは基礎中の基礎であるボール系の魔法だ。当然、簡単な呪文だけあって魔法陣も簡単になってくる。しかし、俺にとってはその簡単な魔法陣すら到底覚えられる気がしない。
一つくらいなら頑張れば覚えられるかもしれないが、これをいくつも覚えるなんて不可能だ。
一体どんな記憶力をしているんだろうか。何か空恐ろしいものを感じた。
「その調子です。ルア君は筋がいいですね」
「えへへ、ありがとう」
見た目には仲のいい兄妹が切磋琢磨しているようにも見える。だが、俺はそれについていけそうになかった。
見た目にそぐわず、呪いにも屈せずに俺達を助けてくれた勇敢さ、並み居る強敵を倒せるだけの実力。
そんな人物が俺達に良くしてくれているという事実に安堵すると共に、その実力を真に理解する日は来るのだろうかと若干頭を悩ませた。