第五百六十話:心配事
それからは本当に研究漬けの日々となった。
いつもだったら、少なくとも門限までには寮に戻っていたが、今は顧問であるルシウス先生に話を通し、旧校舎の鍵が閉められる夜まで研究室で研究させてもらっている。
ミスティアさんにいたっては出席日数が足りていることを利用していくつかの授業を休み、その分を研究に充てているくらいだ。
そのおかげもあって、検証は結構進んできた。この調子で行けば、予定通りに完成もできるかもしれない。
しかし、夜遅くまで研究している分、睡眠時間は削られていくわけで、最近のミスティアさんはとても辛そうだ。
倒れなきゃいいんだけど……。
「そういうことになっているわけですが、どう思いますか?」
休みの日の勉強会。私やサリア、エルは参加しているが、ミスティアさんは発表会が終わるまでは参加しないということになった。
まあ、本来であれば私達も研究に参加すべきなのかもしれないけど、研究のし過ぎで疲れを溜めてミスをしてはいけないし、たまの休息くらいは必要だと思っているからあえて参加はしてないわけだが、ミスティアさんは頑として譲らなかった。
ヴィクトール先輩からも休みの日はきっちり休むようにと言われているはずなんだけどね。何としても完成させるんだと聞かないらしい。
まあ、ヴィクトール先輩を焚きつけたのはミスティアさんだし、時間がぎりぎりになったのも素材を集めるのにてこずったというのがあると思っているようだから責任を感じているのかもしれないけど、心配でならない。
「確かに心配ではありますけど、ミスティアさんがそうおっしゃってるならやらせてあげるべきではないかしら?」
「私達の研究室でも発表会の直前は徹夜で研究なさる方もいますし、その熱意は認めてあげるべきではなくて?」
シルヴィアさんとアーシェさんはミスティアさんの考えに賛成のようだ。
まあ確かに、発表会までもう間がなく、寝る間も惜しんで研究しなくては間に合わないという状況。発表会を何としても成功に導きたいというのなら、多少の無茶はわかる。
私としても、ヴィクトール先輩の夢を知ったし、ミスティアさんの気持ちも理解しているつもりなのでその気持ちは尊重したいけど、何事にも限度と言うものがある。
私のように多少寝なくても活動に支障がない不思議ボディならともかく、ただの人間であるミスティアさんが一か月近くもの間そんな生活を続けるとなると絶対にどこかで限界が来る。
それが発表会の後なのか前なのかはわからない。けれど、たとえ後だったとしても力尽きるまで戦うのは死と隣り合わせの時くらいでいいと思う。
「魔法薬がどういうものかは詳しく知らないけど、それって失敗したらやばいんじゃないの? 薬品の中には危険な奴もあると聞くけれど」
「ありますよ。マンイーターの溶解液とかはちょっと肌に触れるだけでも爛れてしまうと聞いたことがあります」
「やっぱりやばいじゃない。大きなミスをする前に止めるべきじゃないの?」
カムイとキーリエさんは反対派の様子。
人間誰しも寝不足になれば判断力が落ちる。判断力が落ちれば普段ありえないようなミスもしてしまう可能性があり、思わぬ事故に繋がる可能性がある。
特に、魔法を加える際に繊細な調整が必要となる魔法薬は危険が付きまとうだろう。魔法が暴発して薬品の瓶を壊してしまうことがあれば、下手をしたら毒ガスを生成することだってあるかもしれない。
もちろん、そういう薬品は素材とは別の鍵付きの棚にしまってあるものだけど、それらを使っての実験をしていた時にそれが起こったらまさに最悪の事態だ。
何か起こる前に止めるべき、と言う気持ちは私にもわかる。
「もし仮に実験中に事故が起きたら、その場合はどうなるんですか?」
「その場合は顧問の先生が責任を取ることになる。ただ、時間外活動などあまりにも学生の行動がおかしな場合は学生の方も罰せられることになるな」
私の質問に王子が答えてくれる。
この場合、顧問はルシウス先生だ。今回はルシウス先生が直々に夜までの活動を許可してくれたので、もしここで事件が起ころうものなら確実にルシウス先生は罰せられることになる。
まあ、発表会前に遅くまで研究することはどの研究室にもある様なので珍しいことではないが、ミスティアさんの場合その時間を超えても研究しようとするし、何なら授業を抜けたり休みの日ですら研究している。
これだとミスティアさんの行動を止められなかったルシウス先生が監督不行き届きで罰せられる上に、ミスティアさんも罰を受けることになるだろう。
罰と言うのがどの程度のものかはわからないが、恐らくは謹慎か、あるいは降格かと言ったところだと思う。
一緒に昇格しようねと言ったのに降格なんて嫌だし、謹慎も似たようなものだ。
そう考えると、やっぱり止めた方が身のためなんだろうか。
「私に何ができるでしょうか……」
「出来るとしたら、少しでもミスティアさんの負担を減らすために一緒に頑張る、くらいでしょうか?」
「無理矢理休ませようとしても納得しないでしょうし、ミスが起きた時にすぐさま対処できるように気を付けておくとか」
まあ、そのくらいだよねぇ……。
ミスティアさんの行動は別に間違っちゃいないのだ。いくら夜遅くまで研究したところで、合う素材が見つからなければ意味がないし、その可能性を上げるためにも研究の時間を増やすのは何も間違ったことじゃない。
普段通りに研究をしていたら間に合わないかもしれないと考えれば、無茶をしたくなる気持ちもわかる。
私もミスティアさんの考えに賛同した手前、止めにくい。だったら、せめて事故が起きないように見張っておくくらいしか対処法はないだろう。
「あの、そのミスティアさんと言う方は寝不足で倒れそうってことですか?」
頭を抱えていると、ユーリが口を挟んできた。
「そういうことになりますねぇ」
「だったら、私ならなんとかできると思いますよ?」
「「「え?」」」
ユーリの言葉に私やサリア、エル以外の人達が頭にはてなマークを浮かべる。
うん、まあ、考えなかったわけじゃない。ユーリの能力を使えば解決するだろうことくらい私も気づいていた。
だけど、そんなふうにユーリを使っていいのかと思っていたのだ。
ユーリの能力は対象の怪我や病気を自分に移し替える能力。その範囲はかなり広く、その人の悩みの種ですら引き受けることができる。
寝不足による疲労感くらい余裕で引き受けることができるだろう。そして、私が頼めばユーリは喜んでやってくれるはずだ。
しかし、それはユーリを道具のように使うことにならないだろうか?
ミスティアさんの代わりにユーリが疲労を受け入れる、発表会までの間それを繰り返せばミスティアさんは疲れ知らずで行動することができるだろう。
だが、それは同時にユーリに要らぬ疲労を与えることになることでもある。
そんな、外付けバッテリーみたいな真似をさせてもいいものかと不安に思っていたのだ。
「ユーリ、それは……」
「ハク、そんなに遠慮しなくていいんですよ? 私はハクの役に立るのならどんなものでも引き受けてみせます。大丈夫、ただの寝不足くらい私にとってはいつもの事だから、心配することないよ」
ユーリの笑顔が眩しい。
まあ、ユーリはこういう子だよね……。
自分のことは顧みず、助けられるのなら犠牲を厭わない精神性。身内以外は割とどうでもいいと思っている私とは大違いだ。
「……ほんとに大丈夫?」
「うん。ハクだってわかってるでしょう?」
うん、わかってる。ユーリはそれで怒ったりしないし、気にもしない。
発表会までの間だけ、ミスティアさんの事故を減らすために力を借りる。そう思えばいいだろう。
私はふっと息をつき、ユーリの肩に手を置いた。
「なら、お願い。ミスティアさんに力を貸してあげて」
「任せて!」
誰かのために誰かを犠牲にするという構図は気に入らないけど、今回は犠牲とまではいかない。ただ、ちょっと疲労感を別の場所に飛ばすだけだ。
私はそう自分を納得させ、ユーリの力を借りることにした。
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