第五百四十二話:ちょっとした事故
勉強会と言うと、テストでやばい点を取りそうだから慌ててやる、みたいなイメージがあるけど、ここにいるメンバーは特に成績が悪いというわけではない。
シルヴィアさんとアーシェさんは若干計算が苦手とはいえその他は平均以上だし、ミスティアさんは涼しい顔で淡々と良い点を出しているみたいだし、サリアはシルヴィアさん達に合わせて手を抜けるくらいには成績がいいし、エルにいたっては竜としての知識の積み重ねのおかげか座学も魔法も一流レベルだ。
キーリエさんとカムイは平均的ではあるけどそれでも赤点と言うわけではないし、真面目に授業を受けていれば運が良ければ昇格も普通にあり得るレベルである。
私は授業で先生が言ったことはほとんどノートに写しているし、内容も記憶しているから特に暗記系は成績がいい。
唯一王子に関してはよく知らないけど、一年からAクラスを維持できるくらいなのだから成績はいいだろう。一年の頃から魔法も初級魔法とは言え完璧に使えていたし、かなり早熟なのだと思う。
そういうわけで、この勉強会は前期を丸々すっぽかしたカムイのために念のためやっているという程度のものでしかない。
だからなのか、場の空気は非常に緩く、時折雑談を交えながら順調に進んでいった。
「カムイさんって、結構極端ですわよね」
「確かに。火魔法は芸術の域ですし、計算ももの凄く速いですけど、歴史や外国語に関しては苦戦していますよね」
カムイの勉強ぶりを見ていたシルヴィアさんとアーシェさんがそう呟く。
まあ、そりゃそうだろう。
カムイは全身を炎に変化させ、自在に操ることができるという能力を持っているので、火魔法に関してだけ言えばまさに自由自在だ。ついでに言えば、この世界の計算のレベルなんてせいぜい前世で言うところの小学校高学年程度のものなので、転生者で前世の義務教育を受けていたであろうカムイには簡単すぎる。
逆に、この世界の歴史や特有の言葉については初めて聞くものばかりだと思うのでそこまでではない。
これは大抵の転生者に当てはまるんじゃないかな? 私は記憶力があるから何とかなってるけど、そうでなかったら歴史の暗記系は厳しかっただろう。
「まあ、向き不向きと言うものがありますから。私には魔法と計算が合ってるんでしょうね」
「でも、それなら商業を取ればよかったのでは? 将来商人の道も選べるようになりますけど」
「いや、商人はちょっと。私は自由気ままに生きていたいので」
カムイはどちらかと言うと好きなことにとことん突っ走っていくタイプだ。
計算ができるイコール商売ができるとも限らないし、商人になるとしたらどこかの商会の見習いから始めることになるだろう。
それが好きなことならともかく、カムイは動き回っている方が性に合っていると思うので多分冒険者とかの方が大成すると思う。
まあ、そもそもの話聖教勇者連盟に所属しているから将来の就職先に悩む必要はないかもしれないけどね。
「私達は計算が苦手なのでその才能は羨ましいですわ」
「計算なんてやり方を覚えれば誰にでも出来ますよ。よければ教えましょうか?」
「いいんですの? それじゃあ、お願いしようかしら」
「任せておいてください」
この勉強会はカムイのためのものだが、褒められたおかげか逆に教えようとしているカムイ。
気持ちはわからないでもないけど、カムイの場合は教えるには致命的な欠陥がある。
それは、カムイがドジっ子だということだ。
「カムイ、教えるのはいいけどその計算間違ってるよ」
「うぇ!? あ、ほんとだ、直さないと……」
「あ、そんなに急いで手を振り回したら……」
前世であれば、間違った箇所は消しゴムで消せばいいだけの話だが、この世界に消しゴムと言うものはない。そもそも、書くものも鉛筆ではなく羽ペンだしね。
羽ペンはインクを付けて書くため、近くにはインク壺が置かれている。しかし、慌てて手を動かした結果、その手がインク壺に当たり、盛大に中身をぶちまけることになった。
「あー!」
「ぎゃー! 私のネタ帳がー!?」
「服がー、真っ黒だねー」
インク壺の側に座っていたキーリエさんとミスティアさんが被害に遭う。
特に、キーリエさんは勉強の片手間に記事にするネタを確認していたのか、そのネタ帳を広げていたため被害が大きかった。
インクって結構高いんだけどねぇ、これはもう使い物にならないな。
「え、あ、ご、ごめ……!」
「言わんこっちゃない。ほら、ノートと教科書を避難させて、綺麗にするから」
慌てるカムイを宥めて私は魔法で二人にかかったインクの汚れを洗浄していく。
ただ、服やテーブルはこれで何とかなっても、真っ黒になってしまったネタ帳だけはどうしようもない。
この魔法は水魔法だからね、水に弱い紙なんかに使ったら紙がボロボロになってしまうし、出来たとしても多分書いてある文字まで汚れ扱いで消えちゃうと思う。
キーリエさんには悪いけど、諦めてもらうしかないね。
「これでひとまず大丈夫かな。ネタ帳は……残念だけど諦めてください」
「あぁ、私の汗と涙の結晶が……」
がっくりと項垂れるキーリエさん。
一応記者を名乗っているし、ネタ帳は命と同じくらい大切だよねぇ……。
ちょっとした事故とはいえ、これにはカムイも顔を真っ青にして謝り倒している。
キーリエさんは気にしないでと言っているけど、その絶望しきった表情で気にしないでなんて言われても無理がある。
さて、どうしたものかな。
「べ、弁償……は無理かもしれないけど、私にできることなら何でもするから、どうか許してください!」
「……ん? 今何でもするって?」
ゆらりとキーリエさんが顔を上げる。
その表情は獲物を見つけた時の獣のようだった。
カムイはその表情にひっ、と小さく悲鳴を上げるが、二言はないと頷く。
「それじゃあ、カムイさんには私の助手になってもらいます。スクープのために協力してくださいね?」
「そ、そんなことでいいの?」
「私にとっては記事のネタは命と同じくらい大切なんですよ! ここで失った分、でっかいネタを仕入れて私に献上してください!」
「わ、わかったわ。やるから許して……」
キーリエさんに気おされてカムイが頷く。
と言うか、カムイの口調が崩れてるね。私以外に対してはいつも敬語なのに。
まあ、それはそれとして、キーリエさん的に罰も下ったようなのでこれで良しとしよう。
念のため、他にインクが飛び散ったところがないかをざっと調べて、見つけたところは洗浄魔法で綺麗にしておく。
ここは来客用の大部屋だからね。綺麗にしておかないと面倒くさい。
「アクシデントはあったけど、勉強を再開しようか。それと、カムイは周りに気を付けるようにね」
「善処するわ……」
すっかり落ち込んでしまったカムイを宥め、勉強を再開する。
流石にキーリエさんも今すぐネタを集めてこいとか鬼のようなことは言わない。だが、しばらくの間は連れまわされることになるだろうな。南無南無。
「みんなお疲れ様。お茶とお菓子を用意したからみんなで食べてね」
と、そこにお盆を持ったお姉ちゃんが入ってくる。
私が友達を連れてくるということを聞いて、だいぶ張り切っていたようだけど、あのお菓子は多分手作りっぽいな。
お姉ちゃんの手作りとは運がいい。私も友達を連れてきた甲斐があると言うものだ。
ちょうどいいということもあって、しばらく休憩することになった。
まあ、詰め込みすぎてもしょうがないし、適度な休息は必要だろう。
お姉ちゃんお手製のお菓子に舌鼓を打ちつつ、だらりと椅子に背を預けた。
感想、誤字報告ありがとうございます。




