第四百三十二話:前世の最期
思い返してみるが、私はユーリさんに対して自分が春野白夜だと名乗った覚えはない。
記憶の事を聞く際に春野白夜と言う名前については聞いたが、それが自分であることは話していないはずだ。
それなのに、どうしてユーリさんは私を白夜だと認識しているんだろうか。それがよくわからない。
「えっと、なぜ私が白夜だと知っているんですか?」
「そう言うってことは、やっぱり白夜さんなんですね」
そう言うと、ユーリさんはくすりと楽しげに笑った。
「私も、最初はなぜそう思ったのかわからなかったんです。でも、聞けば聞くほど、あなたが白夜さんなんだと確信していきました」
「ええと……どこかで会いましたか?」
今考えてみてもやはり思い至る部分はない。
今世では竜人とは竜の谷で会うくらいだったし、もちろんその中にユーリさんの姿はなかった。ユーリさんと会ったのはお父さんに相談を持ち掛けられて会いに行ったあの時が最初であり、それ以前は名前こそ聞いたが会ったことは一度もない。
前世に至っても、須藤結理なんて名前に心当たりはないし、仕事の同僚、学生時代のクラスメイトなどを思い出そうとしても思い当たる人物はいなかった。
私が頭の中ではてなを思い浮かべていると、ユーリさんは手招きをしてきた。わけもわからぬまま近づくと、尻尾を抱いていた手で私の手を握り締めてきた。
「白夜さんは覚えていないでしょうけど、私は知っています。あの後、白夜さんのことについて色々調べましたから」
「え、え……?」
「白夜さん、あの時は私が車に轢かれそうになっているところを助けていただきありがとうございました」
車に轢かれそうになっているところを助けた?
私は記憶の引き出しをひっくり返す勢いで過去を手繰る。
車に轢かれそうになった、なんてこと日常生活ではあまりない。あるとしても、ほんの不注意からくるもので大抵の場合はちょっとひやりとするくらいで済むだろう。
でも、私は記憶の中で車に轢かれたことがある。それは前世での最後の記憶。その事故によって私は前世での幕を下ろし、この世界にやってきた。
次第に記憶がはっきりしていく。そうだ、私はただ車に轢かれたんじゃない。その時、確か女性を庇って轢かれたんだ。
薄れゆく意識の中、私に縋りついてくる女性の顔を覚えている。その顔はどこか日本人らしくなく、でも限りなく流暢な日本語を操っていた。
その顔はまさしく、今目の前にいるユーリさんの顔そのものだった。
「あ、あの時の……?」
「はい、あの時助けていただいた須藤結理です。またお会いできて嬉しいです、白夜さん」
私は何でもかんでも救いの手を差し伸べるような聖人君子ではなかった。それでも、一般的にお人好しだと言われるくらいには甘い性格をしていた。
だからと言って自分が身代わりになってまで女性を救えたかと言われると微妙なところだが、実際に助けられた人がこう言っている以上私はそれをやってのけたのだろう。
一時の気の迷いと言う奴だろうか。確かにあの時は仕事もクビになり、当てもなく彷徨っていた時だったと思う。それで自棄になっていたのかもしれない。
でも、こうして助けられたんだと思うと悪い気はしない。問題があるとすれば、この世界に来ている以上は前世で結局死んでしまったということだけどね。
やはりユルグは殺しておいて正解だったかもしれない。せっかく助けたのにその後殺されてしまったのでは何の意味もない。
「それにしても、すっかり可愛らしくなられましたね。あの時は大人の男性だったのに」
「いや、まあ、これには色々と事情がありまして……」
ユーリさんも前世と違って今や10歳前後に見える少女の姿だが、私はそれをさらに下回る幼女姿だ。
種族柄成長の差があるというのはわかるけど、私の場合はこの姿のまま成長することはないから助けたはずの年下女性に今後もどんどん差を付けられることになる。
そう考えると少し微妙な気分になるが、これはもう精霊として生まれてしまった以上仕方のないことだ。その気になれば多少形は弄れるのだし、それで満足するしかない。
「でも、そんな姿も素敵です。どんな姿でも私は受け入れる準備がありますよ」
「はぁ、それはどうも……」
救いなのはユーリさんも竜人なので成長が遅いというところだろうか。
成人は人間と同じく15歳ではあるが、見た目的に15歳になるにはかなりの時間がかかる。しばらくの間は少女姿のままだろう。
いや、別に差が開いたところで何の問題もないんだけどね? 私が成長しない以上、周りにどんどん差を付けられるのはもう避けられないことだし、慣れておかないといけない気がする。
身長とか飾りだよ、うん。
「白夜さん、私、ずっと白夜さんの事を探していたんです。この世界なら、もしかしたら会えるかもしれないと思って」
「それじゃあ、この大陸を転々としてたって言うのは……」
「はい、白夜さんを探していたんですよ」
つまり、ユーリさんの探し人は私だったというわけだ。
なんというか、よく探す気になったなと思う。
恐らく、ユーリさんが前世と同じ顔なのは、私に見つけてもらうためにあえてそうしたのだろう。ただ、この世界だとそこまで珍しい顔と言うわけでもなかったので紛れてしまったわけだ。
まあ、それ以前に私は自分の死因についてよく覚えていなかったからユーリさんの顔を見たところで何も感じなかったんだけどね。
実際、ユーリさんにそっくりなアリシアの顔を見ても何も感じなかったわけだし。
でも、今回のことがきっかけでユーリさんの方が私の事に気が付いた。こんな姿も性別も何一つ前世と一致するものがないのによく気が付いたものだ。
「それにしても、よく私が白夜だと気づきましたね」
「白夜さんの事は色々調べていましたから。話しているうちに、あなたが白夜さんだと確信したんです」
「でも、喋り方くらい似たような人はたくさんいるんじゃ?」
「はい。でも、直感的に感じたんです。この人は白夜さんに違いないって」
何かしらの勘が働いたってことか。確かに、極めれば魔力の質だけで相手が誰か特定することもできるし、そう言った特殊な勘によって相手が誰かわかってもおかしくはないのかな?
なんか違う気もするけど……。
「それで、その……白夜さんに会ったら言おうと思っていたことがあるんです」
「なんでしょう?」
ユーリさんはこの世界でずっと私の事を探していたらしい。
それは事故から救ってくれたお礼を言うためと言うことかと思ったんだけど、それはさっき聞いた。
では、他に何か言うことがあるんだろうか? その後死んでしまったことの謝罪とか? あるいはユルグのような奴がいることの報告とかだろうか。
そのためだけにいるかもわからない人を探すのは無理があると思うけど……。
なんだろうとユーリさんの目を見て待っていると、ユーリさんは少し顔を赤くして視線を逸らす。しかし、それでも勇気を出してその一言を口にした。
「白夜さん、あなたの事が好きです! 付き合ってください!」
「えっ……」
ユーリさんの口から放たれたのは、予想だにしない斜め上の言葉だった。
感想、誤字報告ありがとうございます。