第四百二十九話:竜の涙
「え、エル、どうしよう! 私じゃ治せないよ!」
「落ち着いてください。リヒトならまだ治せます」
慌てる私をよそにエルは冷静に状況を分析する。
確かに、光魔法の最高位であるリヒトさんなら全快とまではいかなくても命を取り留めることくらいはできるだろう。しかし、リヒトさんがいるのは竜の谷だ。ここから竜の翼でも10日ちょっとかかる。
流石に持って数分の患者を連れて向かうには無謀が過ぎる。その方法は使えない。
なら転移魔法で向かうという手もあるが、他者を転移させるには繊細な魔力制御が必要となる。健康な状態でも危険なのに、こんな重症な状態でやるにはリスクが高すぎる。下手をすれば、転移をした瞬間にバラバラになってしまうかもしれない。これもダメだ。
ではリヒトさんの方からこちらに転移してきてもらうという手もあるが、リヒトさんは元々竜の谷所属のエンシェントドラゴンだ。しかも、つい最近まで封印されていたため、最近の場所には詳しくない。この場所を知っていなければ転移できないため、この方法も無理だろう。
結局リヒトさんの下に連れていくのも連れてくるのも難しいのだ。治す手段はあるのにそれを持ってくる手段がない。八方塞がりもいいところである。
「ど、どうやってリヒトさんの下に連れていくの? 飛ぶのも転移するのも無理だよ?」
「そうですね、直接は無理でしょう。なので、ここは竜の涙に頼ろうと思います」
「竜の涙?」
聞いたことのないものだった。単純に考えれば竜が流した涙なんだろうけど、だからどうしたという話だ。
それとも、竜の涙には何か特別な作用でもあるんだろうか。確かに、この世界には世界樹の実やフェニックスの羽根など、食べたり使ったりすると生命力を高めてくれるアイテムが数多く存在する。人族の間でも、それら貴重な素材を使って、どんな怪我でも治すエリクサーと言うポーションも作られているほどだ。
もちろんこれらは貴重なのでおいそれとは入手できないが、集めればお兄ちゃんが作った輪廻転生の杯のように死者を蘇らせることすら可能である。
竜の涙もそう言ったアイテムの一つと言うことなのだろうか?
「竜の涙は人族の間での通称ですが、簡単に言うと竜の魔力と精霊の魔力を混ぜ合わせることで作り出される高純度の魔力の結晶です」
「それを使うとどうなるの?」
「提供された竜の魔力によって異なります。今回使用するのは光属性、その中でも治癒効果の高い聖属性を使ったものですね。これを使えば、少なくとも表面上の傷はある程度修復されるはずです」
つまり、完全に怪我を治すことはできないけど、少なくとも現状の数分で命尽きる状況は打破できるということか。
理屈はよくわからないけど、確かにそれがこの場にあればユーリさんをリヒトさんの下に連れていくまでのつなぎとして使えるかもしれない。
「それは今持ってるの?」
「いえ。なので今からとってきます」
「ま、間に合うの?」
「何のために転移魔法があるとお思いですか? 竜の谷であれば常に竜の涙はいくつかストックされております。取って戻ってくるだけなら数分もかかりません」
「な、なら早くやって! このままじゃ死んじゃう!」
数分もかからないとはいえ、その数分が今は惜しいのだ。
それを使ったからと言って確実に助かるというわけでもないけど、今はそれに頼らなければ助かるものも助からなくなってしまう。
私の悲痛な叫びにエルは即座に頷くと、瞬時に転移魔法でその姿を消した。
エルが戻ってくるまでの間、私はありったけの魔力を込めて治癒魔法を施す。少しでも命が繋がるように時間を稼ぐのだ。
『ハク、誰かが近づいてきてる』
「こんな時に!」
アリアの警告に思わず歯噛みする。
恐らく、先程私が暴れた影響で何事かと調べに来たのだろう。完全に自業自得だけど、今はそんな彼らが恨めしい。
とにかく、見つかるわけにはいかない。でも、ユーリさんは動かせる状況ではない。私にできることは、不可視の結界で周囲を囲うことくらいだった。
周りに散っている聖教勇者連盟の連中やユルグの残骸はどうしようもない。……そういえば、リナさんを残したままだった。
一応、結界で守ってはいたが、ユルグは結界を容易く割ることができるからユルグがその気だったならリナさんはすでに死んでいる可能性もある。
もし生きていたとしても、助けが来たのをいいことに色々べらべら喋りそうではある。意識があったなら私の竜姿もばっちり見られただろうし、この惨状は竜の仕業と言いふらされてもおかしくはない。
だが、それを訂正している暇はない。とにかく感づかれる前にこの場を去らなくては。
エルはまだかと焦りが募る。ほんの数十秒しか経っていないのに、体感的には数十分経っているようにすら感じる。
お願い、早く……!
「お待たせしました」
祈りが通じたのか、ついにエルが戻ってきた。
その手には手のひらほどの大きさの大粒の結晶が握られている。恐らく、あれが竜の涙なのだろう。
「エル、町の人達が集まってきてるの。早くしないと……!」
「わかりました。ではハクお嬢様、こちらを」
そう言って竜の涙を渡してくる。
見た目は綺麗ではあるが、ちょっと大きな魔石と言う印象を受ける。
精霊の魔力を混ぜているとはいえ、高純度の魔力の塊なのだからあながち間違ってはいないのかな?
ただ、使うと言われてもどう使えばいいかわからない。割ればいいのだろうか。
「それに魔力を込めてください。そうすれば、それに反応して内部の魔力が拡散し、効果が発揮されるはずです」
「わ、わかった」
私は慌てて魔力を込める。すると、竜の涙から眩い光が溢れ出し、私の視界を覆った。
一瞬の出来事。光で少し痛い目をぱちぱちとしながら現状を確認すると、その効果は如実に現れていた。
まず、ユーリさんの傷が少し治っている。抉れていた腹部はきちんと肉があり、触った感じでも傷のようなものは見受けられない。端から見れば、どこも怪我などしていないように見える。
しかし、それでも重症なことにはまだ変わりないようだ。未だに気絶したままだし、浅い呼吸を繰り返している。
恐らく、内部はまだ完全には治っていないのだろう。だが、表面的にでも怪我が治った影響か、すぐそこに見えていた死の影は鳴りを潜めた。
これなら恐らく数日は持つ。ただ、ここから竜の谷まで持つかと言われたらやはり微妙なところだった。
「治ってはいるみたいだけど……これじゃあまだ……」
「人間であれば今のでも十分ではありますが、やはり竜人だと足りませんか。であれば、ここはまず王都まで運ぶことを提案します」
「……その心は?」
「確かに私達では怪我人を転移させるのは不安が残りますが、王都に戻れば一人確実に転移させられる人がいるではありませんか」
「……そっか! ミホさん!」
お兄ちゃんの契約精霊であり、空間魔法のスペシャリストであるミホさん。その実力は折り紙付きで、過去にも鳥獣人達を安全に無人島まで転移させたり、非殺傷魔法の開発を手伝ってもらったりと空間魔法の事なら何でもござれの万能精霊だ。
全力で飛べば王都までは一日もかからない。回復した今、それくらいならば持つだろうし、王都まで辿り着ければミホさんが竜の谷まで転移させてくれるだろう。
ミホさんが竜の谷に行ったことがあるかは知らないが、精霊なのだからお母さんの本拠地である竜の谷を知らないってことはないと思う。思いたい。
「それじゃあ、すぐに行こう。アリア、隠密魔法は任せたよ」
『おっけー』
リナさんを放置することになるけど、それはもう仕方ない。ここで起きたことを正直に伝えるにしろ竜の仕業にするにしろ、私の存在は聖教勇者連盟に知られてしまうだろうが、それは必要経費と割り切ろう。
元々シンシアさん経由で知られていることだし、知られること自体は別に問題はないしね。ただ、容赦なくぶっ飛ばしたから対立がさらに深まりそうって言うのが心配だけど。
私は竜の姿に変身し、ユーリさんとエル、そしてアリアを背に乗せる。
この中で私が一番速いので、エルがわざわざ竜姿になる必要はない。
迫りくる足音を聞き、アリアの隠密に紛れながら、私はポッカの町を後にした。
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