第三百九十一話:竜の証明
「……その方は正真正銘ハーフニル様のご息女ですよ」
その時、不意に背後から足音が聞こえてきた。
誰、と思うことはない。私が監視をお願いしたのだから間違えようはずもない。エルだ。
〈む、貴様は誰じゃ。竜を前に臆さず出てくるとは、死にたいのか?〉
「おやおや、私の顔すら忘れちゃったんですか? なら思い出させてあげないといけませんね」
エルはそう言ってこちらに目配せしてくる。
エルのやりたいことがわかったので、私は頷いて返した。
うん、まあ、カムイさんがいるけど別にいいんじゃないかな。正体知ってるし。
そう思ったのも束の間、エルの身体が急激に膨れ上がっていく。
メタリックな質感を持つ紺碧の翼、月明かりに反射して輝く翼膜、そして、瞳孔が縦に開いた琥珀色の瞳。
それは正真正銘、エルの本来の姿であるエンシェントドラゴンだった。
〈これで思い出しましたか? リヒト〉
〈なっ!? え、エル様!? こ、これはご無礼を! どうかお許しくだされ!〉
エルの本来の姿を見た瞬間、リヒトさんはその身を縮こまらせて必死に頭を下げ始めた。
なんというか、さっきまで強キャラ感出てたのに一気に下っ端臭くなったな……。
というか、やっぱりエルが上司なのか。様付けで呼んでたし。
数が少ないエンシェントドラゴンの中でもエルは最古参らしい。お父さんの右腕でもあるのだし、当然と言えば当然だけど、竜の中ではその影響力は相当なものだ。
封印される前のリヒトさんとも交流があるようだし、エンシェントドラゴンって数えるのが馬鹿らしくなるくらい長生きだね。
〈え、エル様。ハク……いえ、ハク殿下がその、竜王陛下のご息女と言うのは本当に……?〉
〈ええ、本当ですよ。今は色々あって人間として人間の学園に通っています。私はその護衛役ですね〉
〈そ、そうでしたか。それはとんだご無礼を!〉
〈いや、まあ、別に構いませんよ。リヒトさんも封印が解けたばかりで気が動転していたでしょうし〉
今度は私に向かって平謝りしてくるので気にしてないと軽く手を振り返す。
そういえば、緊張のあまり竜語で喋っていたけど、よくよく考えたら竜は人間の言葉を理解できるんだった。うっかりしてたな。
まあ、あえて竜語で喋ったからこそ同胞と認められたのかもしれないし、結果オーライと思っておこう。
「……ねぇ、何が一体どうなったの?」
「えっと、とりあえず大人しくなったみたいです」
ずっと竜語で喋っていたもんだからカムイさんにとってはちんぷんかんぷんのようだ。
いきなり竜が現れて、私が意味不明な言葉で会話を始めて、そしたらまた竜が現れて、そしてさっきまで興奮してた竜が借りてきた猫のように大人しくなった。
これで一瞬で状況を理解出来たらその人は天才と言っていいだろう。パニックになって気絶しなかっただけでも凄いかもしれない。
〈とりあえず人の姿になりなさい。その姿ではいくら夜とはいえ目立ちすぎます〉
〈は、ははぁ、わかったのじゃ〉
そう言って、エルが人の姿へと戻る。それと同時に、リヒトさんも見る見るうちに縮んでいき、やがて人の姿になった。
身長はかなり小さい。私といい勝負じゃないだろうか。腰まで届く白い髪はキラキラと月明かりに反射して美しい。その身長にふさわしくかなりの童顔で、服装はゆったりとしたドレスのようなものを着ている。ただ、かなり露出が多く、幼い見た目に反して妖艶さを感じさせるよくわからない格好だった。
「こ、これでいいかの」
「か、可愛い……」
中身は数千年を生きたエンシェントドラゴンだとわかっているが、こんな幼女姿を見せられたらとても庇護欲を掻き立てられる。
なんだかんだ、私より幼い子って周りにいないからね、私が保護する側に回るっていうのはなかなかない。
まあ、気持ち的にはいつも私が守る側のつもりなんだけどさ。
「さあ、自己紹介してください」
「は、ははっ、わらわはリヒト・ルナレイクと申しますじゃ。ハク殿下に置かれましては、ご生誕を心より嬉しく思います。そして、先程までの無礼をどうかお許しくださいませ」
「いえ、わかってくれたならいいんです。よろしくお願いしますね、リヒトさん」
「はっ、感謝の極み」
「あ、でも、カムイさんにも謝ってくださいね。一応、リヒトさんを助けてくれたのはカムイさんなんですから」
「えっ……」
私はカムイさんを引っ張って前に立たせる。カムイさんは何が何だかわからないと言った様子だったが、これくらいはやってもらってもいいだろう。
なんだかんだで、カムイさんが封印石を見つけてこなかったらリヒトさんもこうして出てくることはできなかったわけだし、ある意味で命の恩人と言ってもいい。それを混乱していたとはいえ踏み潰したのだから、謝るべきだろう。
「そうでしたか。申し訳なかった、わらわを助けてくれたことに礼を言う」
「え、あ、いえ、こちらこそ?」
頭を下げるリヒトさんに頭を下げ返すカムイさん。
カムイさんも割と混乱してるね。後でもう一回きちんと説明した方がいいかもしれない。
さて、一段落付き、とりあえずリヒトさん暴走の危険はなくなった。
リヒトさんとしては当時の人間に恨みはあるだろうけど、エルから直々にやめろと言われたら従うほかない。こうして人姿にもなったし、下手に刺激しなければ何か起こることもないだろう。
カムイさんの方も、私を倒すという目的を思い直してくれたようだし、一件落着と言っていいかな。
肩の荷が下りた気がして、私は思わずほっと息をついた。
「さて、ひとまずあなたの処遇を決めないとね」
エルがリヒトの肩を叩きながらそう言う。
そういえば、どうなるんだろうか。
リヒトさんの本来の役割はこの地の竜脈を整備することだったわけだけど、今やこの地は放置されている。
一応、この大陸を管轄するエンシェントドラゴンはいるようだが、この土地は全くの手つかずのようだった。
世界全体から見れば、一部が滞っているよりは全体が広く循環していた方がいいし、多少の犠牲はやむを得ないとも思う。しかし、前にも言ったが他がうまく回っているからと言ってこの地を放置していいかと言われたらそういうわけでもないと思うし、よく詰まるという竜脈ならば結局専門の竜が必要になるだろう。
であれば、当初の予定通りその役目をリヒトさんに任せるかと言われたらそういうわけにもいかない気がする。
だって、リヒトさんはこの地を守りに来たのに逆に封印されて1000年以上もの間何もできなかった。竜にとって1000年はそう長い時間ではないかもしれないが、少ない時間と言うわけでもないと思う。だから、それを奪った人間に恨みはあるだろう。
それなのに、その子孫が住むこの国を庇護するような形になるのはリヒトさんが可哀そうだ。
そもそも、リヒトさんはまだこの時代のことについてあまり把握できていないだろうし、もしこの地を担当することになったとしてもリハビリは必要。
つまり、結論的には一度竜の谷に帰った方がいい。
「まあ、それが無難でしょうね。リヒト、竜の谷の帰り方はわかりますか?」
「それくらいなら心得ておりますじゃ。一度竜王陛下に報告すればよろしいか?」
「ですね。私の方からも伝えておきますから、一度報告に戻ってくださいな」
「了解ですじゃ!」
そう言って、リヒトさんは再び竜の姿になる。そして、緩やかに羽ばたくと、瞬く間に空へと昇って行った。
〈では、わらわは戻ります。ハク殿下、エル様、そしてカムイ、長き封印から解放してくれてありがとう。では!〉
最後にこちらに振り返り、そう言い残していった。
転移魔法で帰ればいい気もするけど……まあそれは別にどっちでもいいか。
偶然ではあるが、リヒトさんを助け出せたことは喜ばしい。カムイさんの問題もおおむね解決できたし、いいことづくめだ。
私は去っていくリヒトさんを見つめながら小さく笑った。
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