第三百九十話:リヒトの怒り
私の叫びもむなしく、カムイさんは成す術なく踏み潰されてしまった。
しかし、カムイさんは普通の人ではない。体を自在に炎に変じることができる特殊な能力を持っている。
それがどういう原理で発動するのかは知らないが、無意識下でもとっさに体を炎に変じることに成功したようだ。竜の足の隙間から炎が漏れでて私の隣に来て再び人の形をとる。
「な、なんでいきなり竜が現れるのよ!? しかもいきなり踏み潰してきたし!」
「カムイさん、落ち着いてください。恐らくあれは1000年前にこの地で封印された竜です」
私はカムイさんを後ろに隠しながら早口に言う。
よく詰まってしまうという竜脈の整備を行うために遥か昔に派遣されたという竜。しかし、当時から最強の存在として恐れられていた竜を見た人々は国を滅ぼされたという実績もあったため、竜を邪悪な魔物として封印してしまった。
あの封印石をどこから持ってきたかは知らないが、偶然にも封印石に別の竜が封印されていたということはないだろう。この地にはそれ以来竜はほとんど近づいていないはずなのだから。
つまり、あれが例の封印された竜であるリヒトさんと言うことになる。
詳しい話は聞いていないが、この気配から察するに恐らくエンシェントドラゴンだ。それがこんな街中で暴れたらそれこそ国が滅びる案件である。
なんとか穏便に解決しなくては……。
「1000年前って、あの資料館で聞いた奴?」
「はい。本来は竜脈の整備を行うために来たらしいのですが、当時の人間達に封印されてしまい、今まで封印されたままだったと聞いています」
「なるほど、だから人間に恨みを持ってるってわけね……。私、一応人間じゃなくて獣人なんだけど」
そういえばそうだ。切羽詰まっていたから気にしてなかったけど、人間を恨んでいるのなら獣人であるカムイさんを狙うのはお門違いと言うものである。
まあ、耳と尻尾以外はほとんど人間と同じだから間違えてしまったのかもしれないけど。それか、最後に持っていたのがカムイさんだったから、カムイさんを自分を封印した封印師と勘違いしたか。
いずれにしても、このままではカムイさんの身が危うい。いや、全身を炎に変化させることができるカムイさんなら死にはしないかもしれないけど、これによって再び竜不振に陥られても困る。
とりあえず、まずは会話かな。
〈すいません、リヒトさんとお見受けします。どうかお話をお聞きください〉
〈誰じゃ、わらわの真名を叫ぶのは! ……む、お主は、同胞か?〉
〈お初にお目にかかります。私はハクと申します〉
竜語で話しかけると、こちらの方を向いた。しかし、即座に攻撃してくることはなく、ひとまず話を聞いてくれそうだった。
ふぅ、竜の翼を出しておいてよかった。中途半端ではあるけど、これがなければ最悪人間として襲い掛かってきたかもしれない。
未だ予断は許さないが、とりあえず慎重に言葉を選びながら話しかける。
〈どうか怒りをお鎮めください。私達はあなたと敵対する意思はありません〉
〈ふむ、わらわとて同胞に手を上げるようなことはせぬ。しかし、わらわを封印せしめた人間どもを許すことはできぬ! 皆殺しにしてくれるわ!〉
〈落ち着いてください。ここにはあなたを封印した者達はおりません。あなたが封印されてからすでに1000年以上の時が経っているのです〉
〈む、もうそんなに経つのか! ネーブルとの大切な時間を1000年も奪うとは、やはり許せぬ!〉
だいぶ興奮している様子だ。このままではいつ暴れ出してもおかしくない。
さて、どう言い訳したものか。
確かにリヒトさんの気持ちもわかるけど、だからと言ってここで暴れて国を滅ぼされても困る。
竜のイメージダウンに繋がるというのもあるけど、そもそもこの国に今住んでいる人達には何の罪もない。それに、今は学園の生徒達だって来ているのだ、巻き込まれたらたまったものではない。
〈お待ちください。すでに当時の国は滅び、ここは新たに造られた別の国でございます。この国に住まう人々に罪はありません〉
〈同じ人間であることに変わりはあるまい。それに封印から解放されたばかりで体も鈍っている。暴れ足りないのじゃ〉
〈それでもどうか、私の顔を立ててはくれませんか? 暴れたいというのなら、人気のないところで私がお相手させていただきます〉
〈ふむ、なぜそこまで人間の肩を持つ? 奴らはわらわ達の苦労など知らず平然と竜脈をいじくるだろう。そのような国滅んだ方が良いのじゃ〉
確かに竜脈をいじくる国と言うのはある。
と言うのも、竜脈の魔力は大地を豊かにするので、そこには国ができやすい。そして、竜脈の魔力が安定している限り、その土地は長く豊作になる。
ただ、人と言うのは慣れるもので、何十年かもするとその豊かさが当たり前になってしまい、もっと豊かにしたいと願うようになる。
その結果何をするかと言うと、竜脈の操作。
最も、人には竜脈の魔力がどういうものかなんて理解できない。適当にいじくってせっかく整えた竜脈を台無しにしてしまうのだ。
運が良ければ更なる豊かさを得られるかもしれないが、大抵の場合は魔物のスタンピードを誘発したり逆に土地を枯れさせることになる。
そう言った故意に弄られた竜脈を治すのも竜の仕事ではあるが、正直何度も何度もやられてはいくら治してもきりがない。だから、時には制裁として国を滅ぼすこともあるのだとか。
そのような話を聞いた時、それは自業自得だなと思った。誰だって自分がせっかく綺麗に片づけた部屋を一瞬で散らかされたら頭にくる。だから、リヒトさんの言うこともわからなくはない。
〈それでも。どうかお願いできないでしょうか〉
〈……お主、ハクと言ったな。親は誰じゃ?〉
〈父をハーフニル・アルジェイラ、母をリュミナリアと申します〉
〈え……〉
お父さん達の名を告げると、リヒトさんは急に動きを止めて言葉をなくしてしまった。
私が話し相手になってからは多少和らいでいたが、継続的に出されていた威圧も今やすっかりなくなっている。
威圧は体から漏れ出る魔力の発露で、エンシェントドラゴンともなれば意識しなければ勝手に漏れ出てしまうものだ。だから、弱い者はそれに当てられるだけで委縮し、戦意を失ってしまう。
その点、カムイさんはそこそこ耐性があったのだろう。多少震えてはいるが、逃げ出すほどではなかった。
しかし、それがいきなり消えた。一体どういうことだろう?
〈……わらわの記憶が確かなら、竜王陛下に御子はいなかったはずじゃが?〉
〈あ、そうか。私が生まれたのはリヒトさんが派遣された後だと思います。なのでご存じないのかと〉
私が生まれた時期は正確には不明だが、多分1000年も経っていないと思う。だから、1000年以上も前に封印されたリヒトさんが知らなくても無理はない。
とはいえ、竜の王、そして精霊の女王の子だというのは結構な衝撃だったらしい。先程までの威厳があった表情が剥がれ、俄かに動揺している。
もしかして、だから威圧が消えたのかな。上司の子供を威圧したとか普通に失礼だもんね。
〈し、証拠はあるのか?〉
〈証拠、証拠かぁ……〉
証拠と言われても、特に思い当たるものはない。
強いていうならこの翼の色だろうか。この色はお父さんと同じ色だ。
だけど、体色が同じ竜なんて結構いるし、明確な証拠とはなりにくいかな。
うーん、どうしようか。
私はしばし頭を悩ませた。
感想ありがとうございます。