第三百六十六話:覚えのない敵意
こけたり、舌を噛んだりと散々な紹介となったカムイさんだったが、その後先生がなんとか宥めてその場を収め、ホームルームは終了となった。
今はクラスのみんながカムイさんを囲んで色々と質問しているところ。
流石にあの時は緊張していたからなのだろう。質問に対しては噛むこともなくはきはきと答えているし、ところどころ見える所作はお嬢様然としていてとても優雅だ。
クラスのみんなも特にカムイさんのことを笑うこともなく、ぶつけたおでこを冷やすために濡らしたハンカチを差し出すなど割といい雰囲気。
なんだかんだ、無事にクラスに馴染めそうで何よりだ。
「カムイさんはどこの貴族の子なの?」
「いえ、私は貴族ではありません。ただ、今はフォシュロンゼ伯爵家にてご厄介になっております」
「獣人なのにこのクラスに入れるなんて凄いね!」
「こう見えても魔法は少し得意なんですよ。火しか使えませんが」
「なんでわざわざトラム大陸からこの大陸の学園へ?」
「実はとある方を探していまして。その方がこの学園にいると聞いたので無理を言って編入させてもらったんです」
割とがやがや騒いでいるのでこちらまで会話が聞こえてくる。
聞いた限りだと、どうやらカムイさんは獣人のとある集落で生まれたらしい。しかし、その集落は今なお古い風習が残っていて、カムイさんはその集落が祀っている神の生贄として殺されそうになったところを命からがら逃げだし、その後フォシュロンゼ伯爵という貴族に拾われたようだ。
なんというか、壮絶な人生を送っていると思う。獣人達は今でこそ人間の国と同じように他種族と交易を行ったりしているが、一部の集落では未だに古い風習が残っていて、他種族を、特に人間を嫌う傾向がある。だから、そう言った生贄を差し出すみたいな風習があったとしても不思議ではないが、そこから生き残ったというだけで凄いことだ。
それに一属性ではあるものの魔法の適性があり、それがあったからこそ貴族に匿ってもらえたと考えると相当運がいい。
あの所作は完全にお嬢様のそれだし、それはその貴族がちゃんと教育を施したということだろう。下手をすれば奴隷のように扱われた可能性もあった中、きちんと愛情を注いでもらえたのは幸運以外の何物でもない。
こうして遠く離れた学園にも編入させてもらえたようだし、今は幸せなようで少しほっとする。まあ、あんまりその過去は話さない方がいいような気がするけどね。
「へぇ、どんな人?」
「私も詳しくは知らないのですが、知り合いがとてもお世話になったようで。なんでも、銀髪緑眼でとても背の低い女性と長い青髪の長身の女性とお聞きしております」
「え、それって……」
みんなの視線がこちらへと向く。
うん、まあ、その条件に当てはまるのってどう考えても私とエルの事だよね?
生憎私は全く心当たりがないのだが、はて、どこかで会っただろうか?
表情は変えることなく、内心で少し困惑しながら見ていると、私に気付いたカムイさんが「あー!」と大声を上げた。
「見つけたわよ諸悪の根源! 私が成敗してあげるわ!」
そう言って、見事な身のこなしで跳躍し、こちらに向かって飛び掛かってくる。
そこらへんは流石獣人だなと思ったが、少し飛びすぎてしまったらしい。その体は私の頭上を軽々と超え、誰もいない机に盛大に突っ込んだ。
「……」
「……えっと、大丈夫ですか?」
どういうわけか私の事を攻撃しようとしていたようだが、盛大に自爆した姿を見て警戒など薄れてしまった。
机は木でできているが、流石に頭から突っ込んだら獣人と言えども痛いだろう。それに、さっき転んだばかりなのだから頭へのダメージはあまり好ましくない。
プルプルと肩を震わせながら立ち上がったカムイさんの額からはつーっと血が流れていた。結構重傷かも知れない。
「あの、血出てますけど……」
「うるさぁい! そんな哀れんだような目で見るなぁ!」
「別にそういう目で見ているわけでは……」
私の無表情が冷めた目で見ているように見えたのか、額を押さえながらもう片方の手で指さしてくる。
もう涙目だし、若干フラフラしているようにも見えるし、真面目に保健室に行った方がいい気がする。
いや、これくらいなら私が治した方が早いか。私はカムイさんの方に近づき、そっと額に手を伸ばす。
「な、なによ! やろうっての!? いいわ、返り討ちにして……」
「はい、ヒール」
私の治癒魔法はある程度の怪我だったら即座に回復できるくらいには効果が高い。仮に腕を切断されていたとしても、斬られた腕がその場にあるならすぐにくっつけられるくらいには効果がある。なので、転んだ程度の怪我だったらすぐに治せる。
カムイさんもそれに気づいたのか、しきりに額を触っては信じられないといった表情でこちらを見てくる。
なお、出た血までは処理できないので未だに血の跡はある。なので、懐からハンカチを取りだし、そっと手渡した。
「どうぞ。傷は治しましたが、まだ気分が悪いようなら保健室まで連れていきましょうか?」
「え? あ、ありがとう……じゃなくて! 敵に塩を送るなんてどういうつもり? 憐みのつもりかしら!?」
「そもそも敵と言うのがよくわからないんですが……」
即座に飛びのいて距離を取るカムイさん。しかし、流石に頭が冷えたのか、安易に飛び込んでくることはなかった。
どうにも話が見えてこない。カムイさんの中で私はどうやら敵らしいが、真面目に思い出そうとしても彼女とは会った記憶がない。
知り合いがお世話になった、とも言っていたが、私の知り合いで私に敵意を持つような人と言うと……そこそこいるけど獣人はあんまり記憶にないな。獣人の知り合いなんてミーシャさんかシンシアさんくらいだし。
「……いいわ、今日のところは見逃してあげる。でも、あなたは私の獲物なんだからね!」
そう言ってカムイさんはすたすたと出口に向かって歩いていき……その途中で盛大にずっこけた。
……うん、もう何も言うまい。
即座に立ち上がって去っていったけど、あの調子だといつもこけてるんだろうな。ドジっ子って奴だろうか。
まあ、それはいい。問題は、結局彼女が何者なのか全くわからなかったということだ。
「……エル、あの子のこと知ってる?」
「さあ……私は存じ上げませんが」
「サリアも?」
「初めて見たぞ」
「だよねぇ……」
一番手っ取り早いのはカムイさん自身に聞くことだと思うけど、どうにも敵視されているようだし素直に教えてはくれない気がする。となると、知り合いとやらを当たってみるしかないが、情報が少なすぎる。
ヒントがあるとしたら、彼女が獣人であることと、フォシュロンゼ伯爵家という貴族の家に保護されているということ、そしてトラム大陸から来たということくらいか。
トラム大陸と言うと、私達がつい最近までいた隣の大陸だ。あそこは獣人が多く住む大陸だし、獣人であることにはそこまで違和感はないけれど、向こうにいる知り合いなんてそれこそ数えるほどしかいない。
その中でこちらに恨みを持っていそうな人と言うと……捕まえた奴隷商人くらい? うーん、わからん。
「とりあえず、適当に知り合いを当たってみようか」
もしかしたら何か知っている人がいるかもしれない。授業の合間を縫って会いに行ってみることにしよう。
そんな算段を付けながら、カムイさんが出ていった出口を見つめていた。
感想、誤字報告ありがとうございます。