第三十七話:囚われのアリア
迂闊だった。仲間がいる可能性は考慮していたのに、この近くにいることを考えなかった。
唐突に飛び出してきた私にローブの男はかなり動揺しているようだ。青年もぽかんと口を開けてこちらを見ている。
「どうするんだ? 恐らくお前の話は全て聞かれていたぞ?」
「ど、どうするって、聞かれちまったなら仕方ねぇよな」
潜ませていたナイフを抜き、こちらにじわじわと近寄ってくる。それに合わせるように下がると、すぐに廊下の壁にぶつかってしまった。
逃げ道となる通路はどちらも塞がれてしまっている。逃げるならばどちらか一方を倒さなくてはならない。倒せないまでも、逃げる時間を稼ぐくらいはできるはず。
私はそっと青年の方に近づき、その手を握る。ちらりとこちらを見下ろしてくる青年に目で合図し、小さく頷いた。
こうなってしまった以上青年を見捨てるわけにはいかない。気づかれないように隠蔽魔法をかけてから魔法陣を展開する。狙うは足、放つと同時に走り抜ける。
「……今!」
タイミングを見計らい、水の矢を放つ。無数の鋭い線が放たれ、ローブ姿の足を奪う……はずだった。
水の矢はあろうことか当たる直前で霧散し、何事もなかったかのように消え失せた。
矢によって無力化されることを想定して走り出した私達はそのままローブ姿に突っ込む形となり、取り押さえられてしまった。
「な、なんで……!」
「悪いな。このローブは魔法を無効化する力があるんだよ」
そういえば、お姉ちゃんが付けているピアスもそんな能力があると聞いたことがある。まさかそんなものを持っていようとは。
だが、ローブが魔法を無効化するだけならまだやりようはある。私は腕に身体強化魔法をかけ、拘束する手を振り払った。
この隙に逃げれば……!?
「まったく、とんだお転婆娘だ。魔術師か? その年で中級が使えるなら結構な実力者だな」
魔法に耐性があるということで余裕があるのか、ローブ姿は軽く手を振っている。しかし、私の視線はそんなものよりローブの隙間に覗いた人物に目が行った。
透明なガラスに閉じ込められているのは背中に薄い羽根を生やした小さな妖精。若草色の髪にサファイアのような綺麗な瞳が美しいそれは私の親友の姿だった。
「……ッ!?」
思わず名前を叫びそうになって慌てて口を噤む。今ここでアリアの名前を口にすれば私とアリアの関係がばれてしまう。
ちらりとしか見えなかったが、私の姿を見ても反応しない辺り気絶しているのだろうか。それともまさかすでに……いや、それはない。妖精は魔力生命体だから死んだら消えてなくなってしまうはず。だから、生きてはいるはずだ。
とはいえ、アリアが囚われているのは事実だ。どうにかして取り戻さなければならない。でも、魔法が効かない相手にどうやって……。
「手間取らせるんじゃねぇよ」
「うっ!」
動揺したためか、背後から近づいてきたナイフを持った男に羽交い絞めにされてしまった。
恐らく、こいつのローブも魔法を無効化する効果があるだろう。もう一度身体強化魔法で……。
「待ってくれ、そいつは俺の妹なんだ。手を出さないでくれ」
「あん?」
首元に突きつけられようとしたナイフが止まる。もう一人のローブ姿はほうと興味深そうにため息をついた。
青年の発言に思わず私も手を止める。
妹って、お兄ちゃん? なわけないよね。顔が全然違うし、隣の大陸に行ってるって話だし。
「ほう、お前妹もいたのか。初耳だな」
「ああ、滅多に会わないからな。今日闘技大会に出ると聞いて駆けつけてくれたんだろう」
「そりゃ健気なこって」
青年の方をちらりと見ると、額に汗が浮かんでいる。言葉も震えがちで、必死に平静を保とうとしているのがわかる。
だけど、どうにかして私の事を逃がそうとしてくれているのは伝わった。
「だが、お前の関係者だってんならなおさら見逃せねぇな。弟ともども口を封じて……」
「ま、まあ待て。そいつはこう見えて結構な実力者なんだ。まだ利用価値があるんじゃないか?」
「ただのガキにしか見えねぇけどな」
まじまじと私の事を見つめてくるローブ男。
突拍子もない話ではあるが、それでもいくらかは信じてくれているようだ。実際に魔法を使っているところを見たせいもあるかもしれないけど。
青年の前に立つローブの男は私の方をちらりと一瞥した後、青年に向き直る。
「では、お前の代わりにこの娘が大会で優勝してくれると?」
「そ、そうだ」
「一対一を苦手とする魔術師でも? お前が手も足も出なかったあの娘にも勝てると?」
「も、もちろん」
「そうかそうか」
ちょっと待て、いくら何でもお姉ちゃんには勝てないぞ。
この流れ、私が大会に参加する流れになってるけど、どうしてそうなった。この人一体どう話を持って行きたいの。
青年の言葉を信じているのか否か、ローブの男はひとしきり嘲笑を浮かべた後私の腕を掴んで引き寄せてきた。
「いいだろう。そこまで言うなら試してやろう。ただし、お前は人質として拘束させてもらうぞ」
「ああ、それでいい」
袖を捲り、腕を露わにすると、それを握り締めてぶつぶつと何かを呟き始める。すると、腕が急激に熱を持ち、じくじくとした痛みが襲ってきた。
とっさに振り払おうとするが痛みで思うように力が入らない。しばらくして手が放されると、腕に紋章のようなものが刻まれていた。
「それは一種の呪いだ。それがある限り、私達の事を他言することはできない」
紋章は仄かな燐光を放ち、紫色に輝いている。しかし、それもすぐに収まり、煤で描いたような黒色へと変わった。
呪いというのはあまり馴染みがない。だけど、どんなものかは大体想像がつく。
「それでは、お前の活躍楽しみにしているぞ」
そう言って私を解放する。代わりに青年が腕を掴まれ、連れていかれてしまった。
一人残された私は去っていく三人の後姿を見ながらほっと息をつく。
とりあえずは助かった、ということにしておこう。
なんか大会に出ることになったり、結局アリアを助けられずじまいだという問題はあるけど、あの場で殺されることがなかったのはあの青年の気転のおかげだ。
だけど、これからどうしよう。あいつの言葉が本当なら、私はこのことを誰かに伝えることが出来ない。お姉ちゃんに相談できれば力を貸してくれそうだけど、それも無理だ。
あいつらの目的は何だろう。大会に優勝して何をする気だ? 優勝したところで手に入るものなんて優勝したという栄誉と、後は賞金くらい? 何か欲しいものでもあるのかな。
いや、お金が欲しいんだったらアリアがいる。妖精を売ればこの大会の賞金くらいにはなるんじゃないだろうか。何か売れない理由でもある? ……わからない。
とにかく、今私がやらなければならないことは何かを考えよう。やるべきことは、アリアの救出、そしてあの青年とその弟さんの救出だ。そのためには、あいつらの居場所を探る必要がある。
大会の優勝が目的なら少なくとも大会が終わるまでは近くにいるはずだ。だけど、私が妙な真似をすればどうなるかわからない。とりあえず、大会には参加しなければならないだろう。
あいつらに気付かれずに居場所を探り、アリアを助け出すことなんてできるのだろうか。特にアリアは人質でもなんでもない。あいつらの気分一つで売られてしまうかもしれない。そう考えると、事態はかなり深刻だ。
一体どうしたらいいんだろう……。