第三百五十五話:勇者の一手
遅くなりました。
「ハク、無事だったか!?」
「うん、お兄ちゃんこそ大丈夫?」
「ああ、これくらいなんともない」
お兄ちゃんの怪我は酷いものだった。四肢こそ繋がってはいるが、左腕は二の腕から大きく抉れ、頭から血を流し、今だって足元がおぼつかずフラフラの状態である。
この中では最も重症だろう。治癒魔法こそかけたが、しばらくは安静にしていないと危険かもしれない。
「なんともないわけないでしょ! そんなボロボロになって!」
「そうだよ、酷い怪我だし」
「ハクもよ! 左手がなくなってるじゃない!」
「あっ……これは、その、何ともないから……」
「なんともないわけないでしょ!」
お姉ちゃんに指摘され、しどろもどろになってしまう。
まあ、客観的に見れば左手がなくなってるのも十分に大怪我だよね……。
もし私が精霊の身体でなく、普通の人間だったなら泣き喚いていることだろう。この辺りは、痛みに鈍い竜の血が流れているからこそ冷静でいられるのだ。
無事に二人に合流できたことですっかり舞い上がってしまったが、心配かけてしまうのはマイナスポイントだな。もう、瞬時に回復できる魔法でも開発しないといけないかもしれない。今でもだいぶ改良して治癒速度は上がってきているけど、やはりまだ足りないかもしれないね。
「お、お姉ちゃんも怪我してるよ?」
「私のはただの掠り傷よ。二人ともちゃんと大人しくしてて」
お姉ちゃんは私に重ねるように治癒魔法をかける。光属性に適性のあるお姉ちゃんは治癒魔法も使えるのだ。
まあ、心配かけてしまったのは事実だし、甘んじて受けよう。私はお兄ちゃんと共にその場に座り込んだ。
「それで、そっちは何があったの?」
「それがね……」
私達はお互いに相手取った転生者のことについて報告する。
今回送り込まれた転生者がどれくらいかはわからないが、見る限り、カエデさんとミリアムさんとマルスさんの他にはあの三人だけのようだ。
カエデさんが言っていた通りだとして、聖教勇者連盟に所属する転生者が約50人程度と考えると、そのうちの6人と言うことになる。結構多いな。
まあ、仮に鳥獣人達が本当に竜人だったとしたら、滅多に群れない竜人が集落を作って集まっていることになるし、相応に危険だと考えたってことだろうか。
マルスさんの姿が見えないのが少し心配だが、敵の主戦力はあらかた倒し終えたと考えていいだろう。となると、後厄介なのは勇者だ。
私は勇者と戦っているであろうエルの方へ視線を向ける。
竜状態であるエルは巨大のためかなり目立つ。だから、すぐに見つけることができた。
遠目で見る限り、戦いはエル優勢のように見えた。集落の事を気遣ってかなり手加減しているエルに対し、勇者は手も足も出ていないように思える。いや、竜を相手に数分以上生き残っているという時点で相当なポテンシャルを秘めているが、積極的に攻撃するそぶりも見せず、ただただ時間を稼いでいるようにも見えた。
勇者と聞くと、お父さんを追い詰めたくらいだから相当強いのではないかと思っていたけれど、確かに強いことは強いが、そこまで絶望的に強いかと言われたそうは見えなかった。
まあ、お父さんが相手をした勇者は700年以上も昔の人物だし、すでに生きてはいないだろう。今の勇者はその後に召喚された別人であり、必ずしもすべての勇者が化け物じみて強いというわけではないのかもしれない。
「エルの加勢に行かないと」
「ハク、その状態で動くのはダメだよ。私が行くから、大人しくしておいて」
「で、でも……」
「大丈夫、ハクのおかげでもう傷は治ったから」
確かに、お姉ちゃんが受けた傷はかなり浅かったこともあってすでに完治している。でも、この場でお姉ちゃんを向かわせるのは少しためらいがあった。
相手は勇者、エルと共に戦うとしても勇者の力は未知数なのだ。かなり危険である。
勇者が持っている剣は恐らく神具だ。恐らく、あれのおかげで彼らは竜の威圧に屈していないし、竜を相手にどこまでも戦い続けることができるのだろう。
神具にはそれぞれ特別な能力が備わっていると聞く。勇者自体の能力も不明のまま、さらに神具の能力まで不明とあってはお姉ちゃんでは危険かもしれない。
それに、下手に介入したらエルの攻撃の巻き添えを食う可能性もあるしね。
もちろん、お姉ちゃんの速さなら巻き添えの可能性は限りなく低いが、やはり少し心配だった。
「ぬぅ、竜を足止めしてやっても攻め切れないのか。役立たずどもめ」
ふと、勇者の声が耳に入った。
勇者は一度飛び退いて距離を取ると、剣を地面に突き立てて右手を虚空に伸ばす。
一体何をする気かと思ったら、虚空を掴んだ手にいつの間にかもう一振りの剣が握られていた。
もしかして、【ストレージ】だろうか。勇者であれば持っていても不思議はない。
いや、そんなことはどうでもいい。その取り出された剣を見た瞬間、どうしようもない恐怖が私を襲った。
最初に持っていた幅広の剣と違い、武骨なデザインのロングソード。しかし、私の目には赤黒い瘴気のようなものが巻き付いている呪いの剣のように思えた。
あれは普通の剣じゃない。私にとって、いや、竜にとって禍々しいものがあの剣には内包されている。
エルも私と同じものを感じ取ったのか、一瞬怯んだように退いた。
「面倒だが、援軍できた以上は仕事するしかないよな。悪く思うなよ」
地面に突き立てた剣を引き抜き、二刀流の構えを取る。
やめろ、ダメだ、あれを振らせてはならない。止めなければならないのに、私の体は動かなかった。
勇者が剣を振り上げ、さっと空を撫でる。それだけなのに、剣先から衝撃波のように斬撃が飛び、エルに一直線に向かっていった。
「エル、逃げて!」
ようやく言葉を絞り出した時にはもう遅かった。
飛んできた斬撃は狙い過たずエルの腹に直撃し、そして、鮮烈な赤い花を咲かせた。
「ぐぎゃぁぁああああ!?」
「エル!」
動かない体を無理矢理動かし、私はエルの下に駆け付ける。ぐったりと倒れ込んだエルの傷は相当に深いものだった。
あんな、ほんの軽く振っただけの一撃でエルの鱗がこうもやすやす切り裂かれるなどありえない。どれだけ屈強な男が振るう剣だったとしても、エンシェントドラゴンの鱗を破るなど不可能なはずだ。
なのに、この男はそれを何でもない風にやってのけた。やはり、あの剣は普通じゃない。神具なのは間違いないが、その中でも竜に対して何か良くない効果を持つものだ。
「エル、しっかりして!」
〈ハク、お嬢様……申し訳ありません、不覚を取りました……〉
苦しげに荒い息をつくエル。竜であればいくら深い傷をつけられたからと言っても早々戦闘不能にはならない。
それだけ痛みに鈍感であり、治癒能力も高いのだ。それなのに、たった一撃でエルがこうも悲鳴を上げるとなると普通じゃない。
私は看破魔法でエルの傷を見てみる。すると、傷口に沿って瘴気のような靄がまとわりついているのが見て取れた。
これは、呪いだ。傷を治さないようにするためか、それとも傷を広げるのかはわからないが、とにかく痛みを持続させるための呪い。
呪いに関しては素人だが、なぜだかそれがすぐさま理解できた。
これは恐らく、竜が本能的に理解しているもの。何でもできるように見える竜でも、弱点と呼ばれるものはある。その中でも最たるものがこれだ。
あの剣は間違いなく……。
「神剣ノートゥング……」
別名竜殺しの剣。竜にとっての絶望がそこにはあった。
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